第34話 謎の登校

 突然だが、僕は割と女顔だと言われる。

 男の子は母親に似るというけれど、確かにその通りだ。僕のどこに強面の父さんの遺伝子が継承されたのか分からないくらいに、僕の顔立ちは女顔である。

 小学校の頃に、好きだった女の子に面と向かって「たけひとくん、あたしよりかわいいからきらい」と言われた過去もある。あのときばかりは僕も泣いた。


「ふぅ……」


 さて。

 月曜日は既に嵐のように抜け去り、今日は火曜日である。長い一週間はまだ始まったばかりだ。

 いつも通りのルーティンワークとして家事を終わらせて、父さんのモーニングコーヒーと朝食を用意した後で亜由美を叩き起こすのは、毎日の僕の仕事だ。もっとも、父さんのモーニングコーヒーを淹れるのは随分久しぶりだったけれど。

 亜由美はコーヒーのことを苦い飲み物だと思っていて、まだ飲めないのだ。そして、僕一人のためだけにコーヒーを淹れるというのも家計に申し訳ないため、父さんのコーヒーを一緒に用意するときくらいしか僕も飲まない。ちなみに亜由美にコーヒーを出すと、砂糖をこれでもかというほど入れるため、亜由美が飲んでいるのはコーヒーでなく砂糖水だと僕は思っている。

 さて、そんな週の始まり二日目。

 いつも通りにお弁当を持ち、良い時間になったのでさぁ出るか、と玄関の扉を開いた先に。


「おはようございます。武人」


「……え?」


 何故か、そこに。

 和泉真里菜の姿が、あった。


「どういうこと!?」


「朝に会ったらおはようだと思うのですが」


「え、あ、あ、う、うん。おはよう?」


「ええ、おはようございます」


「……」


 いや、そうじゃなくて。

 今は七時五十分だ。そして学校の予鈴が鳴るのは八時二十五分であり、僕は大体八時十分には到着するように、この時間に家を出ている。

 だが、この時間に真里菜がいるはずがないのだ。この時間は、常に柔道部では朝練をしているのだから。始業ギリギリまで。


「ど、どうしたの……?」


「いえ、武人を待っていたのですが」


「なんで……」


「昨夜、姉に言われまして」


 今度はどんな妙なことを言ったのさお姉さん。

 会ったことないけど、僕には文句を言う権利があると思う。


「恋人ができた、と報告をしたのです」


「何故……」


「すると、姉は言いました。『高校時代の恋人同士とかいいよねー。ほら、学校の行き帰りとか一緒に登下校とかしちゃって、あの時間がすごく楽しいんだよねー』と。ここで私は閃いたのです」


「どうしよう、嫌な予感しかしない」


「つまり、恋人関係というのは登下校を一緒にしなければならないのだと」


 僕の意見なんて聞いてくれないよね。うん、知ってる。

 でも、それだと困るのではなかろうか。僕はよく知らないけど、柔道部の朝練ってそう簡単に抜けれる代物じゃないだろう。

 それに下校も一緒にするとか、柔道部の練習に響くはずだ。


「その……朝練は?」


「途中で抜けました」


「いや、それは不味いよ。真里菜さんはスポーツ特待生なんだから、ちゃんと練習に……」


「ご安心ください、代わりに、朝の四時から朝練をしています。コーチは叩き起こしました」


「全力で間違っている方向にアグレッシヴなのはどうにかしてほしいんだけど」


「さぁ、一緒に登校をいたしましょう」


「……あ、うん」


 まぁ、ここで言い争っていても仕方ない。

 せっかく真里菜が来てくれたわけだし、今日くらい一緒に登校するのも悪くはないだろう。でも、ちゃんと明日からは朝練に参加してもらわないと。

 僕のせいで真里菜の練習が減ったとなると、さすがに責任取れないし。


 二人で肩を並べながら、学校までの道を歩く。

 やはり柔道家であるからか、ぴんと背筋を立てた綺麗な姿勢だ。僕よりも低い背丈だけれど、姿勢がいいから大きく見える。

 もっとも、この時間というのは登校する生徒でごった返す時間帯だ。早すぎることもなく遅すぎることもない。そのため、自然と僕たちの周りには同じ目的地を持つ高校生で溢れているのだ。

 そんな中を、僕と真里菜の二人で歩いているというのは。


「……あれ、和泉さんでしょ。彼氏できたって本当だったんだ」


「……あんまり冴えない奴みたいだけど」


「……柔道部の朝練、いいのかな?」


「……そんなにラブラブなんだ。すごいねぇ」


 自然と、注目の対象になるのである。


 元より天才柔道選手として注目されている真里菜にしてみれば、この程度の注目は涼風のようなものだろう。だけれど、ノミの心臓である僕はこんな風に注目されると、もう何もできない。

 事実ーー家から出てここに至るまで、僕と真里菜の間には会話の一つも交わされていないのである。

 だからこそ、余計に周りの言葉が聞こえてしまうのだけれど。


「……でも、仲良くなさそうじゃない? 手も繋いでないし」


「……話もしてないし。彼氏のふりとか、そういうの?」


「……うぉぉ、千葉め……和泉さんとあの距離で一緒に登校しているとは……!」


「……妬ましい」


「……でも、喋ってないしな……やっぱり、告白を断るために恋人のふりしてる説が正しいんじゃね?」


「……可能性大だな」


 残念ながら違う。

 まったくもって、何故このように一緒に登校しているのだろう。真里菜の気まぐれに振り回されている気しかしない。

 そんな真里菜は、常に無表情だし。僕もこんな衆人環視の中で、真里菜に話しかける度胸もないし。


 そして、僕の家からさほどの距離もない学校まで、僕と真里菜はお互いに無言で到着した。


「……」


 到着した。

 到着してしまった。


 僕にとっては、恋人と一緒に登校するという初イベントだ。

 だというのに会話の一つもスキンシップの一つもなく、ただ注目されながら無言で学校に辿り着くという最悪の結果に終わってしまった。

 やっぱり、僕の方から何か話しかけた方が良かったのだろうか。今日天気いいよね、とか。曇ってるけど。

 ぐるぐると、頭が混乱する。僕は一体、どうすればーー。


「……ふぅ。これでコンプリートですね」


「へ……?」


「ええ、これで私は、恋人と一緒に登校するというミッションを果たしました。姉の言っていた、すごく楽しい時間というのはあまり理解できませんでしたが。結局は学校へ向かう道を歩いているだけですし、普段と何も変わらないというのが感想でしょうか」


「……」


「ふむ……これは姉にもう少し詳しく聞いてみる必要があるでしょうか。武人、どう思いますか?」


「あ、うん……」


 どっと、まだ朝なのに疲れが一気に出てくる気がする。

 そりゃ、違うよ。違うに決まってるよ。

 こう、話が盛り上がって時間が早く過ぎるとか、手でも繋いで仲良く一緒に登校するとか、そういうのがあるならまだしも。


 無言でただ二人で学校へ来ただけじゃ、一人で来るのと変わらないに決まってるじゃないか。


「では、下校のミッションは本日の放課後に果たしましょう。柔道部には遅れて参加するように伝えておきます」


「お願いだから僕のストレスをこれ以上増やさないで」


 どうしよう。

 僕、いつか胃に穴が開く気がする。

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