透明人間の主張

 どうやらたまに、僕は透明人間になるらしい。そのことに気づいたのはつい最近だ。なんかやたらと、人にぶつかられるなあとは思っていた。足を踏まれたり、僕に向かってカサをつきたててきたり。僕って絡まれやすいのかなあと悩んだりもした。でもこの前、正面からぶつかられてつい、声を荒げてしまってから気づいた。一切変わらない表情は、わざと無視してやろうなんて、悪意すら感じないほど透明だった。

 あわててネットに書き込むと、びっくりするくらいメッセージがきた。同じ経験がある、と声をかけてくれた人と会ってみると、十何人もの集団だった僕らのど真ん中を、わざわざ突っ切ってくる人が何人もいて笑ってしまった。僕らはだんだんおもしろくなってきて、明らかに見えてない人たちにこっそりまとわりついては、目の前にたちふさがってみたり、耳元に息を吹きかけてみたり、ズボンのチャックを開けてあげたりと、たくさんのイタズラをした。僕らが見えている人たちは、バカなことをしている僕らと、黙ってされるがままの相手を交互に見て、狐につままれたような顔をして、そそくさと逃げていった。

 僕らはしばらく憂さ晴らしに勤しんでいたけど、やがてそうも言っていられなくなった。彼らは彼らの見える範囲にだけ優しかった。全員に暖かな家を与えるという事業がはじまって、僕らは困った。「不正な受け取りを防止するため、鍵は対面での受け渡しに限る」にっこり笑う鍵番は、どうみても僕らのことが見えそうにない。

 同じように働いて、お金も納めて、おもしろおかしく生きているんだから、家だって必要だ。なんとかしてここにいると伝えなきゃならない。でも、見えないものをどうやってみせる? 僕らは頭をひねった。手紙を書く? 信じてもらえるだろうか。歌でも歌う? 声も聞こえないんだなあ、これが。いっそ鍵を盗んでしまえば。でも、なんで僕らがわざわざ罪を犯さなければならないんだろう?

 やがて鍵の引き渡しがはじまった。町にぞくぞく明かりが灯りはじめる。僕らは頷きあうと、立ち上がった。やけに空き家が多いなあと首をひねる彼らの前を横切って、それぞれが好きな色で、もらえるはずの自分の家の壁をぬり始める。真っ赤なキリンに黄色い山、緑の星と青い太陽。白い壁に突如として現れた僕らの絵に、彼らは腰を抜かして座り込んだ。僕らは落書きに満足すると、たっぷりペンキを浸したハケを引きずりながら、鍵番の前に立つ。彼らは震える手で、それぞれが引いてきた道に鍵を置いてくれた。最後の一人が飛び跳ねながら新しい我が家に帰ったのを見届けて、僕も鍵を拾い上げる。「おまえ、ずっとそこにいたのか?」ふいに掛けられた声に、僕は顔を上げた。たくさんの色が集まった、まるで虹の花束のような地面の上で、彼はまっすぐに僕を見ている。

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