輪廻転生諸行無常

 いわゆる異世界転生ってやつだ。セオリー通り俺は最強で、誰の干渉も受けない俺の力は、絶対防壁も必中攻撃も打ち破る。最初に俺を助けてくれた、短剣使いの女の子は実は呪われた姫君で、忌み日に生まれたせいで追放されてしまったらしい。ずっと人里離れた山で生活していたらしく、ちょっと世間知らずの気がある彼女は、俺が簡単な交渉術を見せただけで、心配になるほどあっさりとほだされてくれた。顔を赤らめながらも、形見だというきれいな腕輪をもらって、気分が悪いはずもない。俺たちは成り行きで、国を救いながら天下を目指す。

 そうして世は太平になった。俺は彼女と固く抱き合い、それから一緒に、城の深部に封じられた未来の泉をのぞき込む。彼女の呪いを解く術が現れるはずの泉には、なぜだか暗い病室が写った。そう、病室だ。中世ヨーロッパ風のこの世界のものではなくて、蛍光灯とリノリウムの、俺がかつて居た世界。ベッドに横たわる管だらけの男は、まぎれもない俺だった。

 現実世界の俺は植物状態で、かろうじて死んではないらしい。そして、俺が現実に戻ることが、彼女の呪いを解く唯一の方法だった。現実の俺のベッドのそばに、丸椅子に座ったまま苦しそうな格好で眠る女性がいる。別居状態だったはずのかつての妻が、頬に涙のあとを残したまま、浅い眠りに落ちている。

 パワハラとモラハラと、責任と無力感の満ちた世界に、帰りたいはずもなかった。それでも、俺は悩んだ末に、泉を通って現実に還る。彼女も妻も、二人を救えるのなら、きっと悪い選択じゃないはずだ。そう納得したはずなのに、やっぱり現実はクソ中のクソで、重たい体を引きずりながら人の流れに翻弄される日々は、じわじわと俺を削っていく。

 一度はよろこんでくれた妻とも、結局別れることになった。年度末の繁忙期が終わった金曜日、コンビニで買ったビールを帰り道であけて、俺はかつてトラックに跳ねられた交差点に立っていた。空には中途半端に欠けた月があって、一車線の交差点には誰もいない。くーっとビールを飲み干して、俺は交差点に大の字に寝そべった。十字に切り取られた夜空は紺色で、薄っすら雲がかかっている。エンジン音が近づいてくる。俺は目をつぶってそのときを待った。「バカか!」罵声が聞こえて、俺は失敗を悟る。のろのろ体を起こすと、ぐっと腕を引っ張り上げられる。「あんた、大丈夫か? 病院行くか?」顔を上げると、喉ぼとけの出た美女が俺を見ていた。あわてて後ずさりすると、一拍置いてそいつは豪快に笑いだす。「んだよ、肝っ玉が太えのか細えのか、分かんねえやつだな」このまま死なれたら寝覚めがわるい、と俺はそいつに送ってもらう。恐縮しきりな俺に焦れたのか、そいつは名刺を取り出すと、「次回おごれや」と言って去っていく。名刺には俺でも知っている小説家の名前があって、しかもそれが愛読していたラノベの作者だったから、そのギャップにひとしきり笑う。異世界に行ってたって話をしたら、どんな反応をするだろう。俺は名刺をポケットに入れると、自宅の鍵を探しながら階段をのぼる。

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