トルソー

 小柄な男性と、それより頭ひとつ高い真っ白なマネキンは、時間通りにわたしの前に現れた。本当にマネキンだわ。深々と頭を下げる二人の姿に、わたしは面食らったまま、ぎこちなくおじきを返す。

 クローゼットにしまったままの彼の服は、すっかり防虫剤のにおいが移っていた。あらかじめ用意していた生前の彼の写真を見せると、つるりと凹凸のない顔を差し向けたマネキンはこくりとうなずき、そして次に立ち上がるころには、すっかり彼の体格にかわっていた。すらりと伸びていた腕は硬く太くなり、なだらかだった腰回りもがっしりと張っていた。わたしの差し出した服を、マネキンはうすい紙細工でも触れるように丁寧に身につけた。ゆで卵のような首から上さえ見なければ、まるで彼が立っているかのようだった。わたしが満足したのをみて、マネキンは動かなくなった。わたしはそっと服に触れ、ゆっくりと腕をまわした。背中の厚みは記憶のままで、それでも硬くつめたかった。

 彼の服が空中で畳まれて、大きな箱にきっちりと詰められていく。わたしはそこから目を逸らして、目の前の彼をみた。いま着ている、一番のお気に入りだった白いカットソーだけは、どうしても捨てられなかった。ではそろそろ、と振り返った男に、わたしは杖を向けた。「彼をちょうだい」わたしの言葉に、男は困ったように肩をすくめた。「それはできません。その中には、ぼくの大事な人が入っているので」

 死にかけの妻の魂を移し替えたトルソーは、それゆえに人のように動けるそうだ。それって、あなたが殺したってこと? わたしの質問に、彼は笑ってうなづいた。愛おしそうに陶器の肌にふれる彼の目には、窒息しそうなほど濃い愛情だけしか見当たらない。いつの間にかもとの姿に戻ったトルソーは、細い指をそっと彼の肩に置く。二人が帰ったあと、結局捨てられなかった彼の服を、わたしは一枚一枚広げてクローゼットに戻していった。明日はトルソーを買いに行こう。彼の体格に似たものがなければ、作ってもいい。もくもくと作業をしながら、わたしは久しぶりにわくわくしていた。さっきの白いカットソーは、今の季節はちょっと寒いから、似合うカーディガンもあればいい。ああでも、しばらく働いていなかったから、お金がない。仕事を探さなくっちゃ。最後の一枚を広げ、そっと顔をうずめる。防虫剤でも消しきれない、彼のにおいを感じた気がした。

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