第19話 真里菜さんは斜め上

「……」


「……」


「……」


 三人揃って、無言である。

 今まさに服を脱ごうとしていた真里菜、まるでそれを鑑賞しているかのような僕、寝起きでサルとバナナが描かれた柄のパジャマを着た亜由美。

 全員の視線が全員に向いて、それからゆっくりと扉が閉じられた。


 廊下をばたばたと走る音が聞こえ、同時に隣の部屋の扉が開けて閉じられた音を聞くまで、全く動くことができなかった。

 この状況を、亜由美はどう解釈したのだろう。


「……さて、では服を着てもよろしいですか?」


「あ、あの。ちょっと、待って……」


「はい」


「ええと……」


 何故そこまで真里菜は落ち着いているのだろう。

 僕にしてみれば、この状況は気まずくて仕方ない。あくまで真里菜に服を色々着せていただけで、いやらしいことをしていたわけではないのに。

 だけれど状況を考えると、どう考えても亜由美はそう解釈しただろう。何をどう言い訳しようか頭を巡らせるけれど、残念ながら僕の頭はそれほど良いわけではない。

 どたどたと、隣の部屋から物音がする。亜由美は一体何をしているのだろうか。


「では、次はこちらですね。失礼します」


「だから! 僕が後ろ向くまでは脱がないでって!」


「ああ、これは失礼」


 ちらりと見えた白の下着を、しっかり脳の奥にお気に入り保存してから、僕は真里菜に背中を向ける。

 心臓は早鐘を打っているかのように、どきどきと脈動している。どうしてこんなにも無防備なのだろう。これが僕でなくとも、真里菜はこういう行動をするのだろうか。

 なんとなくそう考えて、ちくりと胸が痛んだ。理由は何故なのか分からない。


「はい、着替え終わりました」


「……うん」


 ふぅ、とわけの分からない自分の感情にそのまま蓋をして、振り返る。

 亜由美が今、何をしているのかは分からない。だけれど、とりあえず部屋に引きこもっているようだし、考えるのは後にしよう。今は真里菜の服の方を優先しなければならないし。


 真里菜は僕の渡した、花柄のチュニックと黒のタイトパンツ姿だ。チュニックはどちらかといえば体型を隠すためのものではあるのだが、こうして上を大きめのものに、下をタイトなものにすると映える。もっとも、さすがにサイズがぴったりというわけではなく、あくまで姉さんのものであるためにタイトパンツもやや余っていたけれど。

 ふむ、と全身を改めて眺めて、頷く。


「夏コーデにはいいね」


「そうなのですか?」


「うん。半袖のチュニックだから、夏場に歩くときとかいいかも」


「ちゅにくというのはよく分かりませんが、確かに涼しいです。今の時期だと、少し寒いくらいですね」


「まぁ、そうだね」


 次はどんなコーデがいいだろうか――そう思いながら、再びタブレットを操る。

 姉さんの服は、それなりに数が多い。だけれど、あくまで置いていった服だ。それはつまり、姉さんが不要と判断したものである。普段の服装に使いにくい、と。

 自然と、悪趣味なものやあまり使えない服が多いのも当然のことである。その中から、より良いものを選別して渡しているわけだが。


「……とりあえず、服についてはこれくらいでいいかな。何着ある?」


「全部で十三枚あります」


「まぁ、それぞれ別に使えるものもあるよ。こっちとこっちを合わせてもいいし、逆にこの服にこれを合わせても面白いと思う」


「……私には、その基準がさっぱり理解できません。何が良いのか悪いのか、全くです。それがいずれ、分かってくるということでしょうか」


「どうなんだろうね……」


 こういうのって、特に教わったことはない気がする。

 ただなんとなく、これがいいかな、こんな風に、みたいな感じで受け止めているだけだ。


「まぁ、さっきと言ってることが同じだと思われるかもしれないけど……とりあえず、おしゃれな服を画像検索とかしてみるといいよ。あとは、街を歩いてるときとかに、他の人の服を見てみるといいかな。他の女性がどんな服を着て歩いているのか、っていうのは参考になるから」


「なるほど。今まで人の服など気にしたことがありませんでした」


「じゃあ、当面はそれで……」


「しかし、何故街を歩くのですか?」


 至極真面目に真里菜が聞いてきたのは。

 そんな、わけの分からない質問だった。


「……何故?」


「ええ。街を歩くというのが、よく分からないのですが」


「いや、だから、遊びに行くときとか……」


「何故、街を歩くことがイコールで遊ぶことになるのでしょうか? 遊ぶのであれば、近所の公園で良い気がするのですが」


「ええと……」


「街になど、特に遊具があるわけでもないでしょうに」


 まずい。真里菜が何を言っているのか分からない。

 大抵の人は「遊びに行こう」と誘われて、近所の公園など行かない。遊具で遊ぶのなど、それこそ小学校の低学年までだ。

 もしかして――。


「あの……真里菜さんは、さ」


「はい?」


「いつから柔道始めたの、かな?」


「小学校の三年生からです」


 ……。

 やっぱり。

 この子、『遊ぶ』という感覚すら、小学生で止まってる――。


「ええと、ね」


「はい」


「最近の、その……遊ぶっていうのは、一緒に服を買いに行くとか、そういう……」


「それは遊ぶのではなく、買い物に行くと言うのではないですか?」


「……」


 いや、確かにその通りなんだけど。

 どうにも反論がしにくいし、言っていることも至極真っ当だ。だというのに、全く違うのはどうしてなのだろう。

 誰か、一般常識を教えてくれる先生はいなかったのだろうか。いなかったから今僕の部屋にいるんだよねそうだよね。


「まぁ、服を買いに行くだけじゃなくて、他にも色々お店を巡ったり、そういう……」


「それも純粋に買い物で良いのでは?」


「そういうのをトータルで色々やるんだと思うよ。何か目的を一個に絞るんじゃなくて、街でできる色々なことをまとめて一緒にやる、って言うのかな。例えば映画を見たり、喫茶店でコーヒーを飲んだりとか。そういうのを引っ括めて、『遊ぶ』って言い方をしてるんだと思う」


「……ふむ、なるほど」


「分かってくれたかな?」


「ええ。私はてっきり、街中で鬼ごっこでもするのかと思っていました。申し訳ありません」


 ……。

 いや、確かに代表的な遊びではあると思うけれど。


「では、そういう遊びというのは、誰と行うべきなのでしょうか」


「え……それは、ええと、恋人とか?」


 なんとなくちくり、と胸が痛む。

 だけれどそんな僕の言葉に、真里菜は不思議そうに首を傾げた。


「ふむ、恋人ですか。聞いたことはありますが、その恋人というのは私にとって、どのような相手になるのでしょうか」


「え、ええと……」


 そう問われると、何なんだろう。

 僕だって今まで彼女がいたわけじゃないし、本で読んだくらいのものだけれど。

 そりゃ大抵の彼氏彼女というのは、どちらかが「好きです」的な発言をして相手側が了承して、恋人関係に発展するものだと思う。だけれど、それがどういう関係にあるのかと問われると謎だ。


「どうなんだろう……例えば、一緒にいて楽しいとか、大事にしたいなとか、その人を尊敬しているとか……?」


「なるほど、一緒にいて楽しく、大事にしたく、その人物を尊敬している、と」


「まぁ、多分そうなのかな……」


 ふむ、と真里菜は顎に手をやって考えながら。

 眉根を寄せて、おや、と呟いた。


「……つまり、武人は私の恋人なのですか?」


「……へ?」


 真里菜が何気なく言ったそんな質問が。

 あまりにも斜め上すぎて、返す言葉が出なかった。

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