第39話 論破

「な……なっ! 今、何と言った!」


「おやコーチ。まだ耳が遠くなるには早いと思うのですが」


「そういう意味ではない! お前、自分が何を言っているのか分かっているのか!」


「勿論、分かっていますとも。それを踏まえて申し上げます。私は柔道部を退部します」


「なっ……!」


 北村が目を見開きながら、絶句している。

 そして、それは僕も同じだ。真里菜は柔道家として、世間に知られている天才女子高生だ。次のオリンピックに出場することは間違いなく、必ずや日本に金メダルを持ち帰ってくれると話題である。

 そんな、天才である彼女が。

 柔道部を――やめる。


「だ、だが、お前が、柔道部を退部したら……!」


「別段、困ったことにはなりませんよ。私は」


「ど、どういうことだ! お前はスポーツ特待生として……」


「スポーツ特待生としての立場が失われても、構いませんよ。それほど我が家は貧乏というわけではありませんし、今後の学費くらいは捻出してくれるでしょう。成績はまぁ、武人にでも勉強を教えてもらうことにしましょう。まぁ、数学が絶望的に不得意であること以外は別段問題ありませんので」


 それは十分問題だと思うのだけど。

 僕も理数系、決して得意なわけじゃないよ。いつも平均点くらしか取れないし。

 いや、今突っ込む部分はそういうところではなく。


「だ、だがっ! 練習はどうするつもりだ!」


「今後は警察署での練習をメインにやっていく形ですね。あとは、家の道場ででも練習をしましょう」


「い、インターハイはどうするもりだ!」


「まぁ、柔道部を退部するとなれば出場できませんね。まぁ、その代わり別の柔道大会にでも出場しましょう。別に、大会を選ぶわけではありませんし」


「だ、だが……!」


「ご存知とは思いますが、北村コーチ」


 真里菜が、鋭い眼差しで北村を睨みつける。

 それは肉食動物のような、猛禽類のような、獰猛な視線だ。元メダリストである北村でさえ息を呑むほどの殺気――もしも僕が北村の立場なら、ちびっているかもしれない。

 それほどの気迫が、その視線には込められていた。


「私は、全柔連の特定強化選手です。栄玉学園柔道部の籍を失ったところで、そちらの立場で試合に出場すればいいのですよ」


「――っ!」


 全柔連――それは、全国柔道連盟の略だ。具体的には、全国に存在する柔道選手が、全て登録をしなければならない組織である。

 そして、そんな全柔連は数多の選手たちの中から、オリンピックで戦えるような選手を選考し、強化選手にしているのだ。

 真里菜の強さ、そしてこれまでの功績を考えれば、当然のことなのかもしれない。初耳だけど。


「インターハイに出場するから、ということで海外試合などは断っていましたが、そちらを全力で行えば済む話ですね。北村コーチは存じていると思いますが、全柔連の競技者登録を行うのは確かに所属している部活動の指導者です。しかし、既に強化選手に選ばれている私には関係のないことです。私という選手を、既に全柔連が認めてくれているということですから」


「うっ……!」


「さて……では逆に、そんな強化選手である私が、唐突に柔道部を退部したと全柔連に申し立てれば、どうなるか分かりますか? 強化選手が所属している高校で、部活を辞めるという事態が発生したのですよ。その責任はどこにありますか? 指導者に、その部活動において指導する資格なし、と認定されてもおかしくないでしょうね」


「……」


 北村の顔から血色が引き、次第に青くなってゆく。

 北村が全柔連という組織から、どのように評価されているのかは知らない。だけれど、確かに真里菜の言う通りだ。普通、特定強化選手になっているような選手が、部活を辞めるはずがないのだから。

 ならば、そこに何らかのトラブルが発生したと考えて然るべきである。


「さて。その場合、何だと思われるでしょうか。そういえば昔、指導において性的な猥褻を行った柔道選手がおりましたね。北村コーチは男性で、女子柔道部のコーチです。私が何も言わずとも、世間はどう判断するでしょうか」


「き、きさ、貴様っ……! 脅すつもりかっ!!」


「私はただ事実を話しているだけですよ。別段、私は北村コーチに性的な嫌がらせをされたと訴えるつもりもありませんし。ただ、マスコミの前で退部した理由は決して述べません。黙秘を貫きます。それで世間の皆様がどう判断するかは……お分かりになりますよね?」


「……」


 なにこれこわい。

 完全に立場が逆転してる。僕に対して脅迫をしていたはずの北村が、今度は真里菜に脅迫をされているという事態だ。

 だけれど、完全に真里菜の勝利だ。ここで北村に、反撃の一手など存在するまい。


 和泉真里菜という柔道選手は、それだけ評価されているのだから――。


「さて、北村コーチ」


「……」


「ご自身の立場を失うのと、部活動における『恋愛禁止』という謎のルールを破っていることに対する目溢しは、どちらが良いですか? 私はどちらでも良いですよ」


「……」


「もっとも、今後は指導していただこうとは思いませんが。ああ、さすがにマスコミには言いませんが、学園長にだけは報告させていただきますよ。あなたの行動は、それだけ度が過ぎています」


「……」


「それで、返答は?」


 完全に王手をかけた、そんな真里菜の言葉に。

 北村は苦々しい表情で、「勝手にしろ……」とだけ呟いた。

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