hungry

 パンを三斤かかえて電車に乗ると、それはそれは視線が痛い。いつからこんな大食いになってしまったのか、もう覚えてもいないけど、これだけないと昼までもたないのだから仕方ない。爆音でなる腹の虫に、社長がしぶしぶ間食を許してくれてよかった。十二時の鐘と共に事務所を飛び出し、馴染みの定食屋で握ってもらった三十個のおにぎりを掴んで、ぼくはさっそく一つ目を飲み込む。もはや味はどうでもいい。咀嚼しすぎてアゴのだるさを抱えながら、明日はもう五つ増やしてもらおうとぼくは決める。

 ついに食費が給料を超え始めて、やむなくぼくはフードファイターに転職する。これは我ながら英断で、なにせタダでものが食べられる上に賞金まで出る。貰ったばかりの賞金でさっそく手頃なビュッフェをひとつずつ空にしていると、肩をたたかれた。「お聞きしたいことがあります」

 医師だと名乗るその人に連れら検査を受けた結果、ぼくの胃が宇宙空間と繋がっていることが判明する。空腹をがまんして口に手をあてると、なるほどたしかに空気が引き込まれているのを感じる。「健康被害はなさそうですが」モニターを見つめながら白衣は言う。「飲み込むものが少ないと、徐々に胃壁を吸い込んでいるようです」「まずいんですか?」「穴が胃の大きさを越えたら、肉体を吸い込み始めるかもしれません」

 もはや咀嚼は追いつかなくて、ぼくはぶっといストローでドロドロになったスムージーを無限に吸いこみながら、右往左往する医師や政治家や物理学者を見つめていた。そのうち、吸い込めるなら食べ物でなくてもいいと気づいた何人かが、白っぽいスムージーをもってきた。人工甘味料で申し訳程度に味付けされたそれは、例えるなら水でふやけたティッシュが一番近くて、はたして元がどれだけヤバい書類なのかは分からないけど、ぼくは黙って飲み込んだ。奈落の底はたいへん需要が大きくて、なにがあるか分からないと諫める医者の言葉を無視して、ぼくの元にはたくさんのモノが届くようになる。積み重なる契約書にうんざりしたぼくを、サポートしてくれる人たちが現れる。影でぼくのことを「金の成る掃除機」と呼んでたエージェントもどきたちを、ミックスジュースにしてくれたのは主治医だ。「まずいから」とはじめは渡そうとしなかった動かぬ証拠を、ぼくは奪い取ってぜんぶ飲み込む。

 ついにぼくは捉えられ、余罪を追及された主治医と一緒に宇宙へ投棄される。「しくりましたね」主治医はいたって冷静に告げる。酸素マスクではなく、流動食が延々流れてくるチューブを口にねじ込まれているぼくは、眉を大げさに上げ下げするしかできることがない。狭いスペースカプセルの中から見た地球は、正直あんまりきれいじゃなかった。「証拠、飲んであげたのに」地球が点のように小さくなって、積まれた燃料も食料も尽きて、流動食の流れていたチューブも飲み込んで、ようやくぼくは、主治医に向かって言葉を発した。拘留生活で伸びた彼のひげが、ぼくの口の陰圧に引かれて、手招きするように揺れている。

「患者に異物を食べさせるのは、流儀に反しますので」

 それより早くなにか食べないと、と手当たり次第に食べ物を探す彼は、根っからの医者だった。島流しに食糧を持たせるバカはいない。冷静に見えていたけれど、彼もこんな非常事態に、パニックになっているらしい。ぼくはにっこり笑って壁のボタンを押す。彼のシートベルトが固定され、代わりにぼくは浮き上がる。

「帰って、甘いものでも食べたほうがいいよ」

 ゆっくりと向きを変えるシャトルから、ぼくは宇宙服ひとつで外に飛び出す。まったく、お金というものはありがたい、犯罪者のお願いだって、ちょっと袖の下を仕込むだけで、あっという間に叶ってしまう。彼を乗せ、本来ないはずの燃料を燃やしながら青い星に帰っていくシャトルにぼくは手を振る。フランスパンみたいな軌跡を残して遠ざかる光が、ゆっくりとぼやけていく。

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