二章 怨嗟と紅眼、あるいは呪いの少女[九]

 私は、人でなしだ。

 喜びに打ち震えるその身を宙に踊らせながら、恭子は思う。

 生きているうちは人でなし。

 死んでからは、無意味に転がるだけの、ただの死体。

 だって私は——。

 彼が、殺さないだけなのだから。

 そうでなければ。

 陸の障害になる者は、すべて殺してしまう。

 どんなに自分が非力でも。

 どんなに自分が不才であっても。

 そのすべてを、置き去りにして。

 そんな私に、いつかの暴君は言った。


『生きようとする者は、殺すな』

 それはかつての蹂躙。

 とある地方都市の三分の一の人口を消失させた戦いの後のことだった。

『……どういうことですか?』

 本当はわかっていた。それでも恭しく聞き返したのは‪──‬あるいはその行為そのものが無礼にあたることであり、次の瞬間には自身の首が虚空を舞っていたとしても‪──‬気づかぬふりをしてまで聞き返したのは。

 きっと自分が彼にとって大切な存在であることを、確認したかったからだ。

 彼の隣に居場所がなくとも。


 せめて——。


 そんな私の想いを知ってか知らずか、暴君は凍えるような冷たい視線を私に向けて。

 すぐに視線を切った。

『そういう輩は、必ずお前を超えてくる。お前はそれでも俺の敵を殺すだろう。……命に代えても、殺すだろう』

『当然です』

『その先に行くことを、俺は許さない』

 それっきりだった。暴君からまともに声をかけられたのは一ヶ月ぶりか、あるいはもっとずっと長く会話らしい会話などしていなかっただろうか。


 その先に行けば、きっともう、戻っては来られない。


 わかっている。

 わかっていた。

 そして私は、にしか生きられないことも。

 だけど、おかしな話だ。

 いずれ、あの暴君は人の世の終わりに届くだろう。そうなれば、すべてが終わる。暴君はもちろんのこと、私だって、彼の望む世界には生存を許されない。

 それなのに。その先には行ってはいけないだなんて。

 それではまるで、一緒に正しく、人の世の終わりとともに息絶えてくれと言われているようで。

 そのことがとても嬉しくて、嬉しくて。

 だったら、生きようとする者を殺さない、という選択肢も有りなのではと思えてきた私は、きっと、どうしようもなく壊れていた。

 今も。

 これが、私を狙った、私の戦いであったとしても。

 陸の願いを胸に抱いて戦えることが、どうしようもなく嬉しいのだ。

 誰も殺さないという陸の願いを遂行するためだけに、私は敵を討つ。

 敵を討つことが手段であり。

 誰も殺さない、ということが、私にとっては最も大切な結果になっている。

 だから私は、きっと人でなしなのだ。

 息を吐くように醜くて。

 鼓動を止められないように醜くて。

 そのためだけにしか生きていられないほどに、醜い人でなしで。

 それでも私は、私が正しいと信じられる。

 陸が正しいから。

 私は、自分を信じられる。

 信じられるからこそ。

 私は、私の敵を信用出来る。

 だから私は、笑っていられる。


   ◆


 ——やるわね。

 この敵は撃ってくる。そう予見したからこそのベルトの仕込みは、確かに想定通りの役目を果たしてくれた。

 ライフルから放たれた弾には、銃身に施された螺旋状の溝によって、独特の痕、線条痕が刻まれる。発射される弾に旋回運動を加えるそれは、高速弾の実現、直進性、命中率を飛躍的に上げる効果を生み出し、これをライフリングと呼ぶが、もちろん、宇曽利山社中・剣課が誇る銃器がそれだけで終わるはずもない。

 UA-152改。

 それが、魔性災害対策室・特殊戦略部第三課に新たに配備されたアサルトライフルの型式番号だ。

 銃身というものはどうしても放熱を必要とする。高速弾の連続発射は熱を生み、結果的に銃身に歪みを生じさせ、命中精度、集弾性を大きく下げる。しかしUA-152改は〝冷却〟の概念を付与された呪術合金製であり、この問題をほとんど無視出来るほどには優れた武装となっていた。

 さらに、その螺旋の溝には、高速で射出される弾に〝呪〟を付与する特殊な呪術的加工が施されている。

 炸裂、追尾、毒化、浄化、火炎、低速、非殺傷、炸裂など。

 それはつまり、銃身を取り替えるだけで様々な効果を弾に付与することが出来ることを意味しており、取り付ける銃身によっては、アサルトライフルという携行武器によってグレネード弾をばら撒くことさえ出来るという、まさに規格外の性能を有していた。

 アタッチメントとして、多くの武器種を一丁でこなすという軽量化の実現。そして、放熱を必要としないほどの冷却機構は、戦場での銃身の取り替えをよりスムーズなものとする。

 とはいえ、実際のところは単独で戦場を駆けるにあたって銃身の取り替えは非現実的だ。

 だが、部隊単位での作戦行動であれば話はまた別である。

 前衛が後衛に、後衛が前衛に。間断なく攻撃を行いながら速やかなスイッチを可能とする練度があれば、この武器はあらゆる局面に対応可能な究極の汎用武装となると言っても差し支えないだろう。

 しかし、この呪術と科学技術の結晶にして最高傑作の最も恐ろしい点は、、という一点に集約されていると言っても過言ではなかった。

 射撃の反動に耐えるには、相応の筋力と訓練が必要となる。

 だが、引き金を引くだけならば誰でも出来るのだ。追尾の螺旋を刻まれた弾丸であれば、それこそ明後日の方向に撃っても弾は確実に、使用者が標的と定めたものに命中する。

 もちろん、これほどの武装にセーフティがないわけもなく、実際は個別に呪術的な生体認証が施されている。

 それでも、脅威的な性能であることには変わりがない。一個人で戦車の火力を保有するようなものであり、それが部隊単位で配備されているならば、その殲滅力は絨毯爆撃のそれに等しいものだ。。

 ——追尾は、ない。

 そんな武装を前に、恭子の思考はいたって平静のそれである。

 恭子の動体視力が、飛来する弾に呪術的な線条痕を捉えているわけではない。。

 特戦三課を相手取る以上、その規格外の銃器と対面することは必然だった。

 はたして、その恭子の読みは当たった。速度を武器とする恭子に対して、出鱈目に撃っても当たる追尾術式は、一見、非常に有効なように見える。

 いかな恭子とて、弾丸より速く動くことは出来ない。だが、引き金を引くという行為が必要である以上、発射された位置から恭子に命中するまでには絶対的に距離と時間が発生してしまう。弾が恭子に命中するよりも速く、彼女が隊員を盾にすればどうなるか。

 同士討ちも覚悟の上で躊躇いなく弾をばら撒くという行為は、いかな三課の面々であったとしてもそうそう容認出来るものではないだろう。

 そんな覚悟を持つ者はもはや兵士ですらない。生ける屍か機械かのどちらかだ。

 生ける屍。

 機械。

 恭子は自嘲気味に苦笑を漏らす。

 はたして、正確無比に面を成す弾は炸裂した。

 ベルトで引き下ろしたシャンデリアが、煌びやかに最後の輝きを散らす。

 破裂したのは弾ではない。弾の周囲の空間、空気だ。

 つまり、物理現象としてのである。

 ——炸裂範囲はおよそ半径十五センチ。術式の発動は対象との距離十センチってところかしら。

 つまりは五センチが、こちらの肉体を破壊する範囲だ。

 組み込まれた術式によっては、弾と対象の接触をもって術式を発動することも可能だろう。人間の肉体など粉微塵だ。そうでなくとも皮膚から五センチも肉を抉られるというのは、普通に考えて致命的な損傷である。当たりどころによっては致死のそれだ。頭部を5センチも抉られでもしたら、その損傷は確実に死に至るものになる。


 ——きっと彼らに、私を殺す意図はない。

 暴君の逆鱗に触れる覚悟など、ない。


 ただ、死んでいなければいいとは考えているはずだ。

 ——いっそ、そっちの考え方の方が残酷かもね。

 考えるべきことは他にもある。

 銃身によっては、二重の術式付与が可能かどうか。

 かつては不可能だった。戦場においても、そのような携行銃器には出くわしてことはない。

 あの狭い廊下で。

 もし仮に、炸裂と追尾の二重付与が成された弾がばら撒かれていたとしたら。

 ‪──‬この可能性は捨て置けないわね。でも、それとは別の問題として。

 すでに面の射撃を行った四人は、こちらに銃口を向けようとしている。

 彼らは、避けられると予見した上で、それでも射撃を行ったはずだ。それはつまり、こちらの反応速度を情報として与えてしまったことになる。

 そこを最低ラインに、と踏んでくるだろう。

 次はさらに合わせてくる。当然、何度も回避を行えばこちらが不利になるのは自明の理だ。

 底を見られてしまえば、恭子の戦いはそこで終わるだろう。

 デッドエンドではないにしろ。

 バッドエンドを迎えるのは明らかだ。

 それまでに数を減らす。

 跳ね上がった恭子の身体は、すでに天井に脚をつけている状態だ。重力による自由落下が始まるまでに天井を蹴らなければ、十分な速度は出せない。だがそれは、攻勢の瞬間を読まれやすいということでもある。

 ——実際、大した奴らね。

 下方から飛来する弾。それらにどのような術式が付与されているにしろだ。

 完全な踏ん張りを効かせるにはあと刹那、足りない。そしてその刹那を許さぬ弾が合計十発。恭子目掛けて大気を切り裂いてやって来る。

 だから、恭子は飛んだ。

 まずは陸に近い敵からだ。

 弾が空気を切り裂く音を背後に、こちらに銃口を向けつつある四人に向けて鋭角に宙を疾走する。

 ——引き金を引かなければならない分、遅いのよ。

 その攻撃が炸裂によって面になるとしても、実際は点だ。

 馬鹿正直に真っ直ぐ飛んでくるのであれば、銃口の角度だけを見ていればいいのである。

 もちろん、そんな芸当は明らかに常軌を逸している。速度が上がれば上がるほど、視野角は狭くなる。風景は色線の羅列になり、高速の世界では物体を判別することさえ困難だ。肉体にかかる不可も当然大きくなり、トップスピードでは腕を振るうことさえ難しくなっていく。

 すでにこちらに銃口を向けつつある四人の反応速度も異常と言わざるを得ないが、それでもまだ、遅い。

 時間にしてまさに刹那、瞬き一つの攻防。その中で恭子が宙を滑りつつも、腕を振るう。

 と同時に放たれた煌めきは四つ。

 シャンデリアの破片だ。

 高速の投擲は確かに四人の銃身を捉え、恭子はその射角から逃れることに成功した。

 まさに天性の肉体。

 呪力を扱えない身体に生まれた恭子に与えられた、唯一の武器。速度を生み出す肉体だけではない。五感そのものがずば抜けている。高速の世界で正確に対象を視認する動体視力がそれだ。

 そしてなにより。

 等速での歩行が可能ということは、つまり、江波恭子はその肉体を完全に支配している、ということでもある。

 どんなトップアスリートであろうとも、常に最善の結果を残すことが出来るとは限らない。だが、江波恭子の肉体は、あるいは肉体の支配は、そんな勝負の世界を遠く置き去りにしていた。

 着地するのは、廊下の奥に佇む陸と向かい合う形で、両側に隊員を二人ずつ置いた、その中央。

 四人はすでに武器を手放し、ナイフを抜き放とうとしていた。

 ——判断が早い!

 ハンドガンは、抜き、狙いを定め、撃つ必要がある。

 だがナイフであれば。抜きつつの一閃。こと超接近戦であればそちらが有利だ。

 一閃。

 しかし、その一閃は恭子のものだ。身を屈めた着地と同時に左から右へと横一文字に放たれた薙ぎは、左右一人ずつの手を確かに打ち据える。その正体は、鞭のようにしなるベルトだ。そこから恭子は、間髪入れずに右へ飛ぶ。

 ——狙われているのは、直下から足裏を抜ける形で足の甲!

 その通りの射撃が直下から放たれた。の術式銃身より放たれた弾が、コンクリートの床を易々と貫通して、先程まで恭子の足の甲が存知していた空間をぶち抜いた。

 右に飛んだ勢いで、今まさにナイフを鞘走らせつつある男の溝落ちに肩を入れる。男が呼気を漏らすよりも早くナイフを奪い左側に投擲すれば、得物を抜き放ちつつある最後の一人の手の甲にナイフが突き立った。

 それだけでは終わらない。そばにいる、ベルトで手を打ち据えた男を引き倒せば、彼の上に乗り、一旦は下方からの射撃の盾とする。

 そして、その男を踏み台にし跳躍。反対側の二人に向かって飛ぶと、次の瞬間には彼らは短い呻きとともに沈黙した。

 だが、状況は終わらない。たった四人を沈黙させたくらいでは終わるはずもない。下方からの射撃は正確に恭子の脚を狙ってくる。それらを避けるために恭子はエントランス二階の外周廊下を疾駆した。コンクリートをものともせず貫通してくる弾が天井さえも突き抜けるが、気になどしてはいられない。

 そこで初めて、屋上へと続く階段に陣取っていた二人の射撃が恭子に牙を剥いた。

 ——範囲攻撃系。おそらくは炸裂。

 四人と接敵した際に援護射撃を行なってこなかったことから、容易に相手の術式銃身に当たりをつける。

 恭子を直接狙うのではなく、恭子の進行方向を塞ぐ形で射撃される弾。直進すれば着弾は必定、敵はすでに、恭子の速度に合わせて偏差射撃を行ってきている。

 急停止。

 からの天井への跳躍。関節への負担を無視した動きだ。

 二人の銃口が恭子を追う。わざと

 狙った標的との距離十センチで炸裂するならば、狙いはある程度であれば甘くともいいのだ。きっちりと狙いを定めなくてもいい以上、射撃間隔も短くなる。と同時に、素人でも標的に当てやすいということでもあった。

 恭子の手には、先の四人の内の一人から奪ったUA-152改がある。

 狙ったものとの距離十センチで炸裂する概念術式ならば。

 まだ、を標的にしてもいいのだ。

 すでに、恭子がそれと定めた弾が放たれるよりも早く、恭子は射撃を終わらせている。そして恭子が標的と定めた弾が弾倉から銃身へ、銃身より恭子に向かって放たれる頃には、恭子の放った弾は二つの銃口に届こうとしていた。炸裂すれば、放たれる弾ごと、銃身を吹き飛ばすだろう。

 だが、炸裂しない。

 ——無機物には反応しない? いえ、これは生体認証かしら。

 しかし、問題などない。正確に銃口を狙った恭子の射撃は、確かに、銃口から放たれる弾を正面から撃ち落とした。

 そして跳躍。先ほどまで恭子が足をつけていた天井に下方からの貫通弾が着弾する。

 向かう先は屋上へと続く階段に陣取る二人の元だ。その一瞬の道中のうちに、牽制の意味を込めた射撃を廊下の直下にばら撒き、UA-152改をなんの未練もなく手放す。

 文字通りの、目にも止まらぬ速さで二人の眼前へと迫った恭子は、両の拳を二人の鳩尾に叩き込んだ。着地してからの、速度と威力を殺した両の拳の殴打は、確かに二人から意識を刈り取った。

 これで六人。

 そして二人に背を向けつつ、まだUA-152改に指のかかったままの男の腕を引き寄せて、横薙に射撃する。

 狙いは対面の二階廊下の壁面下部だ。

 放たれた弾はコンクリート片を撒き散らし、一瞬の煙幕となる。

 炸裂はしない。これも生体認証だろう。引き金にかかっている指は特戦三課のものだが、標的を壁面と定めたのは恭子であり、隊員ではない。

 つまるところ、精神認証である。

 ならば、そんな使えない武器よりもいいものがあった。咄嗟にピンを抜いて投げたものは手榴弾で、それは宙を弧を描き、その頂点で爆発した。

 恭子が撃ち抜いたのだ。

 誰にとっても至近距離の爆発。聴覚を守るためにも恭子は耳を塞ぎ、飛来する破片から身を守るため、階下の隊員たちは柱の後ろに身を隠した。音の頂点は一瞬。恭子はくず折れる一人から得物を抜き取る。。

 ナイフだ。

 が、正確無比に、対面の階下、柱越しに放たれる弾丸がある。

 ——階下の敵は全員貫通術式かしら?

 もちろん、まだ撃っていない隊員がいることを、恭子は把握している。だから。まだ階下の隊員の術式砲銃身に当たりをつけるのはまだ早い。

 恭子がいくら速くとも、接敵する瞬間は、ほんの一瞬とはいえ動きが止まる。そこを階下から貫通弾で狙うことが敵の作戦であるならば、二階廊下に配置する人員はもっと多い方がいい。実際、二階の人員、ジュース2はこれで全滅だ。 

 であれば、まだなにかがある。


 術式銃身が付与出来る術式は本当に一種だけなのか。

 そもそも、最初の射撃で炸裂した弾はどこへ行った?

 今、恭子の傍でくず折れる二人の術式銃身は、本当に炸裂だったのか。

 対面階下から放たれた弾はコンクリートを砕き、正確にこちらの膝を撃ち抜く軌道だと確信する。

 そもそも、何故、恭子は二階廊下の敵からの沈黙を選んだのか。それは彼らが最も陸に近いからであり、その恭子の優先順位は至極読まれやすいものだろう。


 恭子はそれらの要因を思考していない。そんな余裕などない。刹那は文字通りの刹那だ。

 すでに引き金は引かれている。ここが江波恭子の終着。


 カチリと。


 聞こえるはずのない終わりの音を、恭子は確かに聞いた。

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