脱塩分世界

 塩分戦争でわたしが勝ってからというもの、お父さんはずっとふてくされている。しょっぱいものが大好きで、とくにポテトチップスが大好物だった元高血圧のお父さんは、全国民に義務付けられた淡水化によって、みごと正常な体を手に入れた。寿命も絶対のびたはずなのに、味噌汁を飲んでは味がしない、ポテチを開けては味がしないとうるさくて仕方ない。ちょっとかわいそうな気もするけど、数年前に亡くなったお母さんに健康管理を頼まれた手前、心を鬼にしてわたしは今日も塩抜きの食事を作る。

 お父さんの塩分好き、というかこの国の塩分好きは相当なもので、お父さんはそこに目をつけた。わたしが医者になって、脱塩分に精力的に取り組んでるのを知っていながら、なんとお父さんは「塩分党」なんて主義主張で国会議員に立候補し、当選してしまったのだ。食卓での醤油のかけ過ぎをめぐる戦いはそのまま政治の場に持ちこまれ、医師会をバックにつけたわたしと、調味料メーカーを擁した塩分党との、血で塩を洗う戦いが長く続いた。首の皮一枚のところで何とか脱塩分政策をもぎ取ったときは、はしたないけど雄叫びを上げたほどだ。かくしてこの国は健康になった。しかし、平和は長く続かない。

 あらゆる生き物や食べ物から塩を取り除いては海に捨てていたせいで、海水の塩分濃度が高くなってしまった。あちこちで魚が大量に浮かび、このままでは海洋生物の九割が死滅するという研究結果が世界を駆け巡った。わたしたちは大慌てで海水から余分な塩を精製し、膨大な塩の山があちこちにそびえたつ。

 そのままにしては塩害がひどいということで、なんとか活用法が検討され、塩分発電が盛んになる。灯油よりも安全だと好評な塩ストーブが、発売されるや否やうちにも一台がやってくる。灯油の詰め替えが大嫌いだったお父さんは、今では嬉々として塩の管理を引き受けてくれる。そろそろ少なくなってきたな、とウキウキしながら塩を注ぐお父さんの背中には不信感しかないけど、毎日計量しても数グラム減ってるくらいなので、今はまだ気づかないふりをしてあげよう。

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