第29話 騒がしい朝
学生の噂話の中でも、最も盛り上がるものこそが恋愛話であると思う。
誰々が誰々と付き合っているらしい、誰々が誰々といい感じ、誰々が誰々に告白をしたらしい、誰々は誰々のことが好き、など、その内容は多岐に渡る。だが、あくまで噂は噂である。真実を知っているのは本人たちだけであり、そんな簡単に吹聴はしないものだからだ。
本人は信頼している友人に、内緒話として自分の恋愛を語る。そしてそんな話を聞いた友人が、「実は内緒なんだけど」という形で流布するのが最も一般的なものだと思われる。そのくらいにデリケートで、他者に簡単な介入を許さないものなのだ。恋愛というのは。
ゆえに相談をする友人というのも、限られる。簡単に人に言わず、親身に相談に乗ってくれる話し相手というのは貴重なものなのだ。
でもね、真里菜さんや。
どうしてそれを、このデリカシーの欠片もない加奈子に対して喋っちゃったのかな。
「真実ですよ、江藤」
「あたしは千葉に聞いてんの! ねぇ千葉! 本当なの!?」
「……」
そして同時に、何故それほど簡単に噂話になるのかというと、そういうのが高校生というのは大好きだからだ。
基本的に変わらない毎日を過ごしている高校生活というのは、娯楽が少ない。悪い言い方をすれば、学校という閉鎖空間に拘束されて授業を受けるという時間を強要されているのが、毎日のことなのだから。そんな中で、自分の知っている誰かの恋愛話というのは、殊の外興味を惹くものとなるだろう。
特にそれが、高嶺の花にして天上人、和泉真里菜の恋愛話であれば。
まぁ、結局何が言いたいかというと。
先程まで誰もが騒がしくしていた教室内が静まり返り、その視線がこちらに集中しているわけである。
あの和泉真里菜に恋人が――? という、視線が。
「私と武人は恋人関係にあります。これは間違いのない事実です」
「だから千葉に聞いてんの! 大体そんなの、信じられるわけないじゃん! いずみんと千葉ってほとんど関わりなかったし!」
「恋人関係とは、経た時間によって築かれるものではありません。互いの信頼と好意によって成るものです」
「意味が分からないんだけど!」
うん、僕、何て言えばいい。
結局昨日、真里菜への説得に失敗した僕だ。まぁ、そのうち分かってくれるだろう、くらいに甘く見ていたのが不味かったのかもしれない。
だからといって、この全力で注目されている現状で、説得することなどまず不可能だ。
「と、とりあえず……その……」
「どういうこと!?」
「ちょ、ちょっと、落ち着こう……ほら、みんな見てるし……」
「衆人環視など何も問題ありません。事実を述べるのみですから」
「ちょっと、黙ろう。真里菜さん」
どうすればいい。
仮にではあるけれど、恋人関係を認めてしまっている僕がいるわけだ。ここで違うと述べれば、それは嘘を吐くことになってしまう。
だけれど、この場で認めてみれば、その瞬間に校内全域に噂話が走ることだろう。僕、真里菜の非公認ファンクラブに殺されるんじゃなかろうか。
さぁ、考えろ。
僕は何と答えれば、角が立たない――?
だけれど、何故僕が真里菜と恋人関係になることに、それほど加奈子が困惑しているのだろう。
僕の名誉のためにも言っておくけれど、僕と加奈子は決してそういう関係ではない。単なる席が隣の悪友である。そりゃ、それなりに仲が良いつもりではあるけれど。
あれか、「なんであたしに黙ってんのよー!」的な嫉妬なのだろうか。仲良しの相手に秘密があったことに対する怒りというか。
そう言われても、僕にもお門違いである。僕だって昨日まで知らなかったんだから。
「ええと、加奈子」
「何よ!」
「ちょっと話を整理させてほしい」
「は? どういうこと?」
「僕にも一言じゃ語れない物語があるんだ。色々と僕自身も混乱しているというか、紆余曲折があったというか……まぁ具体的には、ちょっと後で話すから」
「……」
加奈子が、胡散臭そうな目で僕を見ている。
まぁ事実を述べるのだとしたら、僕の答えは「そうなんだけど違うんだ」という、まるで浮気をした旦那の言い訳みたいなものになってしまう。事実なのに。
「おーい、席座れー」
と、そこで朝のショートホームルームへと、担任の先生がやってきた。
学校においては、生徒の絶対的な上位存在である教師には、さすがに逆らえない。真里菜は「では、武人」と言って自分の席へと戻り、加奈子も渋々隣の席へと座った。
とりあえず、助かった。柔道部の朝練が始業ギリギリまで行われていることに、初めて感謝した。
「んじゃ出席とるぞー。相沢ー」
「はーい」
そして先生が出欠を取り始めたら、やや教室内がざわついてくる。
いわゆるひそひそ話が。内容は、絶対に僕と真里菜の話に決まっているだろう。
前の席にいる女子も、ちらちらと振り返ってこっちを見てくるし。
「……あの和泉さんが、千葉くんと? ありえなくない?」
「……でも、最近仲良くしてたよね」
「……でもさ、それは江藤さんも一緒だったじゃん」
「……千葉くん、絶対江藤さんと付き合ってると思ってたのに」
何気に、そういうひそひそ話というのは僕にも聞こえてくるものだ。
本人たちは気付かれないように喋っているつもりなんだろうけど。
というか、なんで僕の彼女が加奈子なのさ。
「ん。千葉ー」
「はい」
「ん。天上院ー」
「はーい」
僕の出欠確認も問題なく終えて、ちらりと真里菜の席を見る。
既に突っ伏して眠っていた。早くないだろうか。
「……千葉」
「ん……」
すると、小さな声は隣から。
加奈子がんっ、と手を突き出して、そこに小さな紙片を挟んでいる。いわゆる、授業中における友達同士で行われる手紙の交換、というやつだ。僕は友達がいなかったために、完全に回し役に徹していたけれど。
だけど、その紙片にはちゃんと『千葉』と僕の名字が書かれている。こういうのを貰ったのは初めてだ。初めてがこんなのって本気で嫌だけど。
観念して受け取り、中を見ると。
『詳しく千文字以内で説明しなさい』
「……」
そんな手紙を見て、僕の思ったこと。
一限目の現国は、加奈子への説明という内職で潰れるだろう――。
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