マザコンになりたい

 ドマザコンな友人を見ているうちに、自分もマザコンになりたくなってきた。絶対的な味方がいるって、ずるくない? わたしも一緒に服を選びに行って、「あんたにはそっちが絶対にあう」って決めてもらいたい! 残念なことに、わたしにはマザコンになれるほどのママがいないので、わたしはさっそくママを探し始める。まずはインターネットだ。ママ活なんて言葉もあるし、きっとすぐ見つかるだろう、という予想を裏切り、なかなかいいママは見つからない。すぐにお金をちらつかせたり、密室へ連れていこうとするママはいらない。困ったわたしは、例のマザコンの友人にアドバイスを求める。「いや、恋人作るか結婚したら?」ママが心配するから、とスマホすらもっていない友人からドン引きされて、わたしは怒った。わたしは配偶者が欲しいんじゃなくって、絶対的な保護者が欲しいのだ。

 仕方なく、わたしは次に地域の敬老イベントに参加する。ちょっと年が離れすぎているけど、おばあちゃんだってほら、縁側で子どもの悩みを聞いては「大丈夫」って根拠もなく慰めてくれる存在でしょ? そう思ってたのに、現実は甘くなかった。どこが痛いここが辛い、嫁が息子が孫が犬がとまくし立てられ、わたしはふらふらしながら帰ってきた。よほどしゃべりたいことが溜まっていたのか、壊れたスプリンクラーみたいに話し続けるおばあちゃんに、わたしの悩みなんて相談すらできない。最近スマホを買ったという友人にググりかたを教えながら、わたしは次の手を考える。

 目をつけたのが、VTuberだ。かわいいキャラクターのガワを被った彼女が、実際何歳かなんて知らないけど、低く落ちついた声でお悩み相談に丁寧に向き合う姿勢は、ファンから「ママ」と呼ばれるのに十分だった。何千人のうちのひとりにしかなれないけど、お金もかからないし毎日会える。わたしはみるみるハマっていった。相談を送って読まれたときは飛び上がったし、細かい砂を拾い集めるように丁寧に答えてくれる彼女の姿に涙も流した。一緒に買い物には行けないけど、わたしには「ママ」がいる。そう思うと、いつでも逃げ込める秘密基地を持ったように、強く大胆になれた。それなのに、彼女はある日、何の前触れもなくわたしのママをやめてしまった。「天使に恵まれました」出産報告は驚きと喜びをもってファンに受け入れられたけど、誰か一人の「ママ」になってしまった彼女を、もはやわたしは見たくもなかった。こうしてわたしはまたママを失う。まったく、マザコンはむずかしい。

 さすがのわたしも落ち込んだ。わたしのことを真に心配して、導いて、大切にしてくれる人なんていないんだ、とやさぐれた。そんな折、心配してくれた友人がとあるアプリを作ってくれる。わたしの顔を登録しておくと、コーデが似合うか判定してくれるらしい。「つまり、これが欲しかったんだろ?」どや顔する友人は本当にバカだと思うけど、とんちんかんな慰めが思いがけず胸に沁みちゃってくやしい。

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