第35話 新たな闖入者
「さて武人、それでは一緒に帰りましょう」
「一緒に帰る必要はないから柔道部の練習に参加して」
「しかし登下校を一緒にすることが私のミッションであり」
「ミッションとかじゃないから。というか、僕の家に一緒に帰っても結局学校に戻って柔道部の練習に参加するんだよね? それじゃ、下校じゃないよ」
「ふむ……」
さすがに、僕のせいで柔道部の練習に支障が出たとなると、申し訳ない。
一緒に帰るのなんて、テスト期間とかそういう部活ができないときだけでいいと思うし。早起きして朝練を済ませてまで、一緒に登校をしたいとは思わない。
まぁ、僕だってそりゃ嬉しかったけどさ。朝、迎えに来てくれて。
でもそのせいで負担をかけるのは、さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「あれ、いずみん練習いかないの?」
「いえ、行きます」
「でもさっき、一緒に帰るって言ってなかった?」
「はい。武人の家まで一緒に帰って、私は学校に戻って柔道部の練習に参加しようと」
「……それ、意味なくない?」
うん、加奈子は実に常識人である。
加奈子の持つ常識の一割でいいから、真里菜が持っていてくれたらと思わないでもない。
「ふむ……意味がないのですか」
「うん。てか、そういう形で柔道の練習時間を割くのはさ、いずみんが良くても千葉が駄目だと思うよ」
「何故武人が駄目なのですか?」
「だって、自分のせいでいずみんの練習時間が削られて、もしも大会で負けたりすれば責任感ヤバいよ絶対。一緒に帰るのとか、別にテスト期間とかでいいじゃん。今は練習に専念しなよ」
「ふむ……」
さすがは加奈子、僕の言いたいことをよく分かっている。
僕だって、真里菜と一緒に帰るのが嫌というわけじゃない。僕のせいで練習に専念できないのが申し訳ないと思うだけなのだ。
実際に加奈子の言う通り大会で負けでもすれば、それこそ責任感で押し潰されるだろう僕が見える。
「なるほど。では承知いたしました。登下校を一緒に行うのは、テスト期間まで待ちましょう」
「うん。そうしてくれると助かる」
「では武人、また明日に」
「うん」
「んじゃ千葉、またねー」
「ああ」
加奈子と真里菜が、連れ立って教室から出ていくのを見送る。
さて、僕も早く帰って洗濯物を取り込まなきゃ。あとはスーパーに寄って食材も色々買い足しておかなきゃいけないし。
見切り品のコーナーとか行くと、テンション超上がるよね。トマト三つ入りで五十円とか見ると、もう買わずにいられなくなる。もっとも、亜由美がトマト嫌いだから主に食べるのは僕ばかりなんだけど。
あとは、肉類でも半額の品とかあれば今夜のメニューを変更することもできるし。少し前に買った豚肉を使って肉じゃがでもしようかと思っていたけど、あれはまだ保つ。
あ、別に、我が家にお金がないってわけじゃないよ。父さんあれで国家公務員だから、収入は一般家庭より多い自信があるし。
でも、少しでも家計を安く抑えたい、っていうのは大抵の主婦の考えだと思う。
僕、主婦じゃないけど。
そんな風に考えながら、僕も帰ろう、と立ち上がる。
当然ながら、友達のいない僕には一緒に帰る相手はいない。
「ふぅ……」
そして教室を出て、リノリウムの床を革靴でかつかつ音を立てながら歩き、階段に差し掛かる。
二年生の教室は二階にあるので、一度降りなければいけないのが面倒だ。もっとも、一年生は三階なので、一年生の頃は階段の昇り降りだけで息が上がっていたけれど。僕は運動が苦手なのです。
と、そんな風に階段を降りようとした僕の肩が。
唐突に、他の誰かに掴まれた。
「あー……」
ついに来た。
和泉真里菜の非公認ファンクラブの者だろう。彼らにしてみれば、僕は天上人である真里菜の恋人という身分なのだし。
ちなみに、そんなファンクラブの血気の盛んな者には、少なからず殴られる未来が訪れると思っている。だけれど僕もそれに対して、決して対処していないわけではない。現在も、僕の胸ポケットではボイスレコーダーがちゃんと動いている。
もしも殴られたり蹴られたりした場合、このボイスレコーダーが暴行という証拠になってくれるわけだ。
でも、使うのはすぐじゃない。とりあえず殴られたり蹴られたりしても、今は耐える。
僕は決して手を出すことなく、彼らのされるがままに任せる。
この証拠を使うのは、五年ほど後のことだ。
ちなみに傷害罪の時効は十年。五年後でもちゃんとした罪になるし、ちゃんとした刑事罰が与えられる。つまり、五年後の僕を殴った誰かは、『大学四年生で就職が決まったタイミング』で僕に告訴をされるわけである。ちなみに、このあたりの知識は父さんに教わった。
今嬉しそうに誰かをいじめている者がいるのなら、もうやめた方がいいよ。将来的に、自分の未来を壊されるタイミングで告訴される可能性があるからね。
「千葉武人というのは、お前か?」
「ええ」
さぁ、存分に殴るといいよ。僕は手を出さないから。
そう思いながら振り返る、僕の目に最初に映ったのは。
柔道着、だった。
「……え?」
「覇気がないな。若者ならばもう少し元気を出せ。まぁいい。少し、お前に話がある。こっちに来い」
そんな柔道着に身を包んでいるのは、中年の男性である。何をどうサバを読んだところで、高校生だと主張するのは無理があるだろう。
それも当然だ。この人は、高校生ですらないのだから。
僕だって、少しくらいは話を聞いたことがある。
そもそも親しい友人が加奈子くらいしかいない僕にとって、情報源は大抵彼女だ。そして友人が多いとはいえ、柔道部という狭いコミュニティに所属している加奈子から与えられる情報というのは、大抵柔道部関連の情報である。僕には全く役に立たないけれど。
そんな加奈子から聞いた事実。
それは――。
「ああ、私は柔道部のコーチをしている北村だ。話の内容は分かっているだろう?」
「……」
「和泉真里菜について話がある」
僕が子供の頃に行われたオリンピック。
その表彰台に立ち、金メダルを掲げた当時の最強柔道選手、北村正輝。
彼が今、柔道部のコーチをしているということ――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます