第42話 待ち合わせ
駅前で九時。
それが、僕と真里菜の待ち合わせ時間である。真里菜にしてみれば、日曜の朝練が終わった時間ということだろう。
「ふふ……」
どんな格好で来るのかな――そんな風に考えながら、リュックサックを背負って頰を緩ませながら歩く。多分、今の僕は世界中の人間を気持ち悪い順に並べた場合、割と上位に位置するだろう。
僕には今まで、友達と呼べる相手がいなかった。全ては北村にも言われた、僕の家庭環境に起因するものだけれど。
だから、こんな風に誰かと一緒に出かけたことなど、全くない。せいぜい、亜由美と一緒に買い物に行くくらいのものだけれど、妹と出かけるのはそこに合算されないものと思うし。
現在は、八時を少し回ったところだ。
僕の家から駅までは、徒歩十分ほどで到着する。だというのに、僕はこんな早い時間から準備をし、出かけているわけである。それも全部、一言で説明できるだろう。
待ちきれなかったのだ。
むしろ、八時を過ぎるまで待てた僕に感動したい。準備をしてお菓子を作って、それでも手持ち無沙汰でひたすら掃除を行ってきたのだ。さすがに時間がなかったから、リビングとキッチンくらいしか済ませていないけれど。
どきどきと、胸が高鳴っているのが分かる。
僕の格好、変じゃないよね。一応、手持ちの服ではそれなりに高いものを選んで着たつもりだ。真里菜にはそのあたり分からないと思うけど。
「ふぅ……」
そんな風に心を弾ませながら、ようやく駅前へと到着した。
時刻はまだ八時十五分。待ち合わせの四十五分前に来るとか、どれだけ僕が楽しみにしていたかよく分かるというものだ。
駅前にある謎のオブジェを囲む、コンクリートへと腰掛ける。ちなみに、この駅前にあるオブジェは謎の球体が四段重ねになっているという意味の分からない造形である。一応正式タイトルは『夢』というシンプルなそれだが、僕はこのオブジェからどんな夢を連想すればいいのだろうか。
どうでもいい話だが、球体は下から上に行くにつれて大きくなっていくという構造であるため、『逆鏡餅』というのが僕たちの間での通称だったりする。
「……」
そんな謎のオブジェに関する蘊蓄は置いといて。
ひとまず、シミュレートだ。女の子と外で待ち合わせをする、という行為自体が人生で初めての僕にとって、まず出会った瞬間に何と言えばいいのだろう。
そりゃ、僕だって漫画とか小説とかは一応嗜んでるよ。やること多いから、あんまり見てはいないけど。
そういう創作物の中では、大抵「ごめん、待った?」「ううん、今来たところだよ」というのが流れである。この場合、今来たところだと答えるのが僕である。
だが、真里菜が果たしてそのようにフレンドリーに接してくれるだろうか。真里菜の場合だと、「申し訳ありません、お待たせしてしまいました」とまず固すぎる挨拶から入るかもしれない。むしろ、間違いなくそうだろう。
だから僕は言うのだ。気にしないでいいよ、みたいな感じで。
うん。
掴みはこんな感じでいいだろう。あとはとにかく、緊張しないようにしないと。
平常心、平常心。できるだけ胸の音が止まってくれるといいな。完全に止まると僕死んじゃうから困るけど。
「すー、はー」
深呼吸で、まず自分を落ち着かせる。
これは僕と真里菜の初デートである。色々とインターネットで調べたけれど、男女の関係というのは初デートがある種の勝負になるのだと色々なサイトで書いてあった。初デートで印象の良い終わり方をすることで、次の機会に繋げることができる、という形である。
そのためにも、真里菜にはこのデートを楽しんでもらわなければならない。
そして僕も、そのために頑張った。割と頑張って努力をした。行き先が動物園ということもあるし、ちょっとした動物雑学を幾つか仕入れてきたのだ。
例えば、ニシゴリラの学名はゴリラゴリラ。ニシローランドゴリラの学名はゴリラゴリラゴリラっていう謎の名前がついている、とか。あとゴリラの血液型はみんなB型だとか。あとゴリラって猿の一種だから群れを作るらしいんだけど、ボスがメスゴリラでハーレムを作るせいでオスゴリラがあぶれるから、オスゴリラには割と同性愛が多いとか。
別にゴリラに関してだけ詳しいわけじゃないよ。今思い浮かぶのがゴリラの雑学くらいってだけで。
「……」
そんな風に思索に耽っているうちに、既に時間は八時四十五分。
十五分前だ。ここまで来れば、いつ真里菜が来てもおかしくない。そもそも真里菜は時間にはきっちりしているから、十五分前行動だって厭うことなくするだろう。
つまり、僕はいつ真里菜が来てもいいように、万全の状態で迎える準備をしなければならないわけだ。
ひとまず鼓動には落ち着いてもらいたいものだけれど。
通勤なのかレジャーなのかは分からないが、日曜日の朝でも割と客は多いらしく、行き交う人たちを見ながら小さく嘆息する。
中には子供連れで歩いている夫婦がいたり、くたびれたスーツで眠そうに欠伸をしているサラリーマンもいる。恋人同士が手を繋いで歩いている姿もちらほらと見かける。
僕と真里菜も、周りから見れば恋人同士に見えるのだろうか。絶対に、男からは「あの可愛い娘の彼氏があんな冴えない奴かよ!」みたいな目で見られることだろう。
そんな風に、黙って人の流れを見ていた僕の前に。
キキッ、とやや耳障りな音を立てて、一台の車が停まった。
……車?
「え……」
赤いスポーツカーだ。僕は車に詳しくないから、その車種までは分からない。だけれど、率直な意見としては「高そう」だ。
我が家には車がないから、ちょっと羨ましい。父さんは仕事上、車で移動しないんだよね。
そんなスポーツカーから出てきたのは――真里菜。
「ありがとうございました、姉さん」
「いいわよー。それじゃ、楽しんできてねー」
「はい。それでは」
中の、恐らく運転席にいるのであろう誰かと、そんな風に真里菜が言葉を交わして。
扉を閉めると共に、スポーツカーは走り去っていった。
いや、話の流れから、多分姉さんなのだろうけど。僕、顔見てない。何かご挨拶でもするべきだったのだろうか。
いきなり、そんな風に計算違いから始まった。ちょっと予想外の出来事に、僕困惑してる。
だが、その後真里菜は僕の方を向き。
凛と背筋を伸ばして、鋭い眼差しで。
僕に向けて、言った。
「ごめん、待った?」
……。
え、真里菜さん、どうしちゃったの?
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