一章 鬼種の眼[十]
由香理にとって、鳥山大地という男は新種の人類のように見えているのではなかろうか。
これほど粗雑な男は、おそらくあの屋敷にはいなかったろうと、恭子は思う。
「馬鹿だし馴れ馴れしいとは思うし、ちょっと頭のおかしい奴だけど、気にしないでね。……気にしたら負けだから」
「悪い奴じゃないのよ。……悪気がないだけで。……うん、やっぱり悪い奴かもしれない。とにかく、気にしたら負けだからね?」
「え、えっと……。はい……」
結界を越えた大地の気配を感じ取り、恭子が由香理を連れ立って出迎えに降りたのがつい先ほどのこと。
そして、玄関に向かう途中の廊下で鉢合わせた時の大地の言動は、呆れを通り越して怒りさえ感じるほどだった。
由香理さえいなければ、確実に蹴り飛ばしていただろう。
「おっ、目ぇ覚めたんだな。俺は鳥山大地ってんだ、よろしくな。呼ぶなら大地って呼んでくれ、さん付けとかむず痒いからよ」
大きな声で一方的にまくし立て、さらには。
「腹ぁ減っただろ、昨日から何も食ってねぇもんな!」
とまで言ってのけたのだから。あの出来事が昨日のことなのだと由香理が気づいていなければ、混乱は避けられなかっただろう。
よし蹴るかと脚部に力を込めかけてやめたのは、大地の手に今晩の食料がどっさりと詰まった袋が下げられていたからだ。
食べ物に罪はない。
さしもの陸も、大地の後ろで深い溜息を吐いていた。
けっきょく、さん付けで呼ぶことに収まったのだが、その顛末は省くとしても。
「ほらよ、石楠花のお姫様」
「わっ」
頭を抱えたくなるのは、今も変わらない。
大地が、コンビニのおにぎりを由香理に投げ渡す。
三つのビニール袋の中身は、あろうことかすべておにぎりだった。
陸が軽くこめかみを押さえているのは、石楠花のお姫様発言に対してだろう。
いっそ黙れと命じて欲しいとさえ、恭子は思った。
皆で床に座って大量のおにぎりを囲む。由香理だけが座布団に収まっているのも、お姫様だからだろうか──。
その座布団も、大地が買ってきたものだった。
敷物があった方が有難いのは確かだろう。
食事がすべておにぎりなのに対して、どうしてその配慮ができるのか。首を傾げはじめたら最後、捩じ切れてしまいそうだった。
「このおにぎりは、どうしたら食べられるのでしょうか?」
由香理が、投げ渡されたおにぎりを不思議そうに見つめながら言った。説明書きを読んだり、ひっくり返してみたりしているが、いまいち判然としないといった、不安そうな素振りだった。
「マジか……。いや、マジなんだな? これはこうしてやるんだ」
由香理の隣につき、大地が不器用な手つきで、由香理に見せるように包装を破きはじめた。それにしても距離が近い。近すぎる。恭子には、由香理の困惑が手に取るようにわかった。
その光景を微笑ましいと言っていいのか──。
「こう、でしょうか?」
「おうおう、うめぇじゃねぇか」
由香理は表面上、平静のように見える。
見えるだけだ。
恭子はそれを、由香理が両親からもらった強さだと言ったが。
まだ、由香理は気づいていないだろう。
由香理が両親からもらったものの、本当の意味を。
由香理のその強さは、戦う者の心構えだ。
悲しみを内に抱きながらも、生き残るために、前に進める強さ。
あるものをないものとして、あるいは切り離して扱う、方法。
今の陸からは失われたもの。
それは、そう簡単に身につくものではない。
生活の中で。何気ない会話の中で。
少しずつ、密やかに由香理の精神に培われていったもの。
由香理の両親は、いつかこうなることを、きっと──。
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