二章 怨嗟と紅眼、あるいは呪いの少女[五]

 まだ日の高い山中の道路を、大型トラックが走っている。

 宇曽利山通運。運送会社としては中堅に位置するその企業ロゴが記されたコンテナは、表向きにはなんの変哲もない現代の日常、物流の波以外のなにも感じさせはしなかった。

 表向き、には。

 呪力を織り込まれた合金で構成された車体は、一般的な車体の重量やフレームの形状を維持しつつ、対物ライフルの掃射さえをも凌ぐ鉄壁の装甲を実現しており、エンジンは燃料型を搭載していながらに、操縦者の呪力によってのみでも駆動する二重構造を採用。呪力を使役し得る者でしかその駆動系には気がつかない。

 その上で、求められる運転技能は通常の大型車両のそれの域を出ないのだ。

 性能と扱いやすさの両立。

 故に、その車両は明らかに非日常の産物だった。

 そんなものが日常に溶け込んでいる。それこそが日常だとでも言わんばかりに。

 宇曽利山とは恐山の古い呼び名だ。今でも宇曽利山湖という湖名としてその名残りを目にすることが出来る。

 そんな、恐山の古い名を冠する運送会社の実態は、〝USORI-YAMA industry〟、またの名を宇曽利山社中と呼ばれる組織の、フロント企業だった。

 そして、恐山を構成する八峰が一つ、剣山。

 その噴火より生まれたカルデラ湖である、宇曽利山湖。

 その自然の摂理、災害という名の暴力に因んだ課が、宇曽利山社中にはあった。

 日本屈指の霊山、恐山に本拠を置く宇曽利山社中が誇る、兵器開発部門。


 宇曽利山社中・剣課。


 今まさに山中を走行する大型トラックこそが、剣課の産物である。

 移動する要塞とも言うべき防御能力を有したトラックは、その積載量もまた桁違いであった。

 そのコンテナは表向きの内部の他に、容積を完全に無視した結界型格納庫を保有している。

 コンテナに登録された生体認証によってのみ開放される結界内部は、さながら前線の作戦司令本部のような様相を呈していた。

 灰色の閉鎖空間は、現代的な武装を身につけた者たちが悠々と行き交えるほどに広い。歩兵用自動小銃の点検、チームごとのブリーフィング、あるいはリラックスのためのレクリエーションに興じる彼らは、非正規に設立された正規の戦闘員という矛盾を抱えた存在だった。


 防衛省直下の実働部隊。

 魔性災害対策室・特殊戦略部第三課。

 通称、特戦三課。


 名を捨て、存在の痕跡を消し、生きながらに死んだ者たちこそが、彼らの正体だった。

 その閉鎖空間の最奥、隊員のバイタルや、不可思議に由来する波長を観測するモニターが整然と並ぶ部隊の要に座す者がいる。

 金ヶ崎と呼ばれる男は、作戦に関する資料に目を通しつつも、指令を言い渡された時のことを思い出していた。

『捨て駒、と判断させて頂いてもよろしいですか』

 そう告げた金ヶ崎の表情に動きはない。対する相手もまた、その声音に感情をのせはしなかった。そこは走行する車中であり、当然、非公式の会合である。

『そうは言っていないが、そう取ってくれて構わない。不満かね』

『いえ、我々は作戦を遂行するのみです』

『ならばいい。ところで標的の評価について、君はどう思う』

『カテゴリは〝B〟相当。ただ速いだけの不才。我々の敵ではありません。が、しかし』

『しかし?』

『その戦歴、戦果が不可解です。そこから算出されるカテゴリは、〝特A〟に相当しましょう』

 金ヶ崎に対する男は深く頷いた。

『その通りだ。あの女は腐っても江波の血族、そこになにかがある、と私は踏んでいる』

『同感です。しかし作戦内容には矛盾があります』

『続けたまえ』

 金ヶ崎は言葉を繋げた。

『配備される予定の重火器は、対象を殺傷するには十分すぎるものばかり。にも関わらず、本作戦の目標は対象の沈黙であって殺害ではない。これは対象の戦闘技能を侮っていないことの証明とも取れますが』

『そうだ。殺害する気で任務に当たってようやく五分に届くか。それが上や私の判断でもある』

『その判断には感謝致します。が、もあるのではありませんか?』

『……君たちに配備される武装はもちろんのこと、君たちに課せられる任務は基本的に対人を想定していない、と言えば笑うかね?』

『その言葉はお気遣いと取らせて頂きます。と同時に、そのような言葉は不要、と返したいところでもありますが。……ですが真意は、もちろん、対象の側にあの者がいるからと判断します』

 その意味を、金ヶ崎は重々承知している。

 それこそが、部隊が捨て駒にされると判断する理由だった。

『その通りだ。対象は単独行動ではない。戦闘区域にはあの暴君がいる。人を人と思わぬ、あの暴君が。あれを再び目覚めさせてはいけない。対象の殺害は暴君の怒りに触れる。そうなれば、特A級を遥かに凌ぐ魔性災害に繋がり兼ねない』

 その言葉に、金ヶ崎は安堵した。

 上は、魔性災害を望んでいない。

 それはつまり、一般人を巻き込むことを望んでいないということと同義であった。

 それだけで、銃を取る理由になる。捨てる命に価値が生まれる。

『釈迦に説法かもしれんが、暴君との接触は控えろ。あれは、在ってはならぬ者だ。在ってはならぬ者は、在ってはならぬ者こそが打倒し得る』

『肝に銘じさせましょう。我々も、死ねる身ではありますが、命は惜しい』

 そして、車が停車する。

 ではと告げて車を降りる金ヶ崎の背中に、車中から声がかかった。

『お互い、老いたな』

 老い先短い、とまでは歳を取ってはいない二人ではあったが、この先よりも、振り返ってみる人生の方が長いであろうことは間違いない二人だった。

『……老いてこそ、この国のために出来ることがある、俺はそう思うよ、新咲にいざき

 金ヶ崎は、この会話にはなんの未練もないという風に歩き出した。

 しかし、顔を合わせる度に思うことがある。新咲もまた、同じ思いなのだろう。

 これが最後だと。

 表の裏の道を選んだ新先と、裏の裏の道を選んだ金ヶ崎。


 ——思えば、長生きしたものだ。


 金ヶ崎は、各自作業に当たる面々を見渡す。

 国のために命を捧げ、すべてを捨てた者たち。中には、国のために愛しい妻や子どもを捨てた、金ヶ崎からすれば大馬鹿者もいる。

 彼らの家族、つまりには、あくまで現実的な範囲での法的な補助金、遺族年金が支払われている。

 しかし、生涯を支えられるほどの額ではない。

 不透明な金の流れは危険である。

 その代わりに、遺族たちには多くの親切や幸運が自然と転がり込む、ことになっている。

 偶然を装った必然。

 人生、山があれば谷もある、とでもいうように。

 万民のために家族を捨てられる覚悟のある者だけが、ここにはいる。であれば、自分はまだ幸運な方だと金ヶ崎は思った。かつての戦友、新咲と顔を合わせる機会があるのだから。

 今回の作戦に際して支給された対結界特化型戦闘服の意味を、金ヶ崎は改めて噛み締めた。

 特殊な隠蔽呪術が施された戦闘服は、結界に気取られることなく対象の間近まで接近することを可能とするだろう。

 しかし、万能ではない。今回の標的はそこまで甘くはない。

 宇曽利山社中の秘中の秘とされる技術をもってして編まれた戦闘服と聞き及んではいるが、それも眉唾ものだった。長くこの世界に身を置く者としての直感がそう囁いている。

 それは、明らかに埒外の代物だった。

 金ヶ崎には、それが死装束のように見えた。


 ——鳥山大地の沈黙後、作戦の開始。


 作戦目標の不確かな評価に比べれば、鳥山大地の評価はわかりやすい。宮本家が封ずるしかなかった純正の鬼をその身に三鬼も宿しているのだ。そのカテゴリは間違いなく〝特A〟に位置付けられるものであり、それはつまり、単独で災害に匹敵する力を有するということを意味している。

 その鳥山大地を無力化し得る策があり、続いて江波恭子の沈黙に向けて部隊が投入される。

 ——阿吽の呼吸を可能とする右腕と左腕を奪う。然るのちに宮本陸を封印することが、本作戦における最終目標。

 宮本陸。その名に、恐怖を覚えない訳ではない。


 ——あれは、恐怖を克服し、死を受け入れて尚、恐ろしいのだ。


 かつて金ヶ崎は、暴君が率いた軍勢と相見えたことがある。

 その軍勢は、素人の寄せ集めと言っても差し支えがなかった。


 暴君は、人を人と思わない——。


 その戦闘の結果は惨憺たるもので、部隊単位であれば〝特A〟に相当する特戦三課の人員の、半数以上を損耗する結果になった。作戦目標は達せられたものの、その損耗は、事実上の壊滅を意味していた。

 あの激戦を潜り抜けた者も部隊内にはいる。だが、生き残った者の中には、除隊を申し出た者も少なからずいた。彼らに平穏な野に下ることは許されていない。故に第一課や第二課で後方任務に就いてもらってはいるが、中には未だ再起不能の者もいる。

 暴君の指揮下にあっては、人は人ではなくなる。その恐ろしさを、金ヶ崎は身をもって知っていた。

 破滅を内包しながらに、さらなる破滅へと突き進む軍勢——。

 江波恭子は、その中にあって異質な存在だった。

 敵を必ずしも殺しはしない。信じ難いことに、その人間性は至極真っ当であるという報告さえある。宮本陸の指揮下にありながら、敵の命を救うような真似をする、とも。

 人として、宮本陸の側にある。あり続けている。

 まるで、特別扱いをされているかのように。

 ただ速いだけの〝最速〟と渾名されるだけではないことは間違いがない。これまで生き残り続けている確かな理由があるはずなのだ。

 それが如何なるものであるか。作戦目標の裏には、その実力を正確に測るという意味も込められているはずだった。

 戦果を上げられずとも、次に繋げるための働きはしなければならない。

 金ヶ崎はタブレット型のモニターを操作する。そこには江波恭子の数少ない戦闘記録が映し出されていた。

 等速再生では、目に見えぬ衝撃に撃ち抜かれたかのように対峙者が吹き飛ばされていくだけの映像だ。コマ送りにしても尚速いが、確かに、それだけ見ればただ速いだけだ。事実、なんらかの防御策を持つ者には傷らしい傷を与えられてはいない。それは、理論上、特戦三課の装備を突破出来ないことを意味している。


 ——それでも、対象は未だに宮本陸の隣に立っている。


 警戒を最大限まで引き上げることに、それ以上の判断材料は必要ないだろう。

 ——我々が作戦を完遂出来なくとも、我々の全滅をもって、対象の実力を察することが出来る。

 そうすれば、特戦四課や、あるいは別の者が任務を引き継いでくれるはずだった。


 ——新咲が感傷的な言葉を口走ったせいか。全滅を前提に考えていてどうする。


 かつての戦友も自分も、確かに老いたのかもしれない。少なくとも金ヶ崎には、すでに前線に立つ能力はなかった。

 しかし、真っ当な人生を捨てた者たちの集まりとはいえ、命は命だ。そのかけがえのないものを預かる自分が弱腰でどうすると、金ヶ崎は気を引き締めた。

 命があれば次がある。五体があれば、その四肢が引きちぎれるまでなにかを守れる。何気ない日常の明かりを、産声を、あるいは人としての死を。勉学に励む学生を、やんちゃが過ぎるような青春を、寄り添う二人を、旧友や職場の仲間と、串に刺さった肉に舌鼓を打つ喜びを、冷えたビールに喉を鳴らす快感を、そんな他愛もないすべての普通を、守ることが出来る。


 そして、捨てた家族を。彼らが愛した者たちを。


 英雄になることを望んだわけでもなく、ただそのためだけに地獄を見ることを良しとした者たちが、ここにはいるのだ。

 であれば、掴むものは勝利でなければならない。

「総員」

 トラックが目的地に到着し、停車する。

 皆が金ヶ崎を見た。

「仕事にかかれ。宮本陸を丸裸にするぞ」

 その号令に、すべてが動き出した。

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