第56話 行きながら

「やー、楽しみねー。こうやって千葉と一緒に出かけるとか初めてだし」


「……そうだね」


 はぁ、と小さく溜息を吐きながら、加奈子と共に道を歩く。

 結局、加奈子の提案した『限定ケーキを食べに行く』という内容は、最初から決定事項だったらしく僕は家から連れ出された。別に用事があったわけじゃないし、少々掃除をしなきゃいけないと思っていたくらいのものだったから、別にそれはそれで良いのだけれど。


「なに、千葉。嫌だったわけ?」


「嫌だって言ったら帰らせてくれるわけ?」


「ここまで来といて今更帰るとか言わないっしょ」


「……」


 まぁ、僕も僕でそれほど抵抗はしなかったわけだが。やっぱり僕もパティシエ志望だし、美味しいケーキとやらは食べたいよね。

 今日は亜由美が出かけるって話は聞いてないし、お化粧はしなくてもいい。それにただケーキを食べに行くだけだから、昼までには帰ることができるだろう。起き抜けの亜由美に、昼食を作ることができるくらいの時間には帰る――そう逆算したら、別に付き合ってもいいかな、と思えたわけだ。

 加奈子だって、きっと僕がパティシエ志望だから、ってことで声をかけてくれたのだろうし。


「それでさ、その限定ケーキってどんなケーキなの?」


「あたし知らないんだよね」


「知らずにあんなに強硬に誘ったわけ!?」


「だからあたし、兄貴のお土産しか食べたことないんだってば」


 ぶー、と唇を尖らせる加奈子。

 いや、せめて情報収集くらいはしておくべきじゃないのかな。ほら、僕だって好き嫌いとかあるかもしれないじゃないか。

 まぁ、好き嫌いが全くないのが僕の誇りの一つでもあるのだけれど。あれ、そういえば加奈子に僕、好き嫌いとか全くないって言った気がする。


 その『最近オープンしたカフェ』とやらまで続く道を、加奈子と肩を並べながら歩む。

 そういえば、こんな風に加奈子と二人で過ごすのって、なんだか久しぶりな気がする。隣の席になって以来、割と加奈子と喋ってばっかだったんだよね。最近は真里菜がやってくるから、加奈子と二人っていう時間もあまりなくなった。

 そう考えれば、貴重な時間なのかな。加奈子と過ごすのって。


「そういえば加奈子」


「うん?」


「今日って練習はないの? 柔道部は土曜日も練習してるって聞いたけど」


「あ、うん。あるよ。日曜日以外は毎日あるかんね」


「じゃ、なんで参加してないのさ」


「あたし、今日の練習免除なのよ」


 免除とな。

 一体どういう理由で、部活の練習が免除になるのだろう。


「コーチ……あー、まぁ、今はちょっと色々アレだけどさ。一応、あたしらが一年の頃からずっと北村コーチが指導者だったわけね」


「あ、うん」


 北村か。

 ワイドショーを色々賑わせたりしているけど、それでも加奈子にしてみれば指導してくれていた人物ということなのだろう。そういえば加奈子、セクハラ指導に遭っていなかったのだろうか。

 ……ないか。別に、それほど起伏があるわけじゃないし。そういうのって、やっぱり気弱な生徒とかそういうの狙うよね。加奈子みたいに無駄に気の強い奴の、貧相な体になんか興味ないよね。


「なんか失礼なこと考えてない?」


「そんなことないよ」


「……まぁ、いいけど。ま、そんな北村コーチの方針でさ。一週間に一日は休みを設けること、っていうの」


「だから日曜日が休みなんじゃ……」


「あたしも明日、試合の出場選手だからさ。日曜日に試合に出る代わりの休みってこと。試合前練習もあるし、試合後の合同練習もあるからね」


「なるほど」


 そう言われると、納得がいった。

 しかし驚きなのは、柔道強豪校である栄玉学園のレギュラーメンバーに加奈子が選ばれていることだろうか。こいつ、こう見えて実は柔道超強かったんだね。部員百人とかいるって聞いたけど、そのうちの五人しか出られない試合の選手ってすごくない?


「ま、あたしはギリギリ出場選手ってところよ。成績が悪かったら、他のメンバーと入れ替えになっちゃう枠ってこと」


「そうなんだ」


「枠が決まってるのなんて、それこそいずみんくらいのもんだしね。いずみんが大将、あとはその時の調子に応じて、って感じ? まぁ、あたしは精々次鋒くらいの立ち位置よ」


「それが僕にはよく分からないけど」


 僕、柔道はオリンピックくらいしか見たことないよ。いきなりそんな専門用語言われても困る。

 ジホウって言われて最初に思いつくのなんて、電話で時間を聞くくらいのものだよ。


「柔道はさ、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の五人がチームなわけ。まぁ、強さの順で言えば大将が一番強いのね」


「そうだろうね」


 それは僕でもなんとなく分かる。

 二勝二敗で大将戦にもつれ込んで、最後に決める立ち位置みたいな感じだもんね。弱い奴じゃできない役割だ。


「んで、これはチームによって違うんだろうけど、うちの学校は二番目に強い選手を先鋒に持ってくるのよ」


「……え、先鋒って一番最初に戦う選手じゃないの?」


「うん。だから順番で言えば、大将、先鋒、中堅、副将、次鋒、ってのがうちの学校での順番。五体五の戦いだから、初戦を勝てるかどうか、っていうのが重要だからさ」


「へぇ……」


 てっきり、後ろから順番に強いと思ってた。

 でも、そういう戦略というか、そういうのも試合を戦っていく上では存在するものなのだろう。確かに一番目の試合を勝てば、その後の試合も勢いがつくだろうし。

あれ。

 ってことは次鋒の加奈子は……。


「あ、うん。あたし明日の試合メンバーの中じゃ、一番弱いよ」


「……あっさり言うんだね」


「そりゃねぇ。先鋒のかなたんは全国三位だし、中堅のにしのんは全国ベスト8、副将のうっちーは一年生だけど、中学時代に全中で準優勝、ってバケモノ揃いよ。今回の練習試合だって、三年生の先輩が出場しない、って条件だからあたしが入れたようなもんだからさ」


「……ほんとに凄いんだね、うちの学校」


 三年生の先輩が一切出場せずに、その層の厚さっていうのは凄すぎる。


「ちなみに、三年生が出場した場合、大将のいずみん以外は全部三年生になるから」


「……真里菜さんがいかに凄いか分かるね」


「同級生のあたしから見ても、バケモノだもんね。あたし、いずみんとの乱取りで三十秒以上立ててたことがないもん」


 乱取り。そういえば、父さんもそんなこと言ってたな。

 確か、父さんは五秒に一度投げられたとか。そう考えると、実は加奈子って凄いのだろうか。

 比較対象が真里菜しかいないから、もう訳が分からない。


「明日は応援来るんしょ?」


「あ、うん。行くつもり」


「場所、ちゃんと聞いた? うちの学校じゃないから、迷わないよーにね」


「え、そうなの?」


 初耳なんですけど。

 まぁ、部外者の僕にそんな情報なんて教えてくれなくて当然かもしれないけどさ。せめて真里菜、教えてくれよ。


「あれ、知らなかった? ほら、町外れの山の上にある学校」


「……あの、教会があるところ?」


「うん。カトリック系お嬢様学校、聖マリエンヌ女学院。なんか柔道部が新設したらしいから、そこと練習試合するんだって」


「……新設の柔道部を相手に、編成がガチすぎない?」


「本気でガチの編成だったら、三年生も動かすって。二年生が中心なだけ、手加減してるもんだと思ってよ」


「……」


 その理屈はどうなのだろう。

 でも、そんな新設の柔道部を相手になら、加奈子だって負けることはないだろう。


 真里菜が柔道をする勇姿には、興味がある。一度くらいは見たいと思っていた。

 それに加えて、加奈子の普段とは違う姿も見ることができるかもしれない。もうちょっと凛々しい姿を。

 普段の快活でありながらも、どこか間の抜けた加奈子ではない、ちゃんとした柔道選手としての加奈子の姿を――。


「ぶぇっくし! ずびー……あー、なによぉ。誰か噂してんのぉ?」


「……」


 ……本当に見れるのだろうか。

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