第58話 初デート
「いらっしゃいませ。二名様でよろしかったですか?」
「はい」
程なくして、行列は僕たちの順番になった。
並んでいたとはいっても、開店から入ることのできない人数というわけではなかったらしい。至極あっさりと店員の女性に僕と加奈子は窓際の席に案内され、そのまま座った。
店の中央で木目のシーリングファンがゆっくりと回っており、テーブルや椅子も木目で統一された雰囲気の良い店である。会話を妨げない程度の大きさで流れているのは、海外のジャズソングだろうか。漂ってくるコーヒーの香りは、豆から挽いた本格的なものを思わせる。
僕はあまり喫茶店に行かないのだけれど、全体的に落ち着いた作りだ。
「へぇ……」
メニュー表には、かなりコーヒーに拘っているのだろう表記がある。様々なコーヒー豆を列挙しながら、それが酸味、キレ、コクの三つの基準で表現されている。僕は基本的に家でしかコーヒーを飲まないし、しかもインスタント専門だから全く分からない。
でも、こういう本格的なコーヒーって飲んだことないし、試しに飲んでみようかな。ブルーマウンテンって名前は聞いたことあるし。
「ささ、食べよ食べよ。あ、あたしクリームソーダ」
「店側のコーヒーへの拘りを全力で台無しにする注文だよね」
「あたしコーヒー飲めないんだもん」
「おこちゃま舌め」
コーヒー、美味しいんだけどな。
父さんは、コーヒーとタバコは物凄く合うって言ってた気がする。残念ながら僕は喫煙者でないし、喫煙をすることも法律的にアウトな年齢だから分からないのだけれど。
そういえば、僕も昔は父さんの飲んでいたコーヒーを、苦いだけの飲み物だと思っていた。何がきっかけだったのかは覚えていないけれど、今では一人でコーヒーを淹れて飲むくらいにはコーヒー好きになっている。
「んでね、ケーキ多分これ。ほら、限定10個って書いてるっしょ?」
「あ、ほんとだ」
メニュー表と一緒に出されていた、ラミネートされた一枚の紙。
それに書かれているのは、『カップル限定ケーキ、一日10個限定! 1200円』というだけの文字だ。そのケーキの情報もなければ、写真も貼られていない。出てくるまで何か分からないということだろうか。
これはちょっと危険な匂いがするけれど、奢りである以上僕にメニューの選択権はない。そもそも、このケーキを食べるために来たわけだし。
「それじゃ、店員さん呼ぶねー。すいませーん!」
「はいー」
加奈子の大声と共に、やってきたウェイトレスへと加奈子が「これ!」と紙を指差す。
「はい、カップル限定ケーキですね。お客様、アレルギーなどはございますか?」
「ありません。千葉は?」
「僕もありません」
「承知いたしました。お飲み物は何にいたしましょうか?」
「クリームソーダで!」
「ブルーマウンテンをホットで」
「はい。少々お待ちください」
僕たちの注文を受けて、そのままウェイトレスが去ってゆく。そして、残された僕たちはお冷でまず喉を潤した。
加奈子の方は随分と楽しそうで、きっと尻尾があれば全力で振っていることだろう。うきうきと厨房を見ながら、注文した品がやってくるのを待っている。
そして僕の方は、先ほどあまり見れなかったメニュー表のケーキを確認する。コーヒーに拘りがあるのは分かったけれど、ケーキにも拘りがあるらしく、十種類以上もケーキが並べられていた。ショートケーキ、ガトーショコラ、レアチーズケーキといった定番メニューは当然、モンブランやパウンドケーキ、ミルフィーユなどその種類は様々である。
でも、やっぱり軒並み高い。そりゃ、喫茶店は高いっていうのが当たり前だと思うけど。
「にしし。やっぱ疑われなかったね、千葉」
「ん?」
「あたしらがカップルってこと。ほら、これカップル限定だからさ」
「そりゃ、そこで疑ってかかるってっこともないんじゃない?」
店側も商売だし、「本当にカップルなんですか?」とか聞いてくるわけがないと思う。
そもそも、年頃の男と女が並んで歩いていれば、大抵カップルに見られるよ。さすがに僕と亜由美が並んで歩いたらカップルには間違われないけど。主に亜由美が子供っぽいから。
でも、加奈子はそれでもご満悦な顔をしていた。
「ま、いーの。これが千葉との初デートだしね」
「……デート?」
「デートじゃん。違うの?」
「いや、デートとはまた違うような……」
なんだろう。
加奈子の言葉に、違和感しか覚えない。僕と加奈子がデートをする、って時点でなんか字面がおかしい気がする。
そもそも僕には真里菜という彼女がいるわけだし。恋人がいる男が、女性と一緒に喫茶店に来ることをデートとは呼ぶのだろうか。
「んじゃ千葉、デートの定義って何よ」
「え、いや……それは……」
なんだか、前にもこんな話をした気がする。
一緒に出かけるだけだと言っていた真里菜が、デートという言葉を知らなかったことに驚いたことがあったような。
でも、普通に考えればデートって、恋人同士がすることだよね。あれ、でも恋人同士じゃなくても、男女二人が出かけていればそれはデートになるのではなかろうか。
「……仲の良い男女が、二人で遊びに行くこと、かな」
「んじゃ、これデートじゃん」
「いや、それは……」
「あたし、千葉と仲が良いって思ってるんだけど。んであたし女、千葉は男。はい、証明終了」
「……」
ぐうの音も出ない正論である。
確かにそう言われると、その通りだ。これデートだ。
ま、別に加奈子とデートするのが嫌とかじゃなくて、僕がこれをデートと認めてしまうと、なんだか浮気者になってしまうような気がしてしまったのだ。
「……ま、いっか」
「どったの?」
「別にデートじゃないって言い張ったところで意味ないからね。今日は僕と加奈子のデート。それでいいよ」
「なんだ、素直じゃん」
「諦めがいいだけだよ」
そう話しているうちに、厨房の方からウェイトレスが出てきたのを目にする。
お盆の上に乗せているのは、コーヒーとクリームソーダだ。そして、もう一つ割と大きめの皿に乗せられたケーキ。
それが、僕と加奈子のテーブルへと乗せられて。
「お待たせしました。ブルーマウンテンのホットにクリームソーダ、カップル限定ケーキでございます」
「うっわ、美味しそう!」
「……っ!」
僕は、目を見開いた。
皿の上に乗せられていたのは、ブッシュ・ド・ノエルだ。
クリスマスケーキとして有名な、木の幹をモチーフにしたケーキである。でも、ただそれだけなら、僕だってこんなに驚きはしない。
問題は、そのケーキの上に乗せられた飾りだ。飴細工で作られた少年と少女が、向かい合って口づけをしているという細工――それが、おそろしく繊細なものなのだ。
「すごい……!」
僕だと、どう作ったのかさえ分からない――そんな繊細すぎるケーキに、思わず見惚れていた。
この飴細工は、どう作っているのだろう。これほどのものを作れる職人が、何故こんな喫茶店で働いているのだろう。そんな疑問と興奮に、思わず前のめりになってケーキを見続けていると。
ぐさり、と。
そんな芸術の塊とも呼ぶべきケーキに、あっさり加奈子がフォークを突き刺した。
「――っ!」
「うんまー! チョコレートうんまー!」
「加奈子ぉっ!」
せめて写真だけでも撮影したかったのに!
僕の人生で、最大級に驚いたケーキだったのに!
「まぁまぁ、千葉も食べなよ。ほら、あーん」
「お前……! 僕の感動を……!」
「ほら、あーんして」
「いや、僕は勝手に食べるから……」
ああ、もう。
せめて、ケーキの味だけでもしっかり覚えて帰ろう――そう思いながら、ふと窓の外を見ると。
「……」
窓際の席――そのガラスの向こう側に。
「……」
真里菜が、いた。
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