紙の舟

 上陸する島を持たないわたしは、お札で作った舟のうえで、毎日必死に水を汲みだしている。底からふやけて解けていく舟を、同じ速度で修復してやっと、なんとか浮かんでいられるのだ。「毎日がんばるねえ」人魚のあの子は、定期的にわたしの舟にやって来ては、ぬれた手で縁に触るから嫌いだ。

 今日も今日とて、わたしは上空からわずかばかりに降ってくる長方形の薄い紙を必死でかき集めては、船底に張り付けていく。一か所でも穴が開いたらあっという間にしずんでしまうから、均等に、過不足なく、慎重に、丁寧に。ずっと下ばかり向いているから、肩が凝って仕方ないけど、一瞬でも目を離すとすぐ底が抜けそうになるから仕方ない。「星がきれいだよ」と叫ぶ人魚を無視して舟の補修に精を出していると、緑の何かが札の中にまぎれていることに気づいた。手のひらほどの葉っぱだった。例の人魚が、目だけを水面にだしてわたしの様子を窺っている。葉っぱは不思議と濡れてなくって、どうやら沖から流されてきたものを、人魚が頭の上で天日に干したらしかった。わたしはちょっと悩んでから、札と同じように舟底に張り付ける。まだ瑞々しい葉っぱは、紙の札と違って、水をはじいて悪くない。

 それから、たまに葉っぱが投げ込まれるようになった。何の得もないのにどうしてこんなことをするのかとわたしが聞けば、人魚は「ニンゲンは水に落ちると死ぬんでしょう」とジト目で呟いた。「話し相手がいないのはつまらないから」ぱっと水中に消えた人魚にそれ以上のことは聞き出せなかった。仕方ないので、わたしは前よりも少しだけ、人魚の与太話につき合ってやる。人魚はニンゲンの生態に興味がある様で、わたしが札の一枚を渡してやると、飽きもせずずっと眺めている。

 そんな生活も、長くは続かなかった。ちょっとした嵐がきて、舟はあっけなく沈んだ。どこかに帰りたくなるような夕焼けはあっという間に泡に消えて、わたしは暗い水底に沈んでいく。金色に光る泡の向こうから、人魚が手を伸ばしている。うねる尾のうろこが、遠ざかる太陽を反射して、まるで星屑みたいに光っている。

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