逆予言の書

 「大抵のことは、考えておけば起こらない」が信条の友人は、起こってほしくないことを妄想しては、あまさずノートにしたためる。「自転車にひかれる」「路地裏でカツアゲされる」「玄関先で黒い悪魔とにらみあう」は序の口で、「家を一歩出た先にあった地割れに落ちる」「出張先で異国に売りとばされる」「空から七本足のネズミが降ってきて、人類が絶滅する」なんてのもある。ありとあらゆる不幸や不運を妄想しては、彼女はそれが実現しないよう、ノートにしたため封印する。

 この定理は幸運にも平等に適応され、だから宝くじは絶対に当たらないの、と彼女は言う。「もし当たったら、って考えずに買うこと、できると思う?」しごく真剣な彼女に、わたしはなんと返したらいいのか分からない。彼女の身には、ほどほどの幸運とほどほどの不幸が、わりと交互にふりかかる。そのたびに彼女は「想像してなかったら危なかった」と胸を撫でおろす。彼女はきわめて勤勉でもあるので、毎日サバイバルグッズを背負って出勤するし、そのおかげで避けられた不幸が割とあることも事実だ。転ばぬ先の妄想、石橋を砕いて渡らず。極端な彼女についていける人間はあんまりいなくて、わたしばかりが彼女を独占してしまう。

 そんな彼女がついに婚活を始めた。「彼氏ができますように、なんて想像したら叶わないんじゃない?」というわたしの指摘に、「相手の人を限定しなければいけると思うの」と彼女はとても自分本位なマイルールを言ってのけた。そんなのあり? わたしは彼女が出かけた隙に例のノートを取り出して、「年下イケメンと恋人になる」「年上のお金持ちと結婚する」とあらゆるパターンを猛然と書き連ねる。

 わたしの呪いが効いたのか、彼女は一向に恋人ができない。わたしはノートを隅から隅まで読み、そうして落ち込んでいる彼女を食事に連れ出す。やけ食いだ、とグラスを重ねる彼女を笑って見つめながら、わたしはポケットに入れた四角いリングケースをそっとなでる。店を出るまでに、彼女がノートを開かなければ、わたしの勝ちだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る