第144話 二人で駆ける未来

 アル君が草原エリアに行ってから10分ほどが経った。私の心はまだバクバクとしている。

 きっと、私はまだ後ろ髪を引かれているんだろう。ずっと昔に、諦めはついていたはずなのに。


「お姉ちゃん!」


 受付に座っていると、そこにやってきたのはフランだった。息は激しく乱れていて、額には汗が噴き出している。


「エレノアさんから聞いたよ! ローラお姉ちゃんが今危ない状況だって! 一緒に行こう!」


「……私は行かない」


 必死な様子のフランに、私はアル君の時と同じトーンで、冷たく返してしまった。


「……ごめんね。私にはローラに会う資格なんてないの。フランだけでも行ってあげて」


 私は何とか、笑顔を取り繕った。それが大人として正しい対応だと思ったから。


「……そうやってまた逃げるんだ」


 しかし、フランの口からは意外な言葉が返ってきた。


「フラン……?」


「お姉ちゃんはまたそうやって逃げるんだ。家から出て行ったときみたいに、私たちを見捨てるんだ!」


 まさかフランがそんなことを口走るなんて思っていなかったから、困惑した。

 フランはいつも聞き分けがよくて、誰にでも気が回る子。だからこそ、これは心の中を吐露したものなんだ。


「シエラねえはずるいよ。ローラねえはずっと向き合ってきたのに、そうやって一方的にわかったようなふりをして!」


「私だって、ずっと逃げてきたわけじゃない!」


 声を荒らげてしまった。ギルド内がしんと静まり返る。

 お互い冷静じゃない。その証拠に、フランは子供っぽいからと言って辞めてしまったシエラねえという呼び方をするようになっている。


「私だって、あの日のことはずっと悔やんできたよ。でも、こうすることが最善だと思ったの!」


「ローラねえと話さないで、私を介してやり取りをすることが最善? 冗談じゃない。私はシエラねえの伝書鳩じゃないの!」


 私は思わず黙ってしまった。フランが怒っているのを見るのは初めてかもしれない。

 修行を一身に受ける身だった頃は、フランと遊ぶことはほとんどなかった。家を出ていったころにはもう、彼女は聞き分けのいいフランになっていたから。


「……ローラねえはね。シエラねえのことが大好きだよ。大好きだからこそ、自分がやれるべきことをやってきた。そのうえで、シエラねえに会うのはやめておいたんだよ」


「嘘! だってあの子は、昔みたいに笑わなくなってた! 私が、修行をローラに押し付けたから……」


「違うよ! ローラねえは笑うこともあるし、泣くことだってある! シエラねえが見ようとしないだけ!」


 ハッとした。確かに、私はこれまでに、どれくらい彼女の顔を見ただろう。――そして、見ないように目をそむけただろう。


「でも……でも! そんなこと今さら言われたところで、私にできることなんか……」


「向き合って! ローラねえに。私に。これからに。逃げてたら、いつまで経っても前に進めない!」


 フランは息が切れそうになりながら、さらに続けた。


「お母さんが最期に言った言葉。まだ伝えてなかったよね」


「お母さんの……?」


「お母さんはね、私たちに言ったの。『あなたたちには申し訳ないことをした。できるならばもう一度・・・・やりなおしたい・・・・・・・』って」


 記憶の中にいる母は、いつも私を責めていた。だからこそ、フランから伝えられた母の言葉は意外でしかない。

 しかし、なぜだか本当だと信じることができる。心が温かくなるような感覚。それは間違いなく、私が幼い頃、彼女の愛を受けて育ったことの証明だ。


「私たちならやり直せるよ! 姉妹も、家族も、これからも! だから、お願いだから逃げないで向き合ってよ!」


 見ると、フランは泣いていた。涙は頬を伝い、ギルドの床に落ちていく。


 これまで私は、一体何をしていたんだろう。

 私は馬鹿だ。なんでこんな時にならないと大事なことに気づかないんだろう。本当に馬鹿で、どうしようもない。


『ローラと一緒にダンジョンを攻略して、わかったんです。あいつは人のことが大好きで、どんな人のことも大切にしている。何より、あいつと戦ったときに思ったんです』


 アル君から聞いた言葉を思い出していた。彼の言葉はいつだって、私の背中を押してくれる。


『ローラが強いのは、過去の辛い思いを乗り越えてきたからです。シエラさんが思うほど、ローラは過去に囚われていない。むしろ、今シエラさんとどう向き合っていくかを考えているんです』


 少し前までは私がいないと何もできなかったアル君は今、私の代わりにローラと戦っている。

 もし、私に、彼のように変わることのできる勇気があるのなら――やるべきことは一つだ。


「……フラン。一緒に草原エリアに行こう!」


「うん!」


 私たちは走ってギルドから出た。今は業務時間だけど、そんなことはどうだってよかった。ただ、足が止まらない感覚に身を任せながら、北へと進んでいく。


 ――思えば、私はずっと一人じゃなかった。アル君が。フランが。お母さんが。ローラが。いつも大事な言葉を私にくれていたんだ。


 閉め切った道場の臭いが鼻腔に漂ってくる感覚。私はそれを振り払って走る。もう、迷わない!

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