第43話 ちょっぴり変な真里菜さん

「……」


「……」


 思わぬ真里菜の言葉に、僕は何も返すことができずに。

 こてん、と真里菜が首を傾げた。そして僅かに僕から目を逸らし、ふむ、と顎に手をやってから再び僕を見る。


「ごめん、待った?」


 どうしてそこで、僕が聞こえていないという結論に行き着くのだろう。

 別に僕は難聴というわけではないし、ちゃんと耳は聞こえている。というか、この距離で言われて聞こえないということはまずないだろう。

 単に、言われることを想定していなかった言葉のせいで、戸惑っているだけだというのに。


 でも、全く見知らぬ人だけど、多分間違いない。

 この元凶は、さっきスポーツカーで走り去っていった人だ。


「ええと……」


「はい」


「……い、今、来たところ、だよ」


「そうですか。それは良かったです。それでは、行きましょう」


「……」


 ふふん、と僅かに嬉しそうな真里菜。

 多分、姉さんから「恋人同士は待ち合わせのときに、『ごめん、待った?』『ううん、今来たところだよ』みたいなやり取りをするのよ!」とか言われたに違いない。そして、教わった場合そのまま鵜呑みにしちゃうのが真里菜なのだ。

 他に何を言い含められているかは分からないけれど、とりあえず。


「……うん、それじゃ、行こう」


「はい」


 さぁ、切符を買って動物園へ行こう。

 そう思いながら、僕が振り返って駅を向くと共に、極めて自然に真里菜は隣に並んできて。

 すっ、と僕の、手をとった。


「――っ!」


「……? どうしましたか、武人」


「い、い、いい、いや……」


 真里菜の方から、僕の手を握ってきた。

 なんだろう、何て言えばいいんだろう。意外とゴツゴツしてるなとか、そんな感想とか浮かんじゃうのは、多分柔道を頑張ってるからなのだろう。襟と袖を握って引っ張り合うスポーツだもんね。

 だけれど、それ以上に僕は。

 こんな往来の場で、真里菜と手を繋いでいるーーその事実に、胸が高鳴って止まらない。

 誰かに見られたら――そんな風に思いながら、既に学校中の噂になっていることを改めて思い出した。僕は真里菜が堂々と恋人宣言をして以来、学校のどこを歩いていても「あ、彼氏だ」と謎の呼ばれ方をしているくらいだから。


「……」


 どきどきと、鼓動が弾む。

 真里菜が僕の手と自分の手を絡み付けながら、指の間に自分の指を入れる――いわゆる恋人繋ぎをする。

 僕はただ、真里菜に任せるだけだ。自分から手を握りに行くほど、僕は勇気のある少年ではないのだから。

 そして、ようやく真里菜が僕の手と自分の手を絡めて、しっくり行く形で固定すると共に。


「ふんっ!」


「あだだだだだだっ!?」


 激痛が、僕の手に走った。

 真里菜が、物凄い握力で僕の手を握ってきたからだ。めしめしと、主に指の付け根が悲鳴をあげている。リンゴくらいなら握り潰せるんじゃないかと思えるくらいに、その握力は恐ろしく強い。

 いや、そりゃそうだよね、全国で一番柔道が強い女子なんだから。握力も鍛えていて当然だ。

 だけれど、僕の手はそんな超握力で握られることなんて想定していないわけで。


「ちょ、真里菜さん! 痛いから!」


「あ……申し訳ありません」


 ぱっ、と真里菜が手を離す。

 僕は手をさすりながら、まだじわりと残っている痛みに顔をしかめた。骨に異常はなさそうだけれど、もしも続けられていれば、僕の手はギブスを巻いていたかもしれない。

 なんでいきなり、僕の手を思い切り握るのさ。


「痛たた……え、ええと、どうしたの? 僕、なんかやった?」


「い、いえ……申し訳ありません。姉から言われた通りにしたのですが……」


「……大体予想つくけど、何て言われたの?」


「はい。恋人同士はちゃんと指と指の間に自分の指が入るように手を繋いで、ぎゅっと握るのよ、と」


「……」


 もう、なんか思う。真里菜の奇行って、大体姉さんのせいじゃないのだろうか。

 もっとも、姉さんが普通のことを言っていることに対して、真里菜が斜め上に受け止めるからこそ色々おかしくなっているのだろうけれど。

 そもそも指を潰すって、中世における拷問の一つって聞いたことあるし。


「えっと……ぎゅっと握る必要はないよ。軽くでいいから」


「しかし、姉はぎゅっと握るのだと」


「僕の骨が折れるから!」


「それは困ります。では、軽くにします」


「……うん、そうして」


 ひとまず、痛めていない方の手を差し出して、真里菜の手を取る。

 どうも姉さんから色々聞いているみたいで、それをどう斜め上に解釈するのかそら恐ろしく思うけれど。


 まぁ、何にせよデートの始まりだ。


 真里菜と共に駅構内へと入り、そのまま切符売り場へ向かう。

 目的の動物園がある駅は、快速で三つ目だ。いくらの切符が必要なのかをちゃんと確認して硬貨を入れて、小さな紙が出てくる。ちゃんと、切符は二枚だ。必要経費くらいは、僕が出さないとね。

 デートっていっても、交通費と動物園の入園料くらいのものだから、そんなに大した額じゃないし。お弁当も作ってきたから、食事代もかからないし。

 さすがに、夕食はちゃんと家で作らないといけないから、夕方には解散する予定だ。これで夕食も一緒に食べることになった場合、我が家に欠食児童が一人増えることになるから。


「はい、真里菜さん」


「……これは?」


「切符だけど……あれ、真里菜さん、電車に乗るの初めて?」


「いえ、乗ったことはあります。ですが、もっと大きなチケットだったように思えるのですが」


「……?」


 僕の知る限り、切符というのは遍くこの形なのだけれど。


「……参考までに、いつ乗ったの?」


「中学のときの全国大会と、去年のインターハイです。昨年は福岡で行われました」


「新幹線には乗らないから安心して」


 さすがに、新幹線代までは出せない。

 新幹線には乗ったことがあって、普通の電車には乗ったことがないっていうのも、なかなか珍しい人間だと思う。逆に僕、新幹線に乗ったことないし。


「そういえば、朝ごはんは食べてきた?」


「はい、いつも朝練を終えたら食べるようにしています」


「真里菜さんは、朝夕は何を食べるの? 昼は玄米と鳥ささみと卵ってことは知ってるけど……」


「朝食は、割としっかり食べているつもりです。主に玄米と鳥ささみと卵を」


「……あ、変わらないんだ」


「必要な栄養素はサプリメントで補給しておりますので、問題ありません。高タンパク低カロリーの食事を行うことで、より筋肉のつきやすい体を作ることができますから」


「……そっか。じゃあ、夕食も?」


「いえ、夕食はほとんど食べません」


 あ、意外な意見が出た。

 僕としては、三食きっちり摂った方が健康に良いと思うのだけれど。


「夕食は、摂取したところでその後は眠るだけですから意味がありません。ですので、食べる必要性がないと考えております」


「……そう、なんだ?」


 僕なら、お腹が空いて眠れないと思う。

 だけどそれも、真里菜の今まで行ってきた生活習慣ということだろう。下手に僕が口を挟んで良いものではない。


「はい。ですので、お風呂上がりに青汁を飲むくらいです」


「……」


「勿論、ジョッキで」


「勿論、なんだ……」


 ……。

 お風呂上がりに、ジョッキで青汁を飲む女子高生。


 想像すると、物凄くシュールだった。

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