第7話 火花
「……江藤、どういうことですか?」
ゆっくりと顔を上げ、鋭い眼差しで加奈子を見据える真里菜。
僕の背筋を何か冷たいものが走るけれど、どうやら食事に夢中の加奈子は気付いていないらしい。
「ほえ? あおえー」
「飲み込んでから喋って下さい」
「……んっ。あのねー、女子は味には敏感なんだよ。美味しいスイーツと聞けば別腹ができるんだからね!」
「人体の解剖生理学上、内臓に胃は一つしかありません」
「そーじゃなくてね! 美味しいものなら、どんなにお腹いっぱいでも食べられる! それが女子!」
そうとは限らない気がする。
僕も女子力について詳しいわけではないが、ガツガツ甘いものばかり食べている女性を女子力高い! と思ったことはない。
しかし真里菜は「くっ!」と言いながら、顔を伏せた。
一体どんな敗北感を得たのだろう。
「……そうなのですか? 武人」
「いや……僕に意見を求められても」
「でもさー、千葉はどう思う? どんなに美味しいもの出されても、『体に悪いので』って断る女子と、『わーい、美味しいー』って食べる女子。食べる方が女子力高くない?」
そう言われると、なんとなくそんな気がしてくるのが不思議だ。
女子力はあくまで、世間一般の男が求める女の子らしさ、というのが僕の認識だ。そういう認識において、前者はあまりにもストイックすぎる。かといって、後者はあまりにも極端ではあるまいか。
つまり、僕としては。
「まぁ、僕の個人的な意見だけどさ」
「うん」
あくまで、これは僕の個人的な意見である。
だけれど、両極端であるよりは、両方の意見を柔軟に取り入れることこそが女子力なのではなかろうか。
「甘いものを食べるときには幸せになりながらもちゃんと量を決めて、それでもその甘いものが体重に及ぼす効果をちゃんと考えた上で、食事量を調整して運動をしっかりやって甘いもので得たカロリーを帳消しにする。それで幸せを感じながらも自分磨きは怠らないことが女子力なんじゃないかな?」
「っ!?」
「……」
何故かそう言った僕に、加奈子が驚愕の表情を浮かべ、真里菜が言葉を失っていた。
僕そんな変なこと言ったか?
「じょ、女子力、やばい、奥が深い……!」
「なるほど……それが女子力ということですか。少しだけ理解することができました」
ふむ、と何故か頷いて。
真里菜は改めて、僕に向けて頭を下げた。
「やはり武人、あなたは私が師に仰ぐに相応しい」
「何が!?」
一体真里菜のどんな琴線を打ったのか、唐突にそう言ってくる。
僕はただ、女子力高いかどうかを述べただけだというのに。いや、この子はそれが目的なんだった。そうじゃなくて!
「やはり江藤の推薦は確かでした。武人の女子力は随分高いようです」
「あー、確かに千葉って女子力高いよねー。ってあれ? なんでいずみん、千葉のこと名前で呼んでるの?」
「何か問題でもありますか? 私のことも真里菜と呼んでくれて構わない、と昨日述べました。師と仰ぐにあたり、親愛の情を示したつもりですが」
「いやいや問題多いって。いずみんが名前で呼ぶ男子なんて他にいないでしょ?」
「親愛の情を示す必要性を感じませんので」
僕はどんな反応をすればいいのだろう。
というか僕は『和泉真里菜がファーストネームで呼ぶ男子』という、一部のコアなファンに恨まれるような特権階級に、いつの間にか座っていたらしい。
全く嬉しくないのだが。
「ってあれ? 千葉はいずみんのこと、名前で呼んでるっけ?」
「……呼んで、るよ」
「辛うじて、真里菜さんとは呼んでいただいています。私はさん付けも不要と述べたのですが、そこだけは譲ってもらえなかったのです」
「そりゃ……当たり前じゃないか」
これは多分、考え方が根本的に違うのだと思う。
僕は昨今流行している(はずの)草食系男子である。自ら積極的に恋愛などに向かない男子のことを、総じてそう呼ぶはずだ。
そんな僕が。
「……知り合って間もない女子の名前を、そんな簡単に呼べないだろ」
「何故ですか?」
本気で訝しむように、真里菜がそう尋ねる。
どうやら僕の考えは、全く理解されないらしい。
「だって……その、名前で呼び合うっていうのは、特別な関係ってことになるじゃないか。お互いを名前で呼び合うってことは……それだけ、お互いにしかない絆があるっていうか、何だろ……その……」
じっと僕を見る二人の目。
耐えられず、どもってしまう。
「は、恥ずかしい……じゃないか……」
僕がそう言った瞬間に、加奈子、真里菜が揃って顔を背ける。
加奈子はぷるぷると肩を震わせながら。
真里菜はしきりに何やら頷き続けながら。
笑いたければ笑えよちくしょー!
仕方なく、赤面したままの僕は弁当を食べる作業に戻る。
正直、心理状態が限りなくレッドゾーンに近いため、味なんて感じる余裕がないけれど。
「やばいってやばいって何これ千葉超可愛いんだけどこれ」
「これは確かに江藤の言う通りですね。私には存在しないもの。くっ、この感情は何なのですか……」
二人揃って何やらぶつぶつ呟きながら、しばしそのまま時を過ぎ。
最初にこちらを向いてきたのは、加奈子だった。
「はー……ねぇ、千葉ー」
「何さ」
弁当の、最後の卵焼きを食べ終わる。
今日の卵焼きは自信作だったのに、結局ろくに味も分からなかった。
お茶で思い切り流し込み。
「嫁に来ない?」
「だから何で!?」
何度、僕は嫁を貰う立場なのだと説明すればいいのだろう。六法全書でも見せれば納得してくれるのだろうか。
しかしそんな加奈子のたわ言を、別の声が制した。
「江藤、それは駄目です」
「何よ、いずみん」
ああ、良かった。
さすがに、加奈子のたわ言に対しては反応してくれる、常識人だった。限りなく今まで非常識だったけれど、ここはさすがに常識的な反応を――。
「十八歳以上でなければ、婚姻はできません」
「あ、そっかー」
「なんでそこが問題点になるの!?」
何故かそんな風に。
胃が痛くなるような昼休みは、五時間目を告げる鐘が鳴るまで続けられた。
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