第57話 カフェが開くまで
程なくして、僕と加奈子は目的地であるカフェに到着した。
加奈子曰く、かなりの人気店だとのことだったが、その情報は正しかったらしい。まだオープンまで十分以上あるというのに、既に十人以上が列をなしている。カップルの姿もちらほらと見えるのは、例のカップル限定ケーキ目的だろうか。
「ほら千葉、並ぼ」
「あ、うん」
「やー、楽しみー。どんなの出てくるかなー」
「どうなんだろうね」
十組限定ケーキだから、それなりに高級な素材を使っているのかな。
そういえば、値段いくらなんだろう。聞いてないや。
「なぁ、加奈子」
「ふ?」
「そのケーキってさ、いくらなの?」
「知らない」
……。
いや、確かにどんなケーキなのかも分からないわけだから、値段も知らなくて当然だと思うけど。
でも、普通そういうのって下調べしてから行かないものなのかな。これでいざ入ってみて、所持金が足りないとかなったらどうするつもりなのだろう。
今日、いくら持ってたっけ。家の中に隠してある、へそくりに手をつけるべきだっただろうか。
「ああ、安心しなよ千葉」
「何が」
「今日はあたしの奢りだから」
「え、なんで」
まさかの奢り発言である。
主に昼休み、僕の弁当をつついてばかりの加奈子の発言だとは思えない。何か悪いものでも憑いているのだろうか、ってちょっと真剣に思ってしまうほどに。
そんな僕の疑問に、加奈子はあはは、と快活に笑った。
「いつもお菓子貰ってばっかじゃん。たまにはあたしからもお返しするって」
「……そ、か」
「何? 女に奢られるのは男のプライドが許さないとか、そういうこと言うつもり?」
「いや、奢りなら限定ケーキだけじゃなくて、他にも色々食べられるなー、って思っただけ」
「千葉、案外容赦ないのね」
あたしの財布、そんなにお金ないからね! と何故か念押しされた。
でも、せっかくの奢りだ。自分が何かを食べるにあたり、お金を払わなくていいという特権だ。素晴らしい。
限定ケーキのみならず、他の定番ケーキとかも色々食べてみたいよね。ショートケーキとか、チーズケーキとか。まぁ、そこまで頼んだらさすがに悪いか。ここで図々しくなれないあたり、僕も日本人ということで。
「んでさ、千葉」
「うん?」
「千葉って、高校卒業したらどうすんの? パティシエの専門とか行くの?」
「あー……」
カフェが開くまでの待ち時間、唐突に加奈子にそう問われる。
正直、あんまり考えてないんだよね。そりゃ、製菓の専門学校とか行った方がいいのかな、くらいに考えてたけど。
でも、パティシエになるために必要な資格ってないんだよね。正直、今僕がパティシエを名乗っても、法律的には何の問題もない。だから、ケーキ屋さんとかそういうところで働きながらお菓子の作り方を教わる、っていうのも一つの手段なのかな、くらいに考えていた。
父さんはあれで国家公務員だし、危険手当とかも入るからかなり高給取りである。だから、別に僕が専門学校に進学しても大丈夫なくらいに、我が家には貯蓄が十分あるんだよね。
「まだ考えてないんだよね」
「まだ? あたしらもう二年だし、そろそろ考えとかなきゃやばくない?」
「それは分かってるけど……そういう加奈子はどうなのさ。進路決まってんの?」
「え、あたし? 大学行くよー」
あ、決まってるんだ。
なんか僕の中で勝手に、加奈子はそういうの決めてないと思ってた。
「大学?」
「うん。ま、さすがにあたしの実力だと、推薦とかは無理だけどね。それでも、大学に入っても柔道続けたいから」
「……そうなんだ?」
「なんだかんだで、小学校の頃からずっとやってるしね。これでも、中学時代には関東大会で準優勝してんのよ」
マジか。
加奈子ってあんまり強いイメージないけど、実は凄いのかもしれない。何故か袖をまくって、力こぶを見せてくるあたりがとても残念だけど。
男の僕より腕が太いように思えるのは、やはり柔道でそれだけ鍛えているからだろうか。
でも、何故だろう。
さっき、あんまり強くない、って自分で言ってた気がするんだけど。
「真里菜さんも、大学行くのかな」
「あたしと違って、引く手数多だと思うよ。どの大学も欲しがると思う。多分、何校かはもう話してるんじゃないかな」
「あ、そうなんだ?」
「知らないけどね。でも、どんな大学でもいずみんレベルなら欲しいっしょ。それこそ入学金授業料免除、ってレベルだと思う」
「……本当に凄いんだね、真里菜さん」
「あたし、勝てる気全然しないもん」
あははー、と加奈子が笑う。
だけれど、そこで同時に疑問に思った。
スポーツをしている人間は数多くいるけれど、選手として活躍できるのなんてほんの一握りだ。
例えば野球で考えてみるのなら、野球少年は日本全国に十万人以上いるらしい。だけれど、その中で認められ、プロ野球選手として活躍しているのは千人弱だそうだ。しかも第一線で活躍している選手となれば、さらに狭い門となる。プロリーグが存在する野球でこれなのだから、プロの存在しない柔道というのは尚更狭い門なんじゃないだろうか。
だから、そこで思ってしまうのだ。
加奈子は、決して自分を強い選手でないと自虐した。そして、真里菜という圧倒的に敵わない相手がいることを知っている。
なのに、何故、柔道を続けようと思うのだろう。
頑張っても勝てないのに。頑張っても超えられないのに。なのに、何故続けられるのだろう。
「加奈子は、さ……」
「うん?」
「なんで、柔道やってんの?」
「……なんでって聞かれても。小学校の頃からずっとやってるし」
「そうじゃなくて……ええと、将来はオリンピックに出場したいとか、そういう夢とかあるの?」
「あるわけないじゃん。あんなの、それこそいずみんレベルのバケモンじゃないと出られないって」
「……じゃあ、どうして、柔道やってんの?」
夢を持っていれば頑張れる、って言葉がある。
目指す先があるからこそ、人間というのは頑張れるのだ。その先に輝かしい未来が待っているからこそ、苦難に耐えることができるのだ。
でも、加奈子の柔道――そこには、目指す先がない、そんな気がするんだ。
「うーん……そう言われると、なんでだろ」
「練習が、そんなに楽しいの?」
「練習? くっそキツいし、汗ダラッダラだし、終わったらクタクタだよ。楽しいわけないじゃん」
「じゃあ……」
「えっとね……千葉、洗濯するの好き?」
「は?」
洗濯?
いや別に僕、洗濯が好きなわけじゃないんだけど。僕がやらなきゃ誰もやらないってだけで。
僕が洗濯を放棄したら、着る服がなくなっちゃう未来しか見えない。
「好きってわけじゃないけど……」
「でも、してるっしょ?」
「まぁ……うん」
「今日から一週間、洗濯を一切するなって言われたらどう思う?」
「……落ち着かない、かな」
「一緒。もうね、あたしにとって柔道って人生の一部なのよ。それで結果が出ようが出まいが、そんなの関係ないの。夢とかじゃなくて、ほんと人生の一部……みたいな? やってなきゃ落ち着かないの」
「……」
そっか。
加奈子にとって柔道って、そういうものなんだ。
僕にとっての家事と一緒で、人生の一部。
なんだか、すとんと納得することができた。
「ま、そんな感じ……あ、開いたね。ほら千葉、入ろう」
「あ、うん」
そして同時に、失礼なことを聞いちゃったな、と後悔する。
毎日一生懸命頑張って練習している加奈子に、『どんなに頑張っても結果が出ないのになんで続けてんの?』とか、失礼極まりない。相手が加奈子でなければ、殴られてもいいくらいの失言だ。
仕方ない。
今日奢ってもらうお礼と、失言のお詫び代わりに。
月曜日は、また手作りのお菓子でも持っていくことにしよう。
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