第31話 昼休み
「千葉ー、ごはん食べよー」
「あ、うん」
今朝のことなんて完全に忘れたかのように、加奈子が机をくっ付けてきた。朝の不機嫌は一体どこに行ったのか、その様子はさして変わらぬ普段通りである。
まぁ、加奈子が忘れてくれたのならばそれが一番いい。僕は加奈子との関係まで壊したくないのだから。
「では武人、失礼」
「ぐっすり寝てたはずなのに、ちゃんとご飯のときには起きてくるあたり凄いよね」
「それほどでもありません」
「別に褒めてないから」
弁当箱を抱えて、真里菜もまた僕の席へとやってきた。
木曜、金曜と連続で続いた、真里菜、加奈子と囲む三人の昼食である。とはいえ、僕と加奈子の間には、朝にあった剣呑さはどこにもない。
というか、加奈子はなんでそこまで僕と真里菜の関係について迫ったのだろう。それほど長い付き合いではないけれど、よく分からない。
「……あのさ、加奈子」
「うん? 千葉どったの? あ、卵焼き美味しそ」
「話を聞くのか僕のおかずを取るのかどっちかにしてくれないかな!?」
「唐揚げもうまー!」
「その場合に後者を選ぶのがお前だよね!」
ひょいひょいっ、といつもの調子で僕のおかずを取る加奈子。
まぁ、健啖な加奈子のために多めに用意している弁当ではあるのだけれど。それでも、横から掻っ攫われるのは些か気分が悪いものだ。
だけれど、僕はそんなことを言いたいわけじゃない。
気付いて欲しいのだ。
先週とは、明らかに違う姿が、そこにあることに――。
「あれ……いずみん?」
「どうかしましたか?」
「……ま、マジで? ちょ、千葉……あんた、どんな魔法使ったわけ!?」
「そんな大したことをやったつもりはないんだけど」
本音である。
だが、加奈子は明らかに驚愕していた。その机に広げられた、三つめのお弁当に。
一つはふりかけご飯のみという男らしい代物。もう一つは色とりどりの具材が入った僕のお弁当。
そして最後の一つ――それに詰まっているのは、親子丼だった。
「いずみんの昼食は、常に鳥ささみとゆで卵と玄米だったはずなのに! 千葉あんた何したの!?」
「ふふふ……私も成長したということです。ニュー真里菜なのです」
「あたしがどれだけ美味しいごはん勧めても、『体に悪いので』って断ってたじゃん!」
「甘いですね、江藤。これは親子丼ではありますが、その米は玄米です。そして卵に鳥のささみ肉のみを使っているヘルシー親子丼なのです」
「自慢げに言ってるけど作ったの僕だからね」
そして出来から察するに、恐らく真里菜の作ったものではないだろう。ちゃんと彩りに三つ葉が乗っているあたり、間違いなく真里菜の母が作ったものだと思う。
お母さんにも、親子丼にするという発想はなかったのだろうか。真里菜の母親だし、と言われたらそれまでだけど。
「ちょ……千葉が作ったの!?」
「あ、うん。というか、さすがに玄米と鳥ささみとゆで卵しか食べない人を放っておけないというか……」
「そうです。さすがは武人。私が師と仰ぐに相応しい」
そんな程度で師と仰ぐに相応しいと思われても。
別に、その程度のアレンジなら普通にやるけど。
「はー……千葉の手作り弁当ってこと? 何あんたら、同棲でもしてんの?」
「は?」
「いや、だって千葉が作ったんでしょ? もう一緒に暮らしてんの? さすがに早くない?」
「いやいやいやいや!」
ちょっと待て。そんな事実はどこにもない。
そもそも作ったのは僕だと言ったけれど、この弁当そのものというわけじゃない。あくまで、お弁当の内容を親子丼にしてみてはどうか、というアレンジのレシピを与えただけだ。それを真里菜の母が作っただけである。
だけれど、そんな加奈子の言葉に。
僕の周囲は、明らかにざわついていた。
「えっ……もう同棲……?」
「高校生でかよ……やるな、千葉」
「同棲とか、夜の営みを……?」
「千葉、百回殺す……!」
「ちょ、待って! ちょっと待って!」
明らかに僕の命を、物理的に狙おうとしている呟きすら聞こえてきた。
真里菜はその姿形が美しいゆえに、好んでいる男も多いのだ。真里菜非公認ファンクラブとか存在しているし。どんな活動をしているのかは全く知らないし、興味もないけれど。
だけれど、さすがに僕がその標的になるとか全力でご勘弁願いたい。
「誤解っ! 誤解だ加奈子!」
「誤解って、でもお弁当……」
「僕はあくまで、こういうアレンジの方法もあるよ、って教えてだけだから!」
「あ、なんだ、そういうこと。びっくりしたじゃん」
ほっ、と胸を撫で下ろす。
さすがに、加奈子はそれなりに話を聞いてくれる。というか、真里菜が僕の話を華麗に斜め上に解釈するから、加奈子が常識人に見えるのがおかしいのだけれど。
普通、人の弁当箱から勝手におかずを奪う女子高生ってどうかと思うよ。
「でも、さすが千葉だねー。他にもアレンジの仕方とかあんの?」
「どういうこと?」
「玄米と卵と鳥ささみじゃ、親子丼くらいしか選択肢ないっしょ? 他にはもう作れないんじゃないの?」
「……」
なんと。
加奈子め、僕に挑戦するつもりか。
これでも千葉家のキッチンを、ずっと守ってきた自信がある。常に毎日弁当を作り、妹のために朝食と夕食を作り、加奈子と真里菜のためにお菓子を焼いている僕を、甘くみられては困るというものだ。
アレンジレシピなど、いくらでもある。それこそ、星の数ほどに。ごめん言いすぎた。
「別に、アレンジするだけなら簡単だよ」
「へー。じゃあ教えてよ。鳥ささみと卵と玄米で何作るの?」
「鳥ささみを細切れにして酒と醤油と生姜で下味をつけた後、軽く素揚げして油を切って、鶏ガラスープと醤油と塩胡椒で炒めた玄米に卵を落として全体に絡みつけさせて、最後に鳥ささみを投入して全体に混ぜれば完成だよ」
「……何が?」
「鳥ささみのチャーハン」
はっ――と加奈子が目を見開いた。
卵と米があれば作れる簡単料理の代表、チャーハンである。その具材を鳥ささみにしているというだけだ。
僕も作ったことはないけれど、誰が作っても大抵美味しいのがチャーハンである。これもまず失敗することはあるまい。そもそも最強の調味料である鶏ガラスープを使って、失敗するのは余程の料理下手だ。
「武人、それは実に美味しそうです」
「でしょ? まぁ、他にもそうだね……卵を餡掛けにするとかそういう形でも……」
「では、今週の日曜日はそれでお願いします」
「……え?」
日曜日。
そんな言葉が、真里菜の口から飛び出す、その理由は――。
「……真里菜さん?」
「おや武人、もう忘れてしまったのですか? 今週の日曜日は一緒に遊びに行く約束をしているでしょう」
「……」
いや、僕だって若年健忘症というわけじゃないよ。
そのくらいのことは知ってるよ。覚えてるよ。僕だって少なからず楽しみにはしているんだからさ。
でも。
「和泉真里菜とデートだと……!?」
「ファンクラブの総力をもって、あいつを始末しなければ……!」
「だが、奴の親父はヤのつく自由業……」
「父親が怖くてファンクラブを名乗れるものか!」
せめてね、真里菜さんや。
時と場合を考えてくれないものだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます