第38話 真里菜の覚悟
「和泉……何故、ここに……!」
「おや。私がいてはできないお話だということでしょうか?」
「お前は練習中だろう! きっちり毎日反復練習を積み重ねることこそが、何よりの近道だと……!」
「失礼、北村さん」
すっ、とそんな真里菜の後ろから現れたのは、高橋先生だった。
突然席を外したから、どうしたのかと思っていたけれど。
まさか、真里菜を呼んできてくれたのだろうか。
「……高橋先生」
「ああ、当人のいない場所で勝手に決めつけられているのは、私としても色々と業腹でしてね。お話の内容から察するに、二人で話すよりは三人で話した方が良いかと思って連れてきました」
「……余計な真似を」
「和泉がいればできないような話ならば、最初からしない方が良いかと思いますよ」
高橋先生の言葉に、北村が顔をしかめる。
ふんっ、と鼻息荒く背もたれに深く体を預けて、北村がそのまま腕を組んだ。
「座れ、和泉。だったら、お前にもしっかり話しておこう」
「いいでしょう。何を言われるかは大抵分かっていますが」
「お前の将来にも関わる大事な話だ」
北村の促しと共に、真里菜が僕の隣に座る。
既に北村に責められ、打ちひしがれている僕は、何も言えない。
真里菜がやってきたところで、状況など何も変わらない。僕の家庭環境は決して変わらないし、父さんの仕事だって変わらないのだから。
僕はただ、北村の言葉に頷くしか――。
「道中で、簡単ながら高橋先生に話は聞きました。私と武人は今、恋人関係にあります。それが北村コーチには気に入らないのでしょうか」
「その通りだ」
「理由をお聞かせ願えますか」
「この男の父親は、暴力団の一員だ。もしも今後、週刊誌などでお前と暴力団に関係があるとでも報道されてみろ。オリンピックへの出場権も失われる可能性があるし、公式の試合に出場することができなくなるかもしれない。だからこそ、今のうちに暴力団との関係は縁を切っておくべきだ」
つい先程、僕が言われたことだ。
決して暴力団の一員ではないと、声高に叫びたい。だけれど、僕にはそれが言えないのだ。
何故、こんな風に秘密を抱えねばならないのだろう。いっそのこと、父さんが僕に真実を教えてくれなければ、僕だって諦めがついたかもしれないのに。
「なるほど、オリンピックの出場権が失われる可能性がある、と」
「そうだ。日本の代表として、日の丸を背負って戦わねばならないのだ。そこに品性が求められるのは当然のこと。裏で暴力団との手を組んでいたとなれば、黒い噂が立って当然だ。それが真実であれどうであれ、少なから代表選手の審議会においてはマイナスに働く。お前の未来が閉ざされる可能性だってあるのだ」
「なるほど、理解しました」
「分かったか。ならば、早々に――」
「お話は以上ですか? ならば、私からも問います。それがどうかしたのですか?」
まるで何でもないかのように。
決して虚勢でも何でもなく、真里菜は不思議そうにそう北村へと尋ねた。
オリンピックの代表選手になれないと、そう示されているというのに。まるで何事でもないかのように。
ただそよ風のように北村の言葉を流しながら。
「お前、どういうことなのか本当に分かっているのか!」
「ええ。私が品性のない選手としてオリンピックの審議会でマイナスに働き、オリンピックに出場することができない可能性がある、と。そういう話だと理解していますが」
「ならば、何故――」
「その程度の風評など吹き飛ばす成績を出せばいいのでしょう。容易いことです」
え。
思わず、真里菜の言葉に目を見開く。
北村の言葉によれば、オリンピックの代表選手は様々な理由で選ばれる。直近の成績、経験などその内容は様々だ。
そして、その中に含まれている『品性』という項目。
真里菜は――その程度のことはどうでもいい、と評価されるほどの成績を叩き出すと、そう言っているのだ。
「それで、私は何をすればいいので? ひとまずインターハイで優勝でもすればいいでしょうか? その後は世界選手権ででも優勝すればいいのですか? 国際大会だろうが国内大会だろうが、全部を制覇する自信がありますが」
「な、なっ……!」
「オリンピック代表選手の審議会とやらが、何があろうとも選ばざるを得ないだけの成績を収めればいいのでしょう。容易いことです。それで……お話は以上ですか?」
「そっ、それが、どれほど難しいことか分かっているのか!」
「分かっていますよ。私もアスリートとして柔道の世界に身を置く者ですから。一筋縄ではいかないと思います。今まで以上の努力を重ねなければならないでしょう。別段、柔道に関して努力することは苦ではありません。世界一になるためならば、どれほどの練習でもしましょう」
はっきりと、しっかりと、そう述べる真里菜。
隣で聞いているだけの僕でも、もう理解できない境地にある。
それは――勝って勝って勝ちまくって、風評など吹き飛ばすほどの成績を叩き出し、絶対にオリンピックに出場するという宣言なのだから。
「そうすれば、私が武人と別れる理由はないということですね」
「お前っ……何を考えている! この大事な時期に、恋人とちゃらちゃらしているような時間があると思っているのか!」
「ちゃらちゃらはしていませんよ。武人のために時間を作るならば、別の時間を練習に充てています。今朝だって四時から朝練をしましたし」
「叩き起こされたこっちの身にもなれ!」
北村の言い分は真っ当である。確か、四時に叩き起こしたとか言っていたし。
だけれど、圧倒的なまでに真っ直ぐに、そんな風に正面から北村の言葉を否定する、そんな真里菜は。
美しかった。
顔立ちだけじゃない。美しいのは、その生き様だ。一本芯が通ったような、そんな己に対する自信が見える姿。
「では、認めていただけるのですね。私はそれだけの成績を叩き出してみせますとも」
「認めるか! 柔道部において、恋愛は禁止だと何度も私は言っているだろう!」
「なるほど、柔道部においては恋愛は禁止だと。確かにそういうルールはありますね。私もアスリートとして、ルールには従わなければなりません」
「分かれば……!」
「では、こうすればいいのですね」
真里菜は無表情のままで、そう北村を睨みつけて。
小さく、頭を下げた。
何故、このタイミングで頭を下げるのか――そう、何も言えない僕が、困惑していると。
特大の爆弾を――真里菜は、そこに落とした。
「北村コーチ、今までお世話になりました。私は柔道部を退部させていただきます」
「――っ!!」
真里菜のそんな爆弾に。
北村は口をぱくぱくと開けたり閉じたりしながら、言葉を失っていた。
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