二章 怨嗟と紅眼、あるいは呪いの少女

二章 怨嗟と紅眼、あるいは呪いの少女[一]

『そんなこと、本当に実現出来ると思っているの?』

 ‪──‬やっぱり出来ないと、そう思うか?

『……ううん。陸ならきっと、出来るわ』


   ◆


「こいつぁ、一体全体、どういう了見だ……?」


 ——百戦錬磨の自負がある。その俺がこうあっさりと。


 ‪心臓を貫かれた。

 背中から胸に抜ける由香理の腕を後ろ手に掴み、引き抜き、力任せに投げ飛ばす。

 胸から溢れる血の致死のそれだ。そもそも心臓を貫かれたのだ。失血の量に意味はない。

 恭子が陸を庇うように構えを取っていることなど、確認せずともわかる。であれば、大地が取るべき行動は、由香理を引き剥がし、陸から遠ざけることだった。


 ‪──‬俺たちはそういう生き方しかできねぇし、願わくばそういう死に方でありてぇと思ってる。


 自分たちの命など度外視だ。身体が勝手に動いてしまう。

 ——頭は回っている。大丈夫だ。

 大地には、由香理の腕を掴み彼女ごと陸から距離を取るという選択肢もあった。

 しかし、その手はまずい。

 これは、だ。

 呪術とは、呪力をもってあり得ざるを可能とする技術であり、その体系である。

 そして、由香理の身体になんらかの呪術が刻まれており、それがたった今、発現したのだ。

 結果、大地はその心臓を失った。

 由香理との接触の時間が長くなればなるほど、呪術は大地の肉体をも蝕む可能性がある。伝播する呪術を成すには高度な技量が必要とされるが、呪術の発動を悟らせなかったそれは確かにその域だろう。そうでなければ、心臓を貫くなどという殺意に満ちた不意打ちを、大地が防御することさえ出来ずにまともに喰らう、などということは絶対に有り得ないのだ。


 ‪──‬しっかしまあ、俺もついに焼きが回ったか?


 吐血。口の中に広がる鉄の味を吐き捨てながら大地は思う。

 投げ飛ばす前に、由香理の首を軽く捻るくらいの猶予はあったのだから。たとえ由香理が操られているだけだとしても、こうなってしまえば、彼女は敵だ。

 敵である以上、殺さなければならない。

 情け容赦は死を招く。

 しかしそうしなかったのは‪──‬。

 陸も恭子も、すでに気づいているはずだ。

 あの屋敷で狙われたのは、由香理の眼だったはずだ。

 その眼を備えた由香理がすでに敵の手に落ちているのだとすれば、この呪術を成した術師の狙いは‪──‬。

 大地はぎりりと、歯奥を噛みしめる。


 


「こんなこたぁ、ぜってぇ許さねぇ……」

 大地の身体から迸るのは、鬼の如き壮絶な怒りだった。

「止めてくれんなよ、陸」

 、立ち上がる。


 ——陸が今、どんな顔してるか。


 大地には手に取るようにわかってしまう。けっして短い付き合いではない。共に育ち、共に学び、共に戦い——。大地にとっても、もちろん恭子にとっても、かけがえのない親友であり、命を賭けるに値する、主だった。


「俺ぁ、ぜってぇあいつを救うっ!」


 由香理は、壁に激突することもなく蜘蛛のように着壁し、反動で地に降りた。

 四つ脚。まるで獣だ。

 大地は、沸騰した感情を抑えつけながら、状況を確認する。

 心臓は確実に潰された。

 ‪──‬まともな戦闘はできねぇが。

 だが、まだの負傷ではない。

 大地は鬼種だ。その鬼は大地の肉体に宿る。

 常人離れした怪力と耐久力、そして生命力。それが大地の鬼種としての力だ。一般的に想像される鬼の力にもっとも近い力だろう。

 戦闘において、死ににくければ死ににくいほど、陸を護れる時間は長くなると、大地は考えている。備わっている力は凡庸だが、それ故に破り難いものだ。

 大地の肉体は通常の人間の常識では生きていない。肉体を構成している細胞のすべてが鬼種となっており、その一つ一つが、簡単には死なないように変性している。その生命力は、酸素を血液に乗せて運び出す心臓が潰されようとも、数時間程度ならば存命出来るほどだった。

 大地が〝不動〟と呼ばれる由縁である。

 対する由香理は。

「ぐるるっ、ぐぎぐるぅっ」

 威嚇。四足獣が毛を逆立てるかのように、涎を垂らしながら犬歯を剥いて、低く唸っている。

 しかし、ただの獣ではない。相当な魔を憑依させているはずだ。

 呪術が由香理の身体に施されていたことを気づかせないほどの卓越した隠蔽呪術に、大地の胸を容易く貫くほどの魔を憑依させた呪術。呪術師は総じてまともではないが、この術師の技量は間違いなく神域だ。

 しかし、陸の防衛機構は反応していない。

 魔に憑かれた由香理自体はそこまでの脅威ではないということであり、それは、大地と恭子だけで突破が可能だということを意味してもいた。


 ——ムカつくが。

 


 大地は由香理を注意深く観察した。

 人間は二足歩行であり、それに無理やり四足歩行の真似事をさせている。骨格の違いは、本来の魔の力を大きく削っているはずだ。

 ‪──‬それにしても解せねぇ。

 これほどの技量があるならば、と大地は思う。

 こんなまわりくどいやり方でなく、もっと確実な方法があったはずだ、と。


 ——心臓じゃなく頭を潰せばそれで仕舞いだったはずだ。


 意図的に大地が狙われたというのであれば、その意図はこちらの戦力を削ぐという意味と取って差し支えないだろう。であれば、確実に殺せるはずだった好機をあえて逃した、と取れる敵の思惑が不透明になっていく。

 ——わからねぇな。状況がさっぱり見えねぇ。

 見れば、大地の胸を貫いた由香理の右腕はひしゃげていた。限界以上の力を無理やり引き出されている証拠だ。

 そしてこの状況においてなにより大切なことは、あれが、由香理ではない、ということだった。そうでなければ、あの眼で殺されている。

 あの眼の発動には、由香理の意志が必要だということだ。

 ——もしだ。もし、俺を殺す意図がなかったってんなら、なんなんだ?

 鬼眼を使えるにも関わらず、あえて使っていないという線もあるにはある。しかしそれは思考の袋小路だ。断定出来ない推測を取り払いつつも、大地の思考は可能性を洗っていく。

 そして、可能性の中でもっとも回避せねばならないもの。

 鬼眼は使えない。その上で由香理の意識を掌握する呪術が進行中なのだとすれば、早期決着が妥当なのは自明の理だ。


 ‪──‬任せたぜ。


 大地はその背で、恭子に語りかける。

 今の大地では、陸を万全には護れない。

 活路を開くのは大地の役目だ。

 さらさら死ぬ気はないが、最悪、大地が開いた活路を、恭子は必ず拾ってくれるだろう。


 信用している。

 信頼している。

 仲間だからだ。


「ぐぎっ、ぐるるっ」

 由香理の腕は完治しつつある。凄まじいまでの治癒能力だ。

 その治癒速度に限って言及するならば、限界を超えた力を無理やりあてがわれているというよりも、本来の性能が引き出されているという方が正しいのかもしれない。

 次の攻撃は、その腕が完治した瞬間だ。

 それまでに見破れずとも、方針を固めなければならない。

 由香理はあの屋敷から一歩も出たことがないという。そんな由香理に対して直接術式を仕掛けることは可能だろうか。

 これほどまでに見事な呪術を成した術師だ。可能だろう。

 石楠花の結界を抜け、由唯や香子の目を掻い潜り、由香理にまじないを施す。神域の呪術師ならば可能だ。しかし、直接施された呪ならば、術師本人が解呪するか、呪の目的が達成されでもしない限り、解呪は不可能だ。

 その線であれば、由香理を殺すしかない。

 由香理を拘束した上で、術者本人を探し出し、解呪を要求する。

 ‪──‬それこそ不可能って話だろうな。

 交渉の場で戦闘となる危険性を念頭に置き、考える。


 ‪──‬正面切ってかち合ったら、この呪術師に勝てる道理がねぇ。


 だが、大地には違和感があった。

 この魔は、大地や恭子の敵ではない。仮にどちらかを殺せたとしても、どちらかに殺される。

 そんなことも分からない術師ではないはずだ。

 回りくどいやり方というのは、言い換えれば他に目的がある、あるいは慎重、ということでもある。

 だから大地の思考は、呪術師が近辺にいて呪術を行使したという可能性を考慮に入れなかった。


 ——勘だがな。


 大地が備えた、第六感ともいうべき天性の冴え。林檎の山から無味無臭の致命毒を盛られた林檎だけを見抜く勘。あるいは、そこに林檎の山があるだけで毒入り林檎があると見抜いてしまう勘。


 策士泣かせの策士破りだ。


 発動した呪術を見た大地の直感が囁いている。この術師は、自ら表に出てくるような性質を持ち合わせていない、と。

 大地の額に汗が滲む。痛みからではないその汗の意味を、大地は思考から追い払った。


 けっして歴史の表舞台には出て来ず。

 神域の呪術を行使し。

 存在するとされながらも、認識出来ないモノ——。


 ——余計なことは考えるな。今は目の前だけを見ろ。

 そして達した結論は、石楠花由香理は救えるというものだった。

 なにより、由香理の眼を手放す理由が見当たらない。

 であれば、この呪術は解呪が可能だということだ。直接施された呪術ではなく、なんらかの呪具によって発現した呪術。その呪具を見つけて摘出することが出来たならば、この戦いに限った話であれば釣りがつく。

 大地は、自らの負傷を勘定には入れていない。

 内通者の存在の可能性まで視野を拡げれば、仕込まれた箇所の可能性は全身にまで及ぶだろう。

 由香理を捕らえて、全身を再度くまなく見聞する余裕は、ない。

 そして、呪具に可能性を絞った場合の恐ろしい事実。由香理をこの隠れ家に運び込んだ際、由香理の身体になにかが仕掛けられていないか、十分に見聞したのだ。

 由香理の身体に呪術の起点となるような呪具が仕込まれていたならば、呪力の淀みで看破できるはずだった。

 呪力とは、呪術師だけが持つ専売特許の力ではない。その存在に気づいていないだけで、ごくごくありふれた、誰しもが持っているものだ。

 感情が脳の運動だと捉えるならば、その運動によって産み出されて排気される熱量、それこそが呪力であり、ほんの少しの才能と努力を積み重ねれば、多くの人間がその存在を知覚し、視認出来る。

 故に、この呪術を成した術師は危険なのだ。


 かつて、の目を欺くほどに卓越した、隠蔽呪術。


 呪具ではなく、直接、由香理本人に呪が施されていたとしても、その意味は変わらない。

 ──‬首だな。

 それは賭けだった。

 伝え聞いた限り、屋敷で遭遇した呪術師であろう男にこれだけの力はないはずだ。

 しかし、呪具を埋め込むだけならば可能だろう。

 由香理と男が接触したのは、腹と首だ。中でも直接肌と肌が触れ合った箇所となれば、首しかない。

 首を裂く。そこに呪具が埋め込まれていたとして、あとは由香理が明らかな致命傷から復帰できるかどうか、だ。

 ——もし、首じゃなけりゃ‪。

 由香理の命は諦めるしかないだろう。

 大地の怪我では、由香理の首を正確に裂くことは不可能だ。そこは恭子に任せるしかない。

 連携が取れるかどうかの不安はなかった。

 恭子ならば、大地の思惑に着いてくる。


 絶対に、だ。


 問題は、恭子が正確無比に、必要最小限の範囲で、由香理の首を裂く必要があるということだった。

 可能な限り回復が容易になるように。由香理の生存率を高める要因がそれならば、試す価値はある。明らかな致命傷を負って尚、由香理が回復出来るかは未知数なのだから。

 加えて、由香理を救うには大地が彼女を拘束しなければならないという点にも問題がある。由香理との接触は、大地に呪術が伝播する可能性を考慮に入れなければならない。由香理の中に憑いた魔が大地の中に潜り込む可能性だって十二分にあるのだ。

 大地のような戦闘従事者は、呪術師ではないが故に、呪術に対する耐性が低い。故に、護符や呪具を身体に埋め込むことによって呪術から身を守っている。

 ——だが、これほどの使い手だ。護符は当てになんねぇ。

 そうなれば、恭子には嫌な役目を負わせることになるだろう。

 しかし、ケツは拭くと決めたのだ。他の誰でもない、大地自身が。

 ‪──‬舐めんじゃねぇ。舐めんじゃねぇぞ。

 ひしゃげた由香理の腕が完全に完治しようとしている。それとほぼ同時に、大地の思考は自らが導いた答えに決断を下した。


 ——救える可能性があるってんなら、そこに価値はあるんだよ。


 心の哮りを力に変え、大地が身構えた瞬間。

 大地は‪──‬。

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