第36話 指導という名の恫喝

 生徒指導室。

 一般的に言うところ、体育教師なんかが使用するその名の通り『生徒への指導を行う部屋』である。当然ながら、成績は極めて一般的な普通の人間であり、特に法を犯したこともなければ校則に違反したこともない僕は、初めて訪れる部屋でもある。

 何故か僕は、北村と名乗った柔道着姿の男性に連れられて、そんな部屋の前へと来ていた。


「入れ」


「はぁ……」


 なんだか、取調室に連れられる容疑者のような扱いだ。僕、別に何もやった覚えがないのに。


「あん……? 北村さんに、千葉? おい千葉、お前何やったんだ」


「ああ、高橋先生、失礼。少しばかり場所をお借りしますよ」


「いや、それは構いませんが……一体?」


「とりあえず、そこに座りたまえ、千葉武人」


「はぁ……」


 中にいたのは、常にジャージのおっかない体育教師である高橋先生だった。生徒指導の役割も持っている高橋先生は、不良からは目の敵にされている存在でもある。

 まぁ、不良でもない一般庶民である僕にとっては、普通に熱血な体育教師だ。信頼できる人だと思っている。

 少なくとも、僕の目の前で威圧的に座る柔道着のこいつよりは。


「北村さん? 事情を説明してもらえませんかね?」


「高橋先生、それは後ほど。まずは、色々と話を聞かねばならないもので。高橋先生は席を外していただいても?」


「……ここは私が全権を委託されている部屋です。ここで生徒を指導するのであれば、同席させていただきますよ」


「そうですか。あまり面白いものではないでしょうが……おい、貴様」


 ぎろり、と。

 ただでさえ強面の柔道着――北村が、僕を睨みつける。

 そんな北村の言葉に、思わず高橋先生も眉根を寄せるのが分かった。少なくとも、指導する立場である北村が、僕に向けて『貴様』などと言うのは一般的におかしな話である。


「これから、私の質問に答えてもらう」


「はぁ……」


「男ならば、もう少しはきはきと喋れ。まったく、軟弱な。男らしくもない。顔もそうだが、態度もそれではな」


「……」


 なんでいきなり、僕が多少女顔なことを言われなきゃいけないんだ。

 僕、キレてもいいのかな。若者らしく、キレる十代になっちゃっていいのかな。


「で、だ……貴様、和泉真里菜とどういう関係にある」


「……友人ですが」


「嘘は良くない」


「……」


 まぁ、そうだよね。

 柔道部の部室で、思い切り宣言したって言ってたし。それがコーチの耳に届いても当然

だ。

 僕にはまだ実感がないのだけれど、一応僕と真里菜は恋人関係にあるわけで、友人だと言ったところで完全に嘘なのは一目瞭然である。


「貴様と和泉は、恋人関係にある。そうだな?」


「……まぁ、そうです」


「今すぐに別れろ。今、和泉は大事な時期だ。そのような時期に、恋人など必要ない。和泉は今、来るべきオリンピックに向けて練習を重ねなければならない時期なのだ」


「……」


 大体予想はついていたけれど、やっぱりそうだった。

 だけれどまさか、こんな風にいきなり言われるなんて思わなかった。大人なら、もう少しオブラートに包んだ言い方はできないものなのだろうか。

 事実、隣で聞いている高橋先生も眉を顰めてるし。


「北村さん、生徒の恋愛事情にまで踏み込むのは、本分を超えたものだと思いますが」


「それは一般生徒の場合ならばでしょう。和泉はスポーツ特待生であり、日本柔道界の宝です。今、この時期こそが最も伸びる。そのような時期に、恋人など必要はない。私は柔道部の指導において、全権を委託されているのですよ」


「……そうですか」


「そういうことです。で、だ……千葉武人。いいな。今週中には別れろ」


「……嫌だと言ったら、どうするんですか?」


 僕も、多少の苛立ちを言葉に込めて、そう尋ねる。

 そもそもいきなり呼び出して、僕と真里菜の恋人関係に口を挟むこの男こそ、害悪ではないか。指導という言い方こそしているけれど、それは圧政に過ぎない。

 花の女子高生である真里菜に、柔道以外の楽しみを何も与えないなど、指導として間違っていると思う。


 だけれど僕の言葉に、北村は鬱陶しそうに溜息を吐いた。


「和泉がスポーツ特待生であることは知っているな」


「はぁ」


「スポーツ特待生は、学費の全てが免除という形になる。加えて、成績がどれほど悪かろうと進級をすることができる。その代わりに、特待生として相応しい行動をしなければならない。少なくとも和泉は、全国大会の個人戦において三位より下になった場合、特待生としての扱いが消える」


「……」


 全国大会における、個人戦三位。

 そんな一言ではあるけれど、それは恐ろしく高い壁だ。少なくとも、日本において三本の指に入る強さを持たねばならないということなのだから。

 それを継続しない限り、特待生になれない――それは、どれほどの苦行であるのか。


「そして、もう一つ。『スポーツ特待生は、栄玉学園において規範となるべき存在であること』という一文がある。つまり、栄玉学園における校則を守ること、ということだ」


「はぁ……」


 だから何なのさ。

 別に真里菜は髪も染めていないし、制服だって崩していない。校則違反なんて全くしていないだろう。

 授業中に眠っているのは、特待生として認められていることだし。まぁ、推奨できることではないと思うけど。


「では、校則において『不純異性交遊』はどういう扱いになるか知っているか?」


「――っ!」


「栄玉学園において、不純異性交遊は認められていない。つまり、男女交際は認められていないということだ。貴様と和泉の関係は、栄玉学園における校則違反となる」


 思わず、北村の言葉に僕は目を見開いた。

 不純異性交遊という言葉は、僕だって聞いたことがある。だけれど、そんな校則などあってないようなものだ。

 クラス内にだって、恋人関係にある者なんて何人もいるし。そういう関係の男女に対して、先生は「いちゃつくんじゃねーよ」などと言うけれど不純異性交遊として罰することはない。

 そんな、存在すら危ぶまれる校則――そんなものを、盾にされても。


「そのように、栄玉学園生徒として相応しくない行動をする和泉を、これからもスポーツ特待生として扱うことができると思うかね?」


「ちょ、で、でも、それは……!」


「加えて、何よりも貴様の家庭環境が、和泉にとっては害悪でしかない。貴様にはそれが分からんのか」


「は、はぁ!?」


 僕の家庭環境?

 ごく一般的な家庭ではないけど、別に僕の家庭に問題なんてない。父さんはあの姿だけど、ちゃんとした国家公務員だし――。


「和泉の恋人の父親が、暴力団だとマスコミに露呈してみろ。和泉の将来は、それだけで永久に閉ざされることになる」


「――っ!」


 僕の父さんは、麻薬取締官。

 それはご近所さんにすら、極端な例では家族にすら職を打ち明けてはいけない。父さんは、絶対に人に話すな、という約束で僕と亜由美にだけは話してくれているのだ。

 だから、僕はそれを北村に話すことができない。

 決して暴力団に所属しているわけではないと。

 決してヤのつく自由業ではないと。


 もしも、それがマスコミに知られたら。

 真里菜が、どれほど強く世間から叩かれることだろう――。


「分かったら、すぐに和泉と別れろ。話は以上だ」


「……」


 そんな、言葉を失った僕に。

 北村の見下した視線と、高橋先生の気の毒そうな視線が、交わった。

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