救世主
わたしはお母さんのあとに続けなかった。救世主になれなかったあたしは、とっくに大人になってなお、お母さんに守られている。だれもがあたしに白い目を向けるなか、お母さんだけは「それでいいのよ」と言ってくれた。「あなたはあなたの道を歩きなさい」さすが、救世主さまは懐が広い。
救世主なお母さんに、あたしがしてあげられることなんてなかった。お母さんは何でも持ってたし、誰からも愛されていた。みんなを守るお母さんにわたしができるのは、元気で健康でいることだ。つまり、救う必要がない生活を送ること。わたしはどんなに仕事が忙しくても、救世主になれとみんなに責め続けられようとも、十時には寝て、三食きちんと食べた。適度な運動をして、ゆっくりお風呂に浸かった。しっかり歯を磨いて、危険なことはしないで、大人になった。あたしがいい歳になって、お母さんの背が縮みだしても、お母さんは救世主をやめなかった。「待ってる人がいるから」と、実年齢より十も上に見える肌をマスクで覆って、出かけていった。
救われつづける人たちは、だんだんとあつかましくなった。自分の痛みには敏感で、そのくせ人の痛みには極端にニブい。ぺこりと下げられたお母さんの頭を、救われた誰かがわしづかみにするのを見てられなくて、あたしはついに、健康的な生活をかなぐり捨てて働いた。
平等という言葉はみんな好きで、だからあたしの価値レート自動換算システムは、みんな喜んで受け入れてくれた。規格化されていない曲がった野菜や、楽しいおしゃべりを提供できないホステス、果てはしゃべってばかりで手を動かさない係長まで、これまでなあなあで済まされてきた小さい不公平も、すべて貨幣換算された。消費者は見合った分だけしか払わなくていいし、がんばっている人は報われて、手を抜いているヤツは相応の見返りで十分。あっという間に普及したあたしのシステムたちは、お母さんの慈悲もきちんとお金に換算した。さりげない心を支える一言、やさしい笑みの裏側で一生懸命動かしていた観察眼、冗談に織り交ぜた気遣い。お母さんの価値は当然、億を超えた。人々は、救われることを望まなくなった。救いは非常に高価でぜいたくなものだということに、ようやくみんな気づいてくれた。ようやく救世主じゃなくなったお母さんを、あたしは抱きしめる。あたしは、お母さんを救えただろうか。腕の中のお母さんは、一向に顔を上げてくれない。
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