第37話 閉ざされた未来
「……北村さん」
僕が答えに詰まっていると、唐突にそう高橋先生が口を開いた。
なんとなく、眉間に皺を寄せながら。不快感を示しているかのように。
「生徒のことを貴様と呼ぶのは、どうかと思いますがね」
「私にとって、指導すべき相手は柔道部の連中だけです。この男はそうじゃない。むしろ、和泉の将来を断とうとしている害悪だ」
「……そうですか」
高橋先生の言葉にも、そうふんっ、と鼻息荒く返す北村。
こいつがどんな立場なのかは分からないけれど、高橋先生からも強く言えない立場にあるのだろう。オリンピックの元メダリストだし、持つ権限は大きいのかもしれない。
「申し訳ありませんが、北村さん」
「はい?」
「少しばかり、席を外させてもらいますよ」
「ええ、私は指導を続けさせていただきます」
「……」
北村の言葉にも、やはり眉をひそめる高橋先生。
何が指導だ。ただの恫喝に過ぎないというのに。だけれど高橋先生はそれ以上何も言わずに、そのまま生徒指導室から出て行った。
残されたのは、向かい合う僕と北村だけだ。
「さて……貴様が余程の馬鹿でないのならば、私の言っていることは理解できるだろう」
「……」
北村の言葉に、答えることができない。
僕の父さんは国家公務員だ。だけれど、それを証明する手段がどこにもない。おとり捜査を行うことのできる唯一の職業である麻薬取締官は、その素性が知れてはいけないのだ。父さん曰く、「ご近所さんにすらヤー公と思われてなくちゃならねぇんだよ」とのことである。
その事実を知っているのは、家族だけだ。僕と姉さんと亜由美、そして死んだ母さんだけである。
だからこそ、僕は言えない。
言ってしまえば、それで父さんの仕事は終わってしまう。裏社会の張り巡らされた情報網の中に、父さんの正体が麻薬取締官だという話が流れる可能性だってあるのだ。
それで職を失うだけならばまだしも、報復として命を狙われる可能性だってある。
だから――僕は、下手なことを漏らすわけにはいかないのだ。
「暴力団と有名人の繋がりが、どのようなことになるかは知っているだろう」
「……」
「例えば……そうだな、若いから知らないかもしれんが、往年の名司会者が、暴力団との繋がりを明かされてテレビから姿を消した、という事件もあった。当時、テレビ業界で最も力を持っているとされた人物がな。そのくらいに、暴力団との繋がりというのは決してあってはならぬものなのだ」
「……」
事実だ。
僕は詳しく知っているわけじゃないけど、そういうニュースは見たことがある。そういう情報を、どこから得るのかは知らないけれど、ナントカ砲みたいな形で報じられるのだ。
それが媒体をテレビに変えて国民に蔓延し、有名人がその居場所を失うというのもテレビにおける一つの流れのようなものだと思う。
そして、僕の父さんは決して明かすことのできない国家公務員。
裏社会の張り巡らされた情報網の中でさえ、自分のことを暴力団の一員としているのだ。ならば、週刊誌の記者からもどう考えても暴力団の一員と思われるだろう。
そんな暴力団関係の男の息子――つまり僕と、真里菜が交際をしているという事実。
それを週刊誌の記者が掴んだ場合、間違いなく大々的に報じられることだろう。『美少女柔道選手、裏に黒い交際が!』みたいに。
「貴様と和泉が交際をしているという事実を、週刊誌が報じた場合……下手をすれば、オリンピックの出場権すら失われる可能性がある」
「えっ……!」
「オリンピックというのは、具体的な選考基準があるわけではない。直近一年間の試合における成績、過去の経験、世界選手権大会での成績、現状、代表として適切か……そういった基準によって選出されるものだ。そして日本の代表として日の丸を背負わねばならない以上、そこに品性が求められるのも当然の話だ。そこに僅かにでも暴力団の影があれば、それだけで代表として相応しくないという烙印を押されることになる」
「……」
答えられない。
答えることができない。
僕のせいじゃない。僕が何をしたわけでもない。
だというのに。
僕のせいで、真里菜の未来が閉ざされる――。
「これで分かっただろう。貴様が、どれほど罪深いことをしているのか」
今まで、考えたこともなかった。
父さんの仕事が特殊だということは分かっている。だけれど、それが僕でない誰かに被害を与えることになるなんて、全く考えが及ばなかった。
いや。
むしろこれは、僕に今後一生付きまとってくる問題だ。僕は父さんが暴力団の一員でないと知っているけれど、それを証明する手段はどこにもない。将来的に結婚を考えるような相手ができたとしても、僕の父さんの職業を知って、ご両親が反対してくる可能性は少なくない。
じゃあ、僕は――どうすればいいのだろう。
「いいか、今後一切、和泉に近付くな。本音を言うならば、貴様に退学処分を与えたいくらいなのだからな」
「……」
言葉に、出せない。
自己嫌悪とか、どうしようもない落胆とか、そういうのが混沌となって襲いかかってくるように思える。だけれど、この北村という男の言葉は間違いなく正しいし、僕にはどうすることもできない事実もある。
だったら――僕は、身を引くことしかできないだろう。
真里菜の幸せを考えるならば、僕はいない方がいいのだ。
ぷるぷると、拳が震える。
僕だって、真里菜に恋人だと思ってもらえて、嬉しかったのだ。少なからず好意を寄せられて、喜んでいたのだ。
一緒に遊ぼうと約束した次の日曜日も、楽しみにしていた。
まだ、真里菜と関わるようになってから、日は浅い。
「私に女子力を教えてください」という謎のお願いをされたのが、先週の水曜日。
何故か加奈子と三人で昼食を摂るようになったのが、先週の木曜日。
豆腐で作ったクッキーを渡して、初めてのお菓子に喜んでくれたのが、先週の金曜日。
僕の家で、真里菜を着せ替え人形みたいに飾って、お化粧をしたのが、日曜日。
何故か学校中に真里菜の恋人だということが知れ渡ったのが昨日、月曜日。
無言の登校という謎の行動をしたのが今日、火曜日。
僕と真里菜が話すようになって、まだ一週間も過ぎていないのだ。
ようやく芽生えて、育み始めた想いは。
花咲く前に――こんなにも簡単に、摘み取られた。
「答えろ。今後一切、和泉に近付くな。分かったな?」
「……僕、は」
言葉に詰まり、何も言うことができず。
ただ、その言葉に頷こうとした、その瞬間に。
がらりと、ノックもなく生徒指導室の扉が開いた。
恐らく、席を外していた高橋先生が戻ってきたのだろう――そう、僕が顔を上げると。
「失礼」
そこには。
和泉真里菜が、いた。
思わず、目を見開く。
何故ここにいるのか。今は柔道部の練習の時間だというのに。
実際に真里菜は柔道着姿だし、僅かに上気した頬には汗が流れている。どう見ても、練習を途中で抜け出してきた、という姿だ。
そんな真里菜の出現に、北村も驚いて席を立っていた。
「い、和泉っ!? な、何故お前がここに!」
「いいえ……少々、楽しそうな話をされているらしいですね、北村コーチ」
ぴきぴきと、額に青筋を浮き立たせながら。
まるで修羅のように、憤怒に染めた表情で。
真里菜は、北村を睨み付けた。
「私にも、そのお話とやらを聞かせてはもらえませんかね」
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