はだかのつきあい

 ひと通り精神生活を楽しんだ後、やっぱり結局肉体だよね、と人類はタンパク質の体に戻っていった。食事も睡眠もセックスもしょせんは電気信号なはずなのに、神経伝達物質をそのまま脳にぶちこまれるより、感覚受容器からはるばる伝ってきた刺激の方が気持ちいいのは、何万年という時間の積み重ねが、まだどこかに残っているからかもしれない。それでも変化しているのは当然で、今や体は物理アバターでしかない。簡単に取り換え可能だし、カスタマイズも思いのまま。だから、あたしみたいな風呂代行なんて職業だって成り立つわけ。

 面倒な風呂、代わりに入ります。あたしの商売はそこそこうまくいっている。そんな商売成り立つはずないだろう、って笑われたけど、風呂に入る前の髪のケアとか、洗う順番、ムダ毛の処理、マッサージから上がったあとのお肌の手入れまでひっくるめたサービスは、それなりに需要がある。もちろん、変な客をひかないようにそれなりに高値に設定しているし、その分のサービスはしてる自負もある。なによりあたしは風呂が好きだ。だから、この仕事は天職だった。

 その日の依頼人は、なんとなく、変な感じがした。よろしくお願いします、と頭を下げたのは、気弱そうな素朴な女の人だった。サービスの説明中、あたしはサブシステムであらゆる情報を解析して違和感の正体を調べようとしたけれど、視覚も聴覚も異常はなかったし、脳波ネットにも引っかかってこなかった。依頼は、この体で温泉に入ってきてほしい、ということだった。外出恐怖症がひどく、外になかなか出られないけれど、せめて体にはリラックスしてほしい、と彼女は言った。ボディを擬人化する人はめずらしくない。車を乗り換えるように、何台も所有している人もいる。分かりました。あたしは彼女と体を入れ替えて、指定された宿に向かった。

 感じのいい温泉宿だった。人は少なく、カップル向けのひそやかな空間に女一人は目立ったけれど、仕方ない。服を脱いでぎょっとした。足の爪は長く伸び、肌はアカでガサガサ、かかとの角質は見るも無残で、この分だとムダ毛もそうとうな惨状になっているだろう。あたしは慌てて室内のシャワーで体を磨き、人前に出られるくらいになってようやく、温泉に向かった。風のつめたさが心地よい、いい夕暮れだった。あたしは深呼吸して、そっとつま先からとろりと濁る湯に入る。自分で入りに来られないなんて、なんてもったいない。となりで水音がして振り返る。あとから入って来た女性が、まるで幽霊でも見るような顔であたしを見ている。「なんでここに」じっと見てくる知らない誰かは、彼女の知り合いだろうか? それにしては全然話しかけてこないから気味が悪くて、わたしはそそくさと極上の湯から出る。

 依頼を終えて、ピカピカになった体を返す。彼女は自分の体を、まるでだれかのように抱きしめる。あなたは誰? 聞きたかった言葉より先に、彼女が言った。「ありがとうございます。あたしじゃ、彼女を傷つけちゃいそうで」彼女が何を指すのか、あたしには分からない。彼女は満足そうに立っている。その向こうに、布のかかった何かが横たわっている。大きさはちょうど、彼女の体と同じくらいだ。

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