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第134話 ひとりぼっちの過去【SIDE:シエラ】
第134話 ひとりぼっちの過去【SIDE:シエラ】
閉め切った道場に満ちる、汗と血の臭い。こもり切った部屋に空気を満たすように、私は深く息を吐く。
その刹那。私の額には竹刀が打ち込まれ、私はその場で尻もちをついた。
私を襲う激痛。整えたばかりの息は激しく乱れ、私は頭を抱えてその場でうずくまった。
「シエラ!!」
私の名を呼ぶのは、父。彼は私に詰め寄ると、手に持った竹刀を向けてきた。
「なんださっきのは!? どうして言った通りに出来ない!? 何度言ったらできるようになるんだ貴様は!?」
私の背中に、二発三発と竹刀が叩き込まれる。鞭打ちのような音が道場に響く中、私はただ押し黙って苦痛に耐えていた。
なにも今日が特別なわけじゃない。汗臭い道場。父の怒声。私を襲う激痛。どれも日常茶飯事だった。
「いいか!? 貴様は
私の家――ハンステン家は、有名な剣技・聖天流の大家だ。
聖天流の奥義は一子相伝。通常は、家の長男が継ぐことになっている。しかし、父と母の間には男が生まれなかった。
三女のフランが生まれた時点で、私の人生は秘伝の奥義を継ぐことに費やされることが決定した。
毎日、毎日、朝から夜遅くまで、私はこの道場で修業をさせられた。休みなんてほとんどない。もちろん、普通の家のような休日も。
妹のローラとフランにもなかなか会えない。私が頼んだわけじゃないのに、両親は私を閉じ込め、剣のことだけ考えさせた。
「うっ、ううううう……」
あまりの辛さに、時々泣いてしまうことがある。そういうときはいつも、涙を抑えようと必死になる。なぜなら――
「泣くな!!」
私が泣くと、父はさらに苛立つからだ。
「いちいちグズグズするんじゃない!! 無能な貴様が休んでる暇なんてない!! まったく、これだから――」
そこから先は、いつもと同じ言葉。
「これだから――女は」
両親は、聖天流を告げるような男が生まれてくることを望んでいた。それは、裏を返せば私なんて求められていないわけで。
二人とも、私にはつくづく失望していた。忘れられないのは、フランが生まれてしばらく経った日のこと。
まだ自由だったころの私は、本を読んでもらおうと思って母の部屋に駆け込んだ。そこで衝撃的な光景を見てしまう。
母は泣いていたのだ。大の大人が嗚咽している姿を見て、私はひどく戸惑った。
思えば、母は冷静じゃなかった。家族からの重圧。そして産後の精神不安。
彼女は涙でぐちゃぐちゃになった顔で、私に言い放った。
「あなたなんか生まれてこなきゃよかったのよ!!」
その瞬間に気づいてしまった。世界は私のことが嫌いなのだと。
私のことを道具としか思っていない両親も、汗臭くてむせかえりそうになる道場も、胃がはち切れそうになるまで食べさせられる食事も。
残酷に朝を告げる太陽も、私の無能さを指摘してくるような星空も、家を閉め出された私を濡らす雨粒も、追い打ちをかけるように吹いてくる風も。
私にとって、この世界は敵だらけだった。
全てが変わったのは、修行が始まって7年ほどが経った12歳の頃。
修行の途中、父が席を外したタイミングで、私は道場を抜け出した。歳を重ねるごとに厳しくなる修行に、私は耐えかねていた。
家の廊下を歩いていた時、私は自分の部屋から出てきたローラとすれ違ったのだ。
「姉さん? 修行は終わったのですか?」
私の顔を見るなり、無垢にほほ笑むローラ。きっと、私に遊んで欲しいと言おうとしていたんだろう。
でも、私は思ってしまった。彼女は幸せなのだと。彼女は、私とは違う世界に住んでいるんだと。
「……やめてよ」
「姉さん? どこか痛いのですか?」
「あなたを見ていると、私は幸せになれないの!」
怒鳴った後、しまったと思った。ローラは突然のことに驚いてしまっている。
私は気まずくなって、そのまま走り出してしまった。靴を履き、家の門を潜り抜けた。
そのまま荷物の陰に隠れ、私は馬車に乗った。行き先はどこでもよかった。家から逃げられるなら。
たどり着いたのはオルティアだった。私は仕事を得るために街中を奔走し、冒険者ギルドの職員になった。
新しい生活を手に入れた私だったが、心にしこりは残り続けていた。
ローラに言ったことは、間違いなくただの八つ当たりだった。同時にすごく後悔していた。私が逃げ出したことで、あの厳しい修行の対象は、次女であるローラに移ってしまうだろうと。
何度も実家に帰ろうとした。でも駄目だった。あんな思いはもうしたくない。
私はローラを心配しているふりをしながら、自分のことが一番大事なんだ。
ローラとフランに再会したのは、それから5年後、17歳の時。
攻略班の一員として街にやってきた彼女は、あの時の笑顔をすっかり失っていた。
それが全部私のせいだと思うと、私は彼女の顔をまともに見ることができなかった。
きっと、彼女は私のことを恨んでいるに違いない。あんなに厳しい修行を受ければ、誰だってそう思うはずだ。
それから、私はフランを通じて実家やローラと連絡を取るようになった。19歳。母の死を伝えられたのは、フランからの手紙だった。
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