第6話 翌日
響き渡る鐘が終わりを告げる。
なんて書き出しだと神話か童話の始まりのように思えるかもしれないが、単にチャイムが鳴って四時間目の数学が終わっただけの話だ。
食後の数学というのは眠気を誘う魔力に満ち溢れているが、食前の数学というのは空腹と不満を増強させる作用があると思う。単に僕が数学が苦手なだけ、と言われるとそれまでだが。
「千葉ー、ごはん食べよー」
「あ、うん」
授業が終わると共に、嬉々としながら僕の机に自分の机を寄せ、弁当箱を取り出す加奈子。
基本的に、最近の僕はこうやって加奈子と二人で昼食をとることが多い。そのおかげで他のクラスメイトからからかわれることも多いけれど、別にそういった関係である、というわけではないことは明確にしておきたい。
何せ。
「あ、これ美味しそ」
「だから何で僕の弁当を勝手に食べるんだよ!?」
弁当箱のから揚げを掬い取るように摘み上げ、自分の口へとナチュラルに運ぶ加奈子。その行動には全くの不自然さすらなく、そして素早い。
毎朝しっかり早起きして、妹の分と自分の分と作ってくる弁当。中身は昨日の夜の残りを適当にアレンジしたものとすぐに作れる料理、ついでに冷凍食品といったところだ。もっとも、冷凍食品は自分で作ったものを冷凍しているため、レンジで暖めればすぐに食べられる簡単料理の恩恵はあまり受けたことがない。だって高いんだもの。
そんな僕の弁当は、それなりに考えて作っている。野菜をしっかり取れるように、冷めても美味しいおかずを毎日用意するのは、なかなかに至難の技だ。
比べ加奈子の弁当は――基本的に、米しか入っていない。
俗に言うところの日の丸弁当というわけではなく、その上に掛かっているのはふりかけだ。ふりかけと米だけで構成された、なんとも男らしい弁当である。
だから僕は加奈子と共に昼食をとるという行為は、友人としての親愛的な行動ではなく、単純におかずが欲しいだけだと思っている。
「うんうん。千葉はいい嫁になるよー」
「僕は嫁を貰う方だからね!? って言いながらまた取るなっ!」
と、僕と加奈子がそうおかずの攻防戦(主に僕が防御側)を繰り広げているところに。
すっ、と影が差す。
「失礼します」
まるでそれが当然の行動であるかのように、僕の前へと小さな包みに入った弁当箱を置き、僕の前の席である渡邊君(多分学食に行っている)の椅子を勝手に使用して座り、包みを開く。
和泉真里菜の姿があった。
「あれ? いずみん?」
「私のことは構わず続けてください」
「……いや、そう言われても」
「うん、分かった。あ、卵焼きおいしー!」
「それでどうして普通に続けられるのお前!?」
今日の卵焼きは結構美味しくできてたのに!
しかし、加奈子はもっしゃもっしゃ、と女の子らしくない咀嚼音を立てながら、僕のおかずをすぐに飲み下して米をかき込んでゆく。まさに体育会系の昼食、といったところだろう。
まぁ、こうやって加奈子に奪われることが分かっているから、おかず多めに作っている僕も僕で毒されているけれど。
材料代でもくれれば、弁当くらい作ってあげるのに――そう思わないでもない。
「えっと……どうしたの? 和泉さん」
「真里菜です」
「……はい?」
「私のことは真里菜で結構です」
「……ええと」
こんなやり取りが、昨日の夜にもあった覚えがある。
真里菜はそう言いながら弁当の包みを開き、銀色のなんとも味気ない弁当箱を取り出した。女の子なんだから、何かのキャラクターものの弁当箱でも持てばいいのに。
そういえば、加奈子の弁当箱も黒一色の四角形となんとも男らしい弁当箱だった。僕の周りの女子というのは、どうやら派手な弁当箱を好まないらしい。
「……真里菜さん、どうしたの?」
結局根負けして、そう名前を呼ぶ。ただし、周囲になるべく聞かれないように小声だ。もっとも、真里菜がこの席に来ている、という時点でかなり注目を集めているため、効果の程は全くないだろうけれど。
ぼそぼそ、とこちらを見ながら噂話が弾んでいる。僕としては非常に胃が痛い。
「迷惑でしたか?」
「……いや、そんなことは」
正直に言うと迷惑極まりないのだが、そうは答えられない。
そもそも真里菜と共に食卓を囲む、という行為がこのクラスにおいてもかなりのレアケースであるのだ。
和泉真里菜は孤独を好む。
そう人に言われるほど、真里菜は他者と関わろうとしない。
授業中は寝ており、休み時間も寝ており、昼食を早々に食べたあとはまた眠る。授業が終われば部活の練習――と、見事に他のクラスメイトと関わっている姿を見たことがないのだ。稀に起きていたとしても、大抵の場合本を読んでいる。それも少女が好むような恋愛小説などではなく、栄養学や生化学の専門書だ。さすがに、「その本面白いよねー」と話に入れる猛者はいなかった。
そんな真里菜が、僕の前で弁当を食べようとしている。
これを迷惑だとのたまって拒否したら、その瞬間から僕の立場は消え去ることだろう。女子高生のやたら早い噂話で社会的に。下手をすればファンクラブから物理的に。
「では、失礼して食事をとらせていただきます」
「……どうぞ?」
「いただきます」
丁寧に手を合わせ、それから真里菜は弁当箱を開く。
端的に視界に映ったものを述べるならそれは――茶色と、白だった。
まず、食べる本人から見て左手にあるのが茶色い粒――恐らく、玄米を炊いたものだろう。健康食品として有名だ。
そして右手にあるのは、白いものが二種類――片方は鳥のササミを茹でたもので、片方はゆで卵。当然ながら、彩りにも味付けにもなるソースの類は何も掛かっていない。
鳥のササミもゆで卵も、本来は単体として食べるものではないはずだ。少なくとも僕の人生においてそれら二つを食べてきた結果、どちらも『味が薄い』として落ち着く食材のはずである。
真里菜は特に何を言うでもなく、もそもそとそれを食べ始めた。
「……あの、真里菜さん」
「はい? どうかしましたか?」
「……その、さすがに食事内容がストイックすぎないかな?」
「?」
僕の質問はまさしく正鵠を射ていたと思うのだけれど、真里菜は理解できない、とばかりに首を傾げるだけだった。
淡々と食事を続けながら、真里菜が解説する。
「私はアスリートです。アスリートには豪華な食事は必要ありません」
「……いや、豪華っていうかそれ」
何だろう。精進料理よりも食べたくない。
僕が本日の弁当として用意した場合、二方向から罵倒と暴力に遭うだろう。妹と加奈子という後者に関しては理解に苦しむ相手ではあるけれど。
「鳥のササミとゆで卵は、高タンパク低カロリーの食材です。アスリートの体を作るにあたって、これ以上に適した食材は存在しないでしょう。玄米は白米よりもビタミンやミネラルが豊富にありますし、やや固いので咀嚼数も増え、満腹感を維持します。何か問題がありますか?」
「栄養が偏ると思うんだけど……」
「必要なビタミンにつきましてはサプリメントで補充しています。また、基礎代謝量から計算した必要カロリーは摂取しています。何か問題でも?」
……反論できない。
どうやら真里菜は、食事はきっちり栄養学に基づいて作成しているようだ。そうなると、僕の反論材料は何もない。何せ僕は、栄養学など何一つ知らないのだから。
だが、あくまでも素人の意見として物申すのであれば。
「……それ、美味しいの?」
「食事の美味い不味いに拘りはありません。体に良いものであれば何でも食べますし、どれほど美味しくても体に悪いものは食べません。結果として、こういった食事内容になっただけのことです」
「……そ、か」
それほど達観しているならば、もう僕は何も言うまい。
元より、僕に真里菜の食生活に対して意見する権利などないのだから。
しかし地雷は。
僕の隣で、踏み抜かれた。
「やっぱいずみんって女子力低いよねー」
ぴたり、と真里菜の箸が止まる。
加奈子が(僕の)おかずをもっしゃもっしゃと咀嚼しながら、何気なく呟いた一言。
それは彼女にとって――鬼門の言葉なのだから。
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