第20話 恋人とは一体
意味の分からない真里菜の言葉に、僕は呆然と口を開くだけだった。
今まで、僕に恋人がいたことは一度もない。そりゃ男だし、好きな女の子とかそういうのができたことはある。だけれど、僕は巷で言うところの草食系男子であり、自分から女の子にアタックするほどの甲斐性は持っていなかったのだ。
中学校の頃には、好きだった女の子がサッカー部のエースと付き合い始めて、若干のショックを受けたことがある。まぁ自ら行動を起こさなかった僕が悪いのだけれど、そのくらいに僕は奥手なのだ。
今は好きな人というのも特にいないけれど。
さて、そんな絶賛彼女募集中(ただし消極的)な僕なんだけれども。
何故、いきなり真里菜が恋人になっちゃっているのだろう。
「ちょ、ちょ……あの、真里菜さん、待って」
「はい?」
「そ、その……ぼ、僕が、恋人って……え?」
「違うのですか?」
不思議そうに、そう尋ねてくる真里菜。
僕と真里菜の間に、「好きです付き合ってください」「はい」的なやり取りは確実にない。「女子力教えてください」「僕にどうせいと」というやり取りはあるけれど、それが恋人関係に結びつくかと問われると確実に否だ。
だというのに、唐突に僕が恋人になってしまっているこの現状は、一体何なのだろう。理解できずに、もう理解を放棄したくなってくる。
「いや、ええとね……」
「武人が、先程言ったことではありませんか」
「へ?」
僕、何言ったっけ。
少なくとも、「好きです付き合ってください」は間違いなく言ってない。
「恋人というのは一緒にいて楽しくて、相手のことを大事にしたいと思い、その人物を尊敬できる相手だと」
「え……あ、うん。そ、そう、かな……?」
「私は武人と一緒にいて楽しいと思いますし、武人との関係を大事にしたいと思っていますし、武人のことを尊敬しています。つまり、この理論からすれば武人は私の恋人ということになるのではないでしょうか」
「いや違うと思うよ!?」
なんだろう、すごく恥ずかしい。
一緒にいて楽しいと思ってくれるのは嬉しいし、僕との関係を大事にしたいと思ってくれているのも嬉しい。尊敬している、という部分が明らかに女子力であることは明白なので、そこは残念だと思ってしまうけれど。
だけれど、それはラブではなくライクだ。恋人関係というのはラブであり、僕と真里菜の関係はあくまで友人としてのライクである。
多分。きっと。
「そ、そうじゃ、なくて……」
「違ったのですか?」
「ええと……恋人というのは、お互いに好き合っている関係で……」
「つまり好意を抱いているということですよね。私は武人に好意を抱いていますが」
「い、や、ええと……」
なんだろうこれ恥ずかしすぎる。
真里菜の言っていることは間違っていないのだけれど、でも徹底的に違うのだ。何と言っていいか分からずに、言葉に詰まる。何をどう説明すれば納得してくれるのだろう。というか、そういう本とか読んでこなかったのだろうか。読んでないから今ここでこういう状況にあるんだよね多分。
すると――ふっ、と真里菜が寂しげに顔を伏せた。
「武人は……私が、嫌いですか?」
「え……」
「いえ……確かに、私は迷惑ばかりかけていると思いますが……」
「い、いや、そんなことないよ!?」
確かに、学校でのお昼は物凄く胃が痛くなるけど。
目の前でいきなり下着姿になられるのも物凄く困るけど。
でも別に、僕は真里菜が嫌いというわけじゃない。嫌いであれば、真里菜のためにクッキーなんか焼かない。こんな風に、服装についてアドバイスなんてしない。むしろ、家になんか上げない。
常識がなくて、斜め上で、どことなくずれている真里菜を、むしろ好ましく思っているのも確かだ。
「では、武人も私に好意を抱いていると考えたので良いのでしょうか?」
「う、うん……ま、まぁ……」
「では、恋人だということですね。良かったです。私は間違っていませんでした」
「……」
どうしよう。
もう何を言っても聞かない気がしてきた。
恋人ということは、付き合うということだ。交際するということだ。
そして付き合うということは、つまりアレやコレをする仲になるということだ。いや、アレやコレを具体的には言えないけど。今まで何の経験もないもので。
そんな関係に、僕と真里菜が――。
「……ちょっと、トイレ行ってくる」
「あ、はい」
立ち上がって、ふらふらと部屋の扉へ向かう。
別に尿意はなかったけれど、ちょっと頭を冷やしたくなってきた。あとは、姉さんの服はこのまま真里菜に進呈するから、何か紙袋でもついでに持ってこよう。
あとは、クッキーがもう空になっているから、新しいの持ってこないと。明日学校に持っていこうと思ってラッピングしてある分を、一つ解けばいいや。
そんな風に色々と悩みながら扉を開き、そのままトイレへ向かうことなく、台所へ降りる。
冷蔵庫から新しいクッキーを出して、新しい皿へと乗せた。
緑茶ももう冷たくなっているだろうし、新しく沸かそう、と薬缶に火を点ける。茶葉を急須の中に入れて、二人分の湯呑みを用意した。
「……」
そんな風に無意識に動きながらも、思い悩む。
普通に考えれば、ラッキーだと思う。学校でもトップクラスの美少女である真里菜が、僕に好意を抱いてくれているのだ。そして、勘違いをしているとはいえ、僕のことを恋人だと思ってくれている。これを、素直に幸運と受け止めるのが普通だろう。
だけれど、本当にそれでいいのだろうか。
恋人となるために必要な手順をすっ飛ばして、なあなあで恋人だと自称して、いいのだろうか。
そりゃ僕も男だし、自分の恋人が綺麗な女の子ならば最高だ。少なくとも、世の中の男は大抵そう思うだろう。
世間には「一目惚れ」という言葉もあるように、男女の恋人関係において見た目というのは非常に重要なファクターだ。特にそれが、男の場合は顕著に現れると思う。
自分の恋人が綺麗ならば自慢したいし、誰かの恋人が綺麗ならば嫉妬する。男というのはそういう生き物だ。
だからこそ、真里菜が斜め上に勘違いしているとはいえ、僕の恋人が真里菜になるという事実は、僕にとって得しかないのである。別に自慢する相手がいるわけじゃないし、同性の友人は少ないけれど。
それでも、「自分の恋人が美人」というのは、それだけで他者への自己顕示欲が満たされる。
そんな風に言うと、女性のことを顔でしか判断しないクズ男のように思われるかもしれないけれど。
でも、やっぱり否定すべきだ。
もしも真里菜が僕のことを恋人だと思うのならば、それなりの関係になってからだと思う。お互いを想い、お互いを大事にし、お互いを尊敬でき、お互いを愛し合う関係こそが恋人だと思うから。
僕と真里菜は、まだそこまで至っていない。
「うん、そうだよね」
少しは頭が冷えてきた気がする。
とりあえず、真里菜に対して論理的に恋人関係について諭すべきだ。それでも僕のことを恋人だと思えるのならば、僕も受け入れよう。
そういう勘違いから始まる恋愛というのも、まぁなきにしもあらずだ。多分。
小さく溜息を吐きながら、湯呑みとクッキーの乗った盆を手に、自分の部屋へと戻る。
そして、部屋の扉を開けると。
そこに真里菜と、小さな影が鎮座していた。
「ええ。私のことは姉さんと呼んでくれていいですよ」
「はいっ! 真里菜お姉さん!」
「妹がいればこんな風に呼んでくれるのですね……感激です……」
「何やってんの亜由美!?」
僕の部屋に、まるで当然のようにいて、そんな風に真里菜と会話していたのは。
ちゃんと私服に着替えた僕の妹――亜由美だった。
「あ、にーちゃん!」
「なんでお前僕の部屋にいるわけ!?」
「んもぉ、教えてくれてもよかったじゃーん」
うひひー、と亜由美が笑みを浮かべる。
これは間違いなく、何かを勘違いしている顔だ。そうとしか思えない。
「こんな綺麗な彼女いるとか初めて聞いたし!」
いや、だって、言えるわけないじゃないか。
僕もついさっき、初めて知ったんだから。
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