第13話 お化粧

 僕が亜由美の化粧を始めたのは、一年ほど前からだ。

 その日友達と遊びに行った亜由美が、帰ってきてから悲しそうな顔をしていたのだ。それがどうにも、友人の一人が顔にばっちり化粧を施してやってきたらしい。中学二年生にして早熟だとは思うけれど、お母さんにやってもらったのだとか。

 そして、そんな風に化粧を施された友人を見た他の友人も同じく、次はお母さんに頼んでみる、と言ったらしいのだ。女子のヒエラルキーはよく分からないけれど、全員がやっていて自分だけがやらない、というわけにはいかないらしい。だからこそ、学校帰りにブルマで帰るほど羞恥心のない亜由美でも、やらなければならなくなったのだとか。

 だが、我が家に母はいない。僕が六歳のときに亡くなってしまったから。

 だからこそ、亜由美はそのとき初めて言ったのだ。なんで、うちにはお母さんがいないの、と。


 そこで、僕が一肌脱いだ。

 必死に勉強して、女の子向けの雑誌を購入して、化粧を基礎から学んだのだ。

 全て、この『千葉家の母』たる僕がやらねばならない、と。

 母さんがいなくても、兄ちゃんがいる――そう、亜由美に思ってもらえるように。


「よ、っと」


「……」


 化粧水をコットンにつけて、顔全体に伸ばす。

 まずは肌を潤すことからだ。しっかり化粧水をつけていなければ化粧の乗りも悪くなるし、肌を痛めるのである。だからこそ、最初にケアすることが一番なのだ。あとは毛穴にしっかり入るように、顔を軽く叩く。

 化粧というのは時間がかかるものだ。全てにおいて、馴染む、乾く、その待つ時間が必要なのだから。


 そして、乾いたら保湿のためのジェルを塗る。

 額、両頰、鼻先、顎先と五点に軽く置いて、中心から外側へ伸ばす。そしてこちらも、馴染むまで待たなければならない。そして、その間亜由美は僕に全てを委ねて目を閉じたままだ。

 少しは自分でやってほしいものだが。顔に塗るだけだし。


「肌どうだ?」


「うん、潤ってるー」


「じゃ、次いくよ」


 そして、化粧下地である。

 ここで日焼け止めも一緒に行う。亜由美自身は日焼けに全く抵抗がないため必要ないと言ったが、日焼けは肌を痛めるために良くないのだ。加えてコンシーラーで隠すことも難しくなってしまうし。だからこそ、常に日焼け止めを塗るように言って持たせている。

 もっとも、腕がやや小麦色をしているあたり、塗るのをさぼっているのが分かるけれど。

 ちなみに化粧水、保湿ジェル、化粧下地、日焼け止めという四つを塗ることで、やっとまともに化粧のできる肌になるのだ。僕も初めて見たときには、これほど面倒なものなのかと痛感したものである。


「……」


「……」


 無言で、次の化粧品を手に取る。

 次はコンシーラーだ。いわゆるシミ、くすみを消すアイテムである。肌色に限りなく近く、これを塗ることで自然に肌を隠すことができるのだ。

 亜由美は若干そばかすがあるため、そちらを自然に隠せるアイテムだ。


 次にパウダーファンデーションを化粧用の筆につけて、顔全体に塗る。


「にーちゃん、くすぐったい」


「我慢しろ」


 自分でやるのは大丈夫のようだが、人にされるとくすぐったいようだ。

 とはいえ、亜由美は僕に全部任せて自分で化粧をしないから困ったものだけれど。いずれは覚えてもらわなければ困る。僕だって一生亜由美の化粧をできるわけではないのだから。

 一応、高校生になったら自分でやるとは言っているけど。本当かどうかは疑わしいものである。


 ふぅ、とさらに次の化粧品に移る。

 次はハイライト――光をつけるためのものだ。こちらを指に軽くのせて、それを目の下、鼻先、顎先といった顔の中でも高いところに塗ってゆく。顔の中でも高い場所に光をつけることで、よりくっきりとした顔立ちを作ることができるのだ。


 そして、光をつけたら次は影だ。

 シェーディングパウダーという、影を作るための化粧品を筆に乗せて顔の輪郭に軽くあてる。やや丸顔の亜由美は、顔を細くみせるために左右に影をつけると良いのだ。あとは鼻筋に影を入れることで、鼻を高く見せる効果もあったりする。

 極めて自然に、化粧が濃くならないように調整しながら、影を落としてゆく。


 亜由美の平凡な顔立ちも、ここまでやれば彫りが深くなる。

 あとはチークで頰を軽く朱に染めて、血色を良くしておしろいをぽんぽんと肌に叩き、全体は終わりだ。

 ちなみに、一般的な男性がお化粧、と言われてまず思い浮かぶのはおしろいを叩くことであり、僕もその程度のものだと思っていた。調べれば調べるほど、面倒極まりない手順に辟易したものだが。


「ふぅ……」


 ここからポイントメイクに入る。

 ちゃんと整えてある亜由美の眉毛にペンシルを入れて、より綺麗な眉毛のラインが出るように整える。太眉も悪くないのだけれど、僕はどちらかといえば細眉の方が好きだ。だからこそ、一週間ごとに時間があるとき、亜由美の眉毛は整えるようにしている。

 でなければ、端の方の眉毛を伸びっぱなしで放置するんだよ、こいつ。


 そして、アイメイク。

 ビューラーでまつ毛を持ち上げて、アイライナーで目の上を黒く染め、目の端からやや長く見せる。これで切れ長の目になり、はっきりとした目鼻立ちになるはずだ。

 そしてアイカラーは、ナチュラルメイクに近いブラウンだ。赤や青もあるけれど、まだ中学生の亜由美にはまだ自然な感じの方が良いだろう。もうちょっと大人になれば、ピンクとか色々試せそうではあるけれど。

 次に、マスカラでまつ毛を保持させて長く見せる。これを下まつ毛にも同じくつける。僕はこれが一番苦手で、特に下まつ毛がなかなか難しいのだ。うまいこと全体に均等につかないのは、まだまだ修行が足りないからだろう。

 これでアイメイクは終わりだ。

 もっと拘るのならばつけまつ毛という手があるけれど、そこまでやると逆にギャルすぎる顔立ちになってしまうので、このあたりで済ませておく。


 ちなみに、ここまでの所要時間は三十分超である。

 化粧に時間がかかる、と文句を言う男性諸君、こんなにも時間がかかるものなんだよ……。


「にーちゃん、まだー?」


「もうすぐ終わるから」


 最後にリップメイクだ。

 唇にまずリップクリームを塗り、下地とする。その上にルージュ――いわゆる口紅だ。とはいえ、まだ幼い亜由美の口紅は濃いものではなく、むしろ桃色の薄いものである。

 その上にグロスを塗り、光を強調させる。プラモデルの塗装でいうところの下地、塗装、ニスといったところだ。


 これで完成。

 いつもながら、僕の力作はいつも素晴らしい。

 可愛らしい少女の完成である。


「はい、終わり」


「あー、やっと終わったー……やっぱにーちゃんすごい! うち綺麗! やばい!」


「口を開かなきゃ可愛いのにな……」


 鏡で確認して、僕の力作に常に感動してくれる。

 自分の顔だというのに、これほど美しくなるとは思わないだろう。化粧とは小さなことの積み重ねの結果、美しさをじわじわ上げてゆくものなのである。


「じゃ、着替えて行けよ」


「はーい」


 化粧品を簡単に片付けて、亜由美の部屋を後にする。

 こうやって僕が甘やかしているから、自分で自分のことをしないのかな、と少しだけ思ったりもする。だけれど、この技術も無駄にはならないだろう。いつか娘ができたときとか、教えてやれるし。随分と未来の話ではあるけれど。


 さて。

 亜由美が出かけたら、一週間でこれだけ乱雑にできるのか、といつも思う亜由美の部屋を掃除するとしよう。

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