第30話 経緯の説明

「意味が分からない」


「そう言わないでよ……」


 一限目の現国をつつがなく終えて、二限目の数学に備えるための十分間の休憩。

 本来、用を足すために設けられた時間ではあるけれど、何故かこの十分という時間は、僕にとって一限目の途中に渡した手紙を確認した加奈子に問い詰められる、という時間になっていた。

 ちなみに、真里菜はショートホームルームから一限目まで延々と眠っており、この時間も突っ伏して眠っている。机に突っ伏してよく眠れるものだと感心するくらいだ。


「ちゃんと千文字以内で説明したでしょ」


「でもさぁ……いや、いずみんならありえると思っちゃうあたしも悪いんだけど……」


 ちなみに、加奈子に対して送った説明文は以下である。


『真里菜さんは本当に常識がない人で、恋人の定義として『信頼できる大事にしたい好意を抱いている相手』と説明したところ、それは武人のことではありませんか、と何故か言いだした結果、僕も否定しきることができずにそれを信じ込んでしまった。しかも我が家の妹にまでそれを言ってしまったために、僕から否定することが難しくなってしまった。だから、僕の恋人だと言い張っている部分がある。ちなみに恋愛については全くの経験がなく、漫画を読んだことも全くないらしい。むしろ僕からお願いしたい。真里菜さんに恋人とは何かをちゃんと教えてくれ』


 端的に説明したつもりである。さすがに千文字書くとか腕がだるすぎるし。

 僕の恋人だと言い張っている部分がある、とか書くと僕が女たらしのように思われるかもしれないけれど、事実なのだから仕方ない。現実、恋人だと言い張られているのだから。


「まぁ実際、あたしも思うことあるよ。いずみん常識ないなー、って」


「……でしょ?」


「その代わり、有り余るくらいの柔道の才能はあるけどね。あたし、百回挑んで百回負ける未来しか浮かばないもん。あー、これが一部の天才なんだなー、っていつも思ってるし」


「……」


 加奈子も、栄玉学園柔道部の一員だ。柔道強豪校の柔道部の一員ということは、それなりに中学でも結果を残しているはずだ。

 だけれど、そんな加奈子をもってして、レベルが違う高みにいる存在ーーそれが、和泉真里菜。

 うちの父さんでも敵わないのだから、当然だろう。


「んでさ」


「ん?」


 真剣な眼差しで、加奈子が僕を見る。

 普段はおちゃらけてばかりの加奈子の、そんな珍しすぎる表情に思わずたじろいだ。

 僕が一体何をしたのさ。


「千葉はさ、迷惑なの? いずみんが恋人だって言って」


「え……」


「迷惑なら、迷惑って言いなよ。そーじゃなきゃ、いずみんが可哀想だし。否定しきることができなかった、って書いてるけど、実際のところ千葉も嬉しかったから否定してないだけじゃないの?」


「うっ……」


 そう言われると、言葉に詰まる。

 そりゃ、僕だって男子高校生だ。思春期の男子だ。可愛い女の子に好意を寄せられるのは嬉しい。

 だけれど、僕は一般的に言うところの草食系男子というやつで、どちらかといえば流されやすいタイプだと思っている。それが言い訳になるわけじゃないけど、真里菜の押しの強さに若干負けた部分があることは否めない。


「千葉が迷惑だって思ってんなら、あたしからいずみんに言ってあげるよ。こういうのは、当人たちよりも第三者が入った方がうまくいくこともあるし」


「いや、別に……その、迷惑だとは……」


「んじゃ、いずみんに恋人認定されてて嬉しいんだね?」


「……」


 否定は、できない。

 昨日、何度となく否定する機会はあったはずだ。違う、と強く言えば真里菜も納得してくれたかもしれない。

 だけれど、僕はそうしなかった。それは、少なからず僕も真里菜に好意を寄せていたからだろう。

 これが恋愛感情であるのかどうかは、分からないけれど。


「はー……んじゃ、今後は千葉はいずみんの彼氏ってわけね。ま、今日中には学校中に知れ渡ると思うけど」


「え、何で?」


「だって、柔道部の更衣室で堂々と宣言してたもん。別クラスの同級生も先輩も後輩もいる中で。全員、超驚いてたから」


「……真里菜さん」


 なんでそんなに、僕の外堀を埋めてくれるのさ。

 嫌がっているわけじゃないけど、そういうのは秘匿してこその学校生活だと考えないのかな。あと、真里菜非公認ファンクラブに僕が物理的に殺されるとか思わないのだろうか。あ、多分存在を知らないか。


「でもさ、千葉」


「うん?」


「単に、まぁ超美人のいずみんが自分のことを恋人だって言い張ったから、それを受け入れてる感じよね?」


「……まぁ、そうなる、かな」


「別に千葉がいずみんに対して恋愛感情を抱いてるとか、校舎裏に呼び出して好きです付き合ってください的なやり取りをしたわけじゃないってことだよね?」


「……う、うん」


 その事実は、確かにない。

 単にああ、恋人ですね、と言われて否定しきらなかっただけだ。このあたり、僕は完全に流されている。

 男なんてそんなものなのだと思いたい。


「つまり、ルックスの良い女の子が言い寄ってきたら、誰でもいいってこと?」


「……その言い方はひどくない?」


「だって、実際そうじゃん。いずみんが言い寄ってきたからいずみんを受け入れただけで、別にいずみんから何も言われなかったら、千葉からいずみんを恋人にするつもりはなかったんでしょ?」


「……いや、まぁ、そうだけど」


 確かに、綺麗だとは思うし美人だとは思う。常識がないのも、もうなんか突き抜けて可愛いと思えてきた。

 だけれど、こんな風に関わることがなければ。

 僕と真里菜に、接点などどこにもなかっただろう。僕はただ、静かに高校生活を送っていたと思う。


「んじゃ、別の女が言い寄ってきたら、そっちに乗り換える可能性もあるの?」


「いや、それは……さすがにない」


 さすがに、それは男としてひどすぎると思う。

 勘違いと常識の無さから発生した関係ではあるけれど、僕もそれなりに責任を感じている。恋人だと言い張られることが吝かでない程度には。

 まだ僕の中にある感情が、恋とか愛だとかそういうのじゃないことは分かってる。ならば、これから少しずつ重ねていけばいいじゃないか、と思えてきた。

 真里菜のことを、知らない部分も多いし。そういうのも、これからお互いに分かっていけばいいだろう。


「ってか、何でそこまで加奈子に言われなきゃいけないんだよ。僕と真里菜さんの問題だからさ」


「いやー、だってねぇ……」


「何? 加奈子、僕のこと好きなの?」


 自分でも、訳の分からないことを言っていることは分かっている。

 だけれど、この言葉に「んなわけないじゃん」と笑顔で返してくれることを期待して。

 しかし加奈子は。


「ん、んな、わけ、ないじゃんっ! 何言ってんのっ!」


 耳まで真っ赤にして、そう強く言ってきた。

 ……え、そんなに僕のこと嫌い?

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