無添加無調整人間

 いまやほとんど見かけなくなった、天然100パーセントの人間があいつだった。どうやらそういう主義の家系らしくって、両親とも遺伝子組み換えすら受けていないという。

 人間の親から生まれてきて、食事も服も天然素材にこだわり、薬もワクチンも受けなくて済むよう文字通り温室で育ったというあいつは、たしかに俺たちと違った。人工子宮で親の顔すら知らずに、集団出産で生まれた俺たちのなかで、あいつは常に一番ちいさかった。必須栄養剤や高濃度タンパク肉の代わりに、一匹数千円もする天然サンマや、毎日一丁届けられる豆腐ばかりを食べているらしい。そんなお金持ちのくせに、なんで集団学校なんて通ってるのかよく分かんなかったけど、「子どもは学校に行くのが自然」という考えだそうだ。睡眠学習もブルーライトも禁じられているからと、あいつは今どきめずらしく、紙の本で勉強していた。あいつの胴より分厚い本の重みに負けて、いつ腕が折れやしないかと俺は不安になって、用もないのに図書館に通い詰めた。いつも持ってる栄養補助スナックを勧めても、あいつは絶対手をつけなかった。かなしそうに眉を下げて、ごめんねと首を振った。

 育成寮で集団生活する俺と、家というものに家族というものが待っているあいつは生き方すべてが全然ちがって、俺はよく話をせがんだ。特に親というものの話が好きで、「お父さん」「お母さん」のことをよく聞いた。どんな存在なのか。何を話してくれるのか。どういうことをしてくれるのか。愛情とはなんなのか。小学生のあいつは、俺が聞くたびに、はにかみながらも教えてくれた。お母さんは、よく干した羽根布団みたいにあったかくて、お父さんは晴れた日の大木の幹みたいに大きくて安心する。一生手に入れられない存在は、俺に強烈な憧れをもたらした。

 中学生になるとさすがに面倒になったのか、あいまいに濁されることが多くなった。ごついマスクに清潔布で全身を覆い、まるでミイラみたいな恰好のあいつは、年々咳がひどくなる。自然主義も良しあしで、特にもともと体の強くないあいつにとって、医療が受けられないのはつらそうだった。俺はいつからか、冷却シートを常備するようになった。解熱剤は飲めなくても、これは問題ないらしい。

 あいつは高校にいなかった。遠くの静養館へ行ったと聞いた。夏休みを利用して、俺はあいつに会いに行った。天井の高い水槽みたいな場所に、あいつはひとりで眠っていた。ガラス張りの天井からやわらかな日差しがシーツを照らして、いっそう白くなったあいつは、骨の浮いた手を俺に伸ばした。「ひとつちょうだい」毒々しい色の人工スナックを、あいつは高級食材を食べるかのようにゆっくりと咀嚼した。本当は、ずっと食べてみたかったのだとあいつは言った。何の力もない俺は、運び屋になった。かき集めた薬はすぐに病気を打ち払い、あいつは勘当された。

 ひざが痛いと言いながら、あいつは今日もファストフードで楽しそうに働く。テロメア倍長術を受けていないあいつの寿命は、せいぜい八十年がいい所だ。無理すんなよ、という俺の頭をぽんぽんなでる手はしわくちゃで、どうやら最近は俺の祖父を演じるのがブームらしい。もうすぐ友人と親と祖父をいっぺんに失う羽目になる俺を、あいつは笑う。ムカつくけど、こっち側に引き込んだ俺への罰としては、まあ、優しいくらいなのかもしれない。

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