書葬

 ぱっと燃え上がる炎の向こうにニヤニヤ笑うあいつが消える。黒くすすけた文庫本の世界には、もう二度と行けない。

 ようやく見せた尻尾をつかまえ損ねて、わたしは奥歯をかみしめようとし、失敗する。長い前歯のみのウサギ族となったこの世界のわたしには、地団駄しか踏めない。伝説的な大怪盗だったあいつを取り逃がした、かつての名探偵たるわたしは、タヌキが番台に座る古本屋で適当な写真集をひっつかみ、金を払うと開いた紙面に飛び込む。

 ぶくぶく散らばる泡の中で、わたしは鯨になっていた。水の世界の王となったわたしが、その巨大な体で世界中を泳いでも、あいつはどこにも見つからない。やっぱり今でも水が嫌いなんだろうな。かつて、あいつとわたしが同じ家で暮らしていたころ、てこでも風呂に入らないから大変だった。

 ヤドカリが海藻に綴った巻物の世界は、灼熱の砂の海だった。盗賊団の頭領となったあいつを警察官のわたしは追う。「そいつなら、つい最近みたよう」砂の粒子をかき分けてやってきた行商人が教えてくれる。「この先の露店に向かったさね」タバコの巻き紙に書き連ねられていた物語のなかで、銀色のマッチ棒みたいなオートマギアは、そう言って指をさす。「西の旅行者を訪ねるってさ」あいつの意識が宿るマザーコンピューターの整備士だったわたしは、なんとかあいつを引っ張り出そうと必死で、隙をついて逃げ出した末端のなかのあいつを取り逃がす。

 数多の世界を巡ってなお、わたしたちの追いかけっこは終わらない。あいつは本当に、こうと決めたら意地でも折れないから困る。「そっちこそ」なんてジト目が浮かんで、わたしはこっそり笑いながらアスファルトを駆け抜ける。あいつとしゃべれるようになったのは、こんな追いかけっこをはじめてからだけど、目は口程に物を言うのだ。今だってほら、燃える本のなかに吸い込まれていくあいつの腕を捕まえたわたしに、「このバカもの」って顔が言ってる。最初っからそうだった。「オレなんか拾ったら、寂しいことしかないんだぞ」って、公園の隅っこでブルブル震えながら、ぎゅっとわたしをにらんでいた。だから拾った。所かまわずひっかいて、昼夜問わず鳴き叫んで、甘えてくるのに甘えるのは許してくれなくって、勝手に死期をさとって出て行って、そのくせ間際で結局わたしに見つかっちゃって。掴んだ腕を伝って、炎が生き物みたいにわたしに巻き付く。痛々しくゆがんだ顔に手を伸ばし、わたしは耳の裏をかいてやる。ツメが甘いのは昔からなんだから。まったく、不器用なことこの上なくて、かわいい。

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