第95話 計算違いの疾風【SIDE:バリー】

 数字とはとてもいいものだ。1の上に1を積み上げれば、必ず2になる。さらに1を積み上げれば、3になる。

 シンプルゆえに、誰にでもできる。だから俺は毎日自分を鍛え、1を積み上げ続けた。


 気づけば俺はS級冒険者になっていた。当然の結果だ。俺は毎日一歩ずつ前に進み続けたのだから。

 だからこそ、周りの連中が俺に陰口を叩いているのを聞くと虫唾が走った。


 なぜお前らは数字を積み上げない? 誰にでもできることをなぜやらない?

 ある時気づいた。奴らは1+1の答えが2であることは知っているが、本当の意味での計算はできていないのだと。だから積み上げることが出来ない。

 ――故に、俺は奴らを無視することにした。計算のできないサルだと思えば気になりもしなくなった。


 変化があったのはその後だ。

 S級冒険者になった後も、俺は1を積み上げ続けた。そうすることでいつかは誰よりも強くなれると信じていたからだ。


 しかし、違った。世界には『天才』と呼ばれる部類の人間がいた。


 国が編成しているダンジョン攻略班。そのメンバーとして参加した時、俺はそれ・・と出会った。

 忘れもしない、名前はローラ。金髪で緑色の目をしたその女は、圧倒的な実力を持っていた。それはまさに、俺が何十年――いや、何百年修行し続けようがたどり着けない境地だった。

 彼女の剣の腕を見て、俺は心を奪われた。同時に、彼女には絶対に追いつけないことを理解した。


 それが人生で初めての挫折だった。


「クソッ、なんなんだあの化け物は!?」


 俺は今まで、絶え間なく修行を続けていた。数字を積み上げれば、必ず報われることがわかっていたから。そう信じていたから。

 だが違った。上に行けば行くほど、1くらいの積み上げでは意味がないことがわかってきた。それはまるで、自分のこれまでの努力なんて価値がないと言われているように。

 だから、俺は逃げた。未練がましくギルドに入り浸り、貯金を使って酒を飲み続けるだけの日々を送った。


 ある時だった。いつものように酒を飲んでいると、冒険者たちの話し声が聞こえていた。


『あれ、バリーだろ? S級冒険者の』


『と言っても、もうクエストなんか全然受けてないらしいけどな。あいつはもうただの酒飲みだよ』


『勢いがあったのは昔だけだよな。ただの一発屋だったってことか』


 いつもなら気にならないそんな会話が、やけに耳に止まった。

 その日は二日酔いで胃がムカムカしていた。だから俺は席を立ちあがり、その三人組の前に立って叫んだ。


「お前らみたいな三下の雑魚に何がわかる!? 俺がどんな気持ちでここまで来たか、わかるわけねえだろ!?」


 それから、俺は自分より弱い人間に執着するようになった。

 雑魚を見下しているときは気分が晴れた。日々の努力で解決できる問題に、奴らは日々手間取っている。そんな連中を見て、俺は憂さ晴らしをしていた。

 同時に、うすうす自分でも気づき始めていた。このまま停滞し続けて、何の意味があるのかと。


 ――俺は、何のために生きている?


 そんな思いを抱えていたある日、俺は酒のせいで道に迷い、ゴミ捨て場にたどり着いてしまった。

 そこにいたのは一人の男。男はなぜか、このゴミ捨て場に座り込んでいたのだ。


「……お前、誰だ? なんでこんなところにいる?」


「俺はエルゲン。……ちょうど、ろくでなしの烙印を押されてきたところさ」


 エルゲンは自分の話をした。彼がディエゴという鍛冶職人に師事し、ついさっき、弟弟子の補助に回るように言われたと。


「俺のスキルは、物をちょっとだけワープさせるだけの能力でね、弟弟子の方がよっぽど鍛冶職人に向いてる力を持ってるのさ」


「変な話だな。だったらお前はなぜ鍛冶職人になんてなろうとしてる?」


「……なりたいと思ってしまったんだよ。自分に才能がないのはわかっているが。どうしてもなりたいんだ。たとえ、他人を蹴落としてでも」


 エルゲンは自分の思いの丈を全て話した。だから、いつの間にか、俺も自分の過去のことを話していた。


 俺はそこでようやく理解した。この世界には、計算を超えた『何か』に突き動かされて生きている人間がいるということを。

 そして同時に、この男に自分の計算の力を合わせたらどうなるのだろう、という興味が湧いてきた。


「なあ、いきなりな話だと思うんだが……俺と組んでみないか? それで、次の英雄闘技会に出るんだ」


「お前とか? 役立たずの俺と組むなんて、そりゃまたどういう風の吹き回しだ?」


「気分じゃねえ。計算だ。俺とお前なら一番になれる。互いが互いを合理的に『利用し合う』。一番になるためには、どんな汚いことでもやる」


 エルゲンは笑った。俺たちはいつの間にか意気投合していた。


「それはいい。じゃあ、俺は一番の鍛冶職人に。お前は一番の冒険者に」


「ああ、絶対になるぞ」


 汚い手でも、横道でも、利用できるものは使う。それが俺たちが見出した活路だった。



 そして――俺たちは負けた。三下と呼んだ男に、不正をしてまで完膚なきまでに打ちのめされた。



『まだ終わってない! イレーナは絶対に来る! だから信じて戦ってるんだよ!』


『イレーナは諦めなかった。お前らに不正をされて、自分自身について悩んで、それでもこの剣を作り上げたんだ! お前みたいに進化を諦めてないからな!』


 あの二人組は、信じて諦めなかった。だから勝つことができた。

 以前の俺なら、『そんなのは計算とは言わない』と切り捨てていただろう。


 だが、ほんの少しだけ、そんな生き方がうらやましいと思ってしまった。




 「ゴーレム、畳みかけろ!」


 朦朧とする意識。全身を走る激痛。かすむ視界の中で、三下と赤髪の少年が戦っている。どうやらかなり追い詰められているようだ。

 単純計算で、三下が押されているのはわかる。このまま見ていれば奴は負けるだろう。ざまあねえな。


 しかしなぜだろう。どこかで負けるなと思っている俺がいる。

 三下で、傷だらけで、計算もできないサルで。そんな奴の生き方を、羨ましく思っている自分がいる。


 体は動くだろうか。――いや、動かしてみせる。計算なんかじゃなく、俺がそうしたいと思ったんだ。

 きっとできるはず。起き上がって、奴の懐に飛び込むんだ。少し時間を稼ぐだけでいい。イメージしろ。走る姿はそう、まるで――


 ――<疾風>のように。


「うおおおおおおおおおおお!!」


 全力で走り出すと、俺の中で何かが弾ける音がした。


「やれ!! 今だ、三下!!」


 腹の底から絞り出した俺の声は、計算違いに上ずっていた。

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