第10話 踏み抜く地雷

 金曜日も既に四時間目を終え、昼休みが訪れた。


「千葉ー、ごはん食べよー」


「あ、うん」


 いつも通り、机を寄せてきて弁当を開く加奈子。

 そして弁当の内容も、いつも通り白ごはんにふりかけをかけただけの男らしい弁当である。


「失礼します」


 そして昨日と同じく、僕の前に弁当を置く真里菜。

 多分来るとは思っていたため、昨日ほどの動揺はない。


「やっほー、いずみん」


「どうも。武人、ご一緒して構いませんか?」


「ああ、うん。いいよ」


 どうせ拒否する権利はなさそうなので、そう承諾する。拒否をする理由もないし。

 僕も鞄から弁当を取り出し、同時に昨日の夜ラッピングした包みを、二人に渡す。


「これどうぞ」


「わー! 千葉手作りクッキーきたー!」


「……そんなに大声出さないでよ」


 加奈子の大声に、少し注目が集まる。ただでさえ真里菜がいるせいで注目を集めているというのに、これ以上注目されると僕の胃がもたない。

 しかしそんな加奈子とは対照的に、真里菜は無言で僕の渡した包みを見ていた。


「……」


「ええと……クッキー、嫌いだったかな?」


「……いえ、申し訳ありません。食べたことがないもので」


 ……。

 え?


「いずみん、クッキー食べたことないの!?」


「級友が食べているのを見たことはありますが、自身で食べたことはありません。昔から菓子は体に悪い、と父に言われていたものですから」


「うわー、そんな生活あたしなら死ぬわー」


「いえ、十分な栄養は摂取していますので死ぬことはないと思いますが」


「そーじゃなくって……あたしならストレスでハゲるわー」


 確かに、世の中から甘味がなくなったら発狂するのではないか、と思えるほど加奈子は甘いもの好きだ。

 甘さ控えめで作ってある今日のクッキーは、お気に召してもらえるやら。

 真里菜はじっとラッピングされた包みを見て、ふぅ、と嘆息する。


「……武人」


「ん?」


「私は菓子を食べません。脂質が多くカロリーの高い菓子は、アスリートには天敵なのです。ですが、これは武人が自ら作ってくれた好意の印です。それを菓子を食べないという己の理由で拒むことは人の道に反すると考えます。この場合、女子としてはどうするべきなのでしょうか?」


 そう聞かれましても僕は男子なのだけれど。

 しかし、確かにお菓子を食べたことないんじゃないか、って昨日予想したけれど、まさか当たるとは思わなかった。


「ええと……」


「んじゃあたしが食べるー」


「まぁ、よっぽどいらなければ加奈子にあげれば食べてくれると思うよ。でも……その、一応、僕も考えて作ってきたからさ……一枚くらいは、食べてほしいかな」


「……そう、ですか」


 少しだけ悩んで、真里菜は昨日と同じく、白と茶色で構成された弁当を開く。

 中に入っているのは全く同じメニュー。茹でた鳥ササミとゆで卵、玄米だ。


「あ、おいしー。今日のって甘さ控えめだねー」


「……ご飯を食べてからお菓子を食べるのが普通だと思うんだけどね」


 ふりかけご飯を半分ほど食べてからクッキーをもそもそと食べ、そのまま再度ふりかけご飯を食べられる女子はそういないのではなかろうか。

 そしていつも通り、僕のおかずは明らかに減っているわけで。


「なーんか不思議な食感。何これ?」


「今日のは、豆腐クッキーなんだ」


「豆腐!?」


 えーっ、とでも背後に擬音がつきそうなほど、加奈子は驚愕の表情を浮かべていた。

 そしてそんな僕の言葉に、真里菜も眉根を寄せる。


「材料は豆腐と薄力粉、ベーキングパウダーと小豆。砂糖も卵も牛乳も使ってないから、かなり甘さ控えめになってるけど、カロリーは低いし脂質も少ないんだ。これなら真里菜さんでも、食べられるかなって思ってさ」


「へー、そうなんだ! 豆腐って思えないくらいおいしーんだけど!」


「……豆腐、ですか」


 食事を終えた後も、僕の渡した包みをじっと見据える真里菜。

 できれば作った身としては、一枚くらい食べてほしいものだけれど。

 僕も食事を終え、自分用に包んできたクッキーを取り出す。昨日は亜由美と一緒に焼き立てを食べてきたけれど、そのときは甘さ控えめで十分美味しく出来上がっていた。

 ……亜由美が際限なく食べようとするのを、止めるのが大変だったけれど。


「あー、美味しかった。あ、なんだー。千葉、もう一袋あるじゃーん」


「これ僕のだからね!?」


 既にクッキーを食べ終えた加奈子が、次にロックオンしたのは僕のクッキー。

 僕は作るのも好きだけど食べるのも好きなんだ!


「いいじゃーん。ケチケチしないでちょっと分けてよー」


「同じ量あげたんだけど!?」


 まるで僕が渡していないみたいな言い方はやめてほしい。

 するとようやく、真里菜の手が、ラッピングを解いた。

 袋の口から覗くクッキーを、じっと見据える。


「いずみん、いらなかったらあたし食べるからねー」


「江藤、老婆心からですが、もう少し食べる量を減らした方が良いと思います」


「やだー」


 真里菜は恐る恐る、といった様子で、ゆっくりと袋の中から一枚を取り出し。

 口に、運んだ。

 瞬間――かっ、と目を見開く。


「……美味しい」


「なら良かった。一枚あたりのカロリーはかなり少ないけど、もし気になるんなら、残りは捨ててくれてもいいからね」


 ちなみにこの捨てる、とはイコールで加奈子に渡す、である。

 僕も一枚齧る。やはり焼き立てには及ばないけれど、優しい甘みのあるクッキーだった。


「ちぇー。あたしももっと食べたいなー。いずみん、もういいでしょ? いらないでしょ?」


「いえ、私の認識不足でした」


 二枚目をポリポリと齧りながら、真里菜は頷く。

 一体何に納得しているのか分からないけれど。


「お菓子とは素晴らしいものですね。世の中にこれほど、幸せになれる存在があるとは思いもしませんでした。これほど美味しいにも関わらず、豆腐と小豆ということは高タンパク低カロリー……加えて小豆にはビタミンB1が多く含まれています。アスリートにとっても素晴らしい菓子だと考えられます」


「……ありがとう。そう言ってもらえると、作ってきた甲斐があったよ」


「礼を言うのはこちらです。ありがとうございます。そして江藤、私のクッキーは私が全て食べますので、あなたに差し上げられるものはありません」


 ゆっくり真里菜のクッキーへと手を伸ばしていた加奈子が、そう制されて手を引っ込める。

 そして三枚目へ手を伸ばし、口に入れて。


「……ですが、やはりこれで確信しました。私の女子力を向上させるためには、武人に教わる以外の選択肢がありません」


「いや、それは別問題だと思うんだけど……」


「いずみん女子力向上計画? あー、だから女子力高い人誰、って聞いてきたんだ?」


「その通りです。私は女子力を向上させようと思うのです」


「ふーん……でもさぁ」


 どうやら、加奈子は地雷を探すのが好きらしい。

 加えて、地雷を踏むのが好きらしい。

 さらに、それにより致命的なダメージを与えることが好きらしい。

 何気なく。

 たった一言。

 呟いた。


「柔道部って時点で、女子力マイナスじゃない?」

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