第14話 日曜日

 時間というのは誰が望もうとも一定の間隔で過ぎ去ってゆく。家に帰って夕食を作り、お菓子を作り、妹と戯れていればそれだけで一日は終わるのだ。アインシュタインは「熱いストーブの上に手を置く一分は一時間にも感じられ、可愛い少女と話す一時間は一分よりも短く感じられる」などと物申しているけれど、それは本人の感覚がそうであるだけで一個人の感情に時間という不変の存在が動かされるわけではない。

 哲学的には「若者にとっては長い未来、老人にとっては短い過去」などという言葉もあるように、過ぎ去ってみれば短かった、ということも多い。だけれど過ぎ去った一日もこれから迎える一日も決して時間は変わらぬ一日である。


 閑話休題。


 僕は過ぎ去った土曜日をいつも通りに過ごし、いつもよりやや掃除に力を入れて日曜日を迎えた。

 二連休という学生が週に一度迎えることのできる特権に浸りながら迎える、二日目の休み。

 今日は特に亜由美も用事があるわけではないらしく、まだ眠っている。いつもならばそのまま昼くらいまで惰眠を貪る亜由美のために朝食兼昼食を作り、あとは適当にテレビでも見ながら趣味や宿題に励む日なのだが、今日に限っては違う。


――次の日曜日、空けておいて下さい。いつも通りの朝練を終えたら、武人の家に行きます。


 そうやって、真里菜は僕に言った。

 正直、女の子を家に呼ぶ、というのは僕の人生における初イベントだ。小学校、中学校と特に仲の良い女子もいなかったし、中学校の半ばくらいまでは男子と女子の間には明確な線引きが存在した。特に男子が女子の中に入って遊んでいると、同級生からのイジメが発生したほどである。

 だからこそ、どうすればいいか分からない。

 特にこれが家に呼ぶ相手が自分の恋人だとかならば、一緒にいる時間が楽しかったり嬉しかったりするのだろうけれど、僕と真里菜はそんな関係ではなく、ただ女子力の教えを乞う側とそれに対してどうしていいかわからない人間、という残念な関係である。


「休日にうちに来てまで、何するんだろ……」


 僕もそれなりに、一応色々と考えてはみた。

 女子力を向上させることが、真里菜の目的だ。そして、僕はそのために真里菜に教えなければならない。

 だが、自分が極めて自然にやっていることを、どのように教えればいいのだろう。僕自身、意識して女子力高く、とか思っているわけじゃないし。

 とりあえず、この前考えていたことが少しは役に立つかな、と思い出すのは数学のノートだ。一応、女子力についてそれなりに細分化してある。

 それが果たして、本当に女子力なのかと言われるとよく分からないけど。


「はぁ……」


 昨日、いつもより入念に掃除をしたつもりだというのに、どうしても落ち着かずコロコロクリーナーで絨毯の埃を取りながら、ただひたすら時間が過ぎるのを待つ。

 時計の針が、丁度九時を差したその時。


「――っ!」


 我が家のインターホンが鳴ると共に、どきん、と心臓が跳ねる。

 特に時間指定はしていなかったけれど、真里菜は「朝練を終えたら」と言っていた。時間としては丁度いいくらいだろう。

 逸る気持ちを抑えながら、インターホンの通話ボタンを押す。残念ながら我が家のインターホンにはカメラはついておらず、ドアの向こうに誰が立っているのかは分からない。

 これで宅急便ならどうしよう。いや、どうしようもないのだけど。


「はい」


『おはようございます、武人』


「あ、ああ、うん。今開けるよ」


 ドアの向こうは間違いなく真里菜で、いつも通り怜悧な印象を持たせる声で名乗る。一人なのかどうかは分からないけれど、真里菜の様子からすると一人だろう。もし同行者がいるならば、この場で言うはずだ。

 僕の家に、たった一人で来た女の子を迎え入れる――その事実に、さらに心臓が高鳴った。


「お、お待たせ」


「いえ、それほど待ってはいませんが」


 ドアを開き、そう声をかける。

 そこには間違いなく、真里菜が立っていた。


「………………」


 僕の知っている和泉真里菜は、とんでもない美少女である。そして目の前にいる和泉真里菜も、同じくとんでもない美少女である。

 だが僕の知っている真里菜は、制服と体操着の姿のみだ。一度か二度、ランニングに出ている際に柔道着姿を見たことがあるけれど、それはカウントしなくても良いだろう。

 つまり、僕は真里菜の私服を知らない。

 だからこそ、ある意味楽しみでもあったのだ。どんな服を持っているのか。どんな装飾品を身につけているのか。

 だと、いうのに――。


「……どうかしましたか?」


 真里菜の格好は、上下揃ってジャージだった。

 いや、ジャージがダサいとは言わない。中にはジャージを着こなしている若者もいる。特にスポーツブランドのジャージを着こなしている人に町で出会えば、格好いいとさえおもうだろう。

 だが真里菜のジャージは、俗に言う『芋ジャージ』だった。濃い赤を主体として、肩に一本白い線が入り、ひどく野暮ったい印象のもの。しかも右胸に『栄玉学園』と書かれている――学校指定の体操着。

 若い女子ならば、決して外出には用いないであろう服。だというのに、まるで当然のようにそれを着てくるという真里菜。


「……それ、学校の体操着じゃ……?」


「ええ。そうですが」


 この場合、考えられることは二つ。


 一つ目。

 男の(この場合僕の)家に女性一人で来るにあたり、相応しくない格好をあえて行う。これにより、「私はあなたの気を惹くつもりがありません」という意思を明確にし、お断りの印とするために先に着てきた。


 二つ目。

 純粋にいつも外出の際にはこの体操着を使っている。あまりにも柔道ばかりで服飾に対する興味が全くないため、着られれば何でもいいと思っている。


「どうかしましたか?」


「ええと……」


 こてん、と首を傾げる真里菜。

 その仕草は、実に可愛らしいし魅力的なのだと思うのだけれど。


 ……。

 どうしよう。どう考えても二つ目としか思えない。

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