第4.5話 阿倍 遥

 私の通う大原学園からの帰宅途中、忘れ物をしたことに気が付いた私は、慌てて、今、来た道を小走りに戻り始めた。

 私の足の速さであれば、閉門の時刻に余裕で間に合う時間までに学園へ戻れると思い、大通りから学園方面への角を曲がると共に、走るスピードを上げた。


「わっ」

 迂闊うかつにも学園から帰る生徒と正面衝突する形になってしまった。

 学園の生徒会長を務める私としてはあるまじき失態だ。

 彼にも謝罪しないと…


「…!?」

 発する言葉が見つからない。

 正面衝突により倒れそうになった身体をお互いに支え合ったためか、互いに抱き合う形になってしまったのだ。

 不可抗力、不可抗力ではある。

 いや、いきなり走り出した私が悪いとも言える。

 だが、しかし…


『あり得ない、あり得ない。見ず知らずの男性と道端で抱き合う何て…』


 私は動揺すると、思わず無言なってしまう癖がある。その時は、取り敢えず心の中で叫ぶようにしている。そうすることで、動揺を押さえると共に心を落ち着かせることができるからだ。心さえ落ち着かせれば、対応策を考える余裕ができるようになる。


 今までの人生、私はそうして生きてきた。

 そのお陰か何度かあった、慌てふためくような場面を、卒なく切り抜けてきた。

 生徒会長の職務も、そのやり方で今まではつつがなく務めることができている。

 裏では冷徹れいてつ辣腕らつわん生徒会長などと噂されているようであるが、本当は想定外の事があると気が動転して何も出来なくなってしまう。即応力が限りなく低い小心者なのが本来の私なのだ。

 しかし、今となってはそんな事はどうでもいい。


『不味い、不味い』

 明らかに曲がり角で走り出した私の失態だ。だが、対応策が思い付かない。特に今のこの体勢があり得ない。何で道端で抱き合うことになっているのだ。

『誰かに見られたら、誰かに見られたら。私の生徒会長としての威厳は、いや、立場は…』

 頭の中が熱くなり顔が赤くなるのが分かる。

『身の破滅だ。もう、何も考えられない。だめ、どっ、どこか遠くへ逃げ出したい』


 その時、突如、私達の足元に幾何学的な模様が広がった。

『な、何!?』

 一瞬、意識が遠のいていくのが分かる。

『わ、私はここで死ぬのか…』


「…!?」

 再び、言葉がでない。私は、再度、困惑している。いや、先程よりも困惑度合いは上がっているかもしれない。


『な、何なんだ、ここは!?』

 取り敢えず、声が出ないので心の中で叫でみた。


『わ、私が悪いのか!? どこか遠くへ逃げ出したいなどと考えた私が…』

 今が正に呆然自失な状態であることは分かる。それは分かる。しかし、ここはどこなんだ?

 私には何が何だか全く分からない…


 どの位呆けていたのか分からないが、気が付くと騎士風の服をまとった男が近づいて来た。

 黒い輪のようなものをその手に持って…

 近付いてきた男は私が先ほどぶつかった男子生徒の首に黒い輪を着けた。続けて、私の首にもその黒い輪を着ける。その黒い輪は鈍い光を放つと特別にあつらえた首輪のようにぴったりと張り付き取れなくなった。


 偉そうななりをした皇帝と名乗る男が喋りだす。


「これで話が通じるようになったのかな。朕はラインハルト帝国皇帝シュナウザー・ラインハルト。そなた達は我がラインハルト帝国のために一生を捧げるのだ。そなたたちに命ずる。近衛騎士アーノルド、聖女シルビアを主人と同様の者と認識し、二人から命じられたことを朕からの命令と捉え、我が帝国の礎になるのだ。励めよ」


 この男は何を言っているのだ。何故、私が縁も所縁ゆかりもなく名も知らぬ国に尽くさなければならないのだ。意味が分からん。


 皇帝だと名乗る偉そうな男が出て行ったあと、騎士風の男とシスター風の女が私達に何か言っている。

『奴隷…』

 何を言っているのか、この現代の日本で奴隷制度などある分けないのに…


『えっ、明日から武術の訓練、何言ってるのこの馬鹿男は、何故、私がそんなことをしなければならない』

 だめ、もうだめ、もう我慢できない。


「い、嫌よ、何で私があなた達の言うことを聞かなければいけないの。勝手にこんな場所に連れてきて、挙げ句の果てに何これ、『隷俗の輪』馬鹿にしないで!」

 やっと、私の声が出た。怒りが頭の中に渦巻く、この男は許せない。


「愚かな、もう一度言う、我々に従い帝国に尽くせ」


、嫌よ」

 騎士風の男性が呪文のようなものを唱える。


「キャー」

 私は頭を抑えながら転げ回る。


『痛い、痛い。誰か助けて。この痛みは何なの』

 顔からは涙が溢れ、口からは涎が垂れているのが分かる。

 でも、痛くて、痛くて…


『だめ、もうだめ。ごめんなさい。もう痛くしないで、本当に、ごめんなさい』

 私はこの痛みから逃れるために懇願こんがんした。

 しかし、痛くて、痛くて、声を発することができない。でも、痛みは治まらない。

『ごめんなさい、ごめんなさい。もう、許して…』

 私はひたすら誤り続ける。もう、何も考えられなくなっていった。


『暖かい、温かい。誰かが私に優しくしてくれる。もう痛いのは嫌だ。この温かみの中にいたい。お願い私を放さないで』


 私の身体を優しく守ってくれている人は先ほどの男子学生だった。彼の温もりは温かい。もう、私は彼の傍でしか生きていけないのかもしれない。


 シスター風の女性が何か喋っている。

 私達は奴隷。戦争に駆り出されるらしい。

『もう、どうでもいい…』


 気が付けばジメジメした感じの薄暗い部屋にいた。私はどうしたらいいの、何で私がこんな目に遭わなければいけないの、嫌、嫌、痛いのは嫌。お父さん助けて。

 お父さんのことを思ったら涙がでてきた。私どうしたらいいんだろ。


 ここに一緒にきた男子学生が何か言っている。そういえばさっきからずっと話し掛けてきてくれている気がする。

 彼は先ほど私に優しくしてくれた人だ。私に温かい温もりをくれた人だ。

 私は彼の名前を尋ねる。

 彼は藤原洋祐君と言うらしい。私と同じ学園の高等部1年生だそうだ。

 私は高等部2年で生徒会長をしている阿倍遥だと自分のことを話した。

 彼と話している内にいつの間にか涙が止まっていた。


 侍女風の女の子が夕飯を運んできた。はっきり言って不味そうだ。しかし、明日から何があるか分からない状態では取れる栄養分はとっておかなければならない。

 私は意を決してパンを一口ひとくちかじる。


「ま、不味い。こんなの食べられないよ」

 食べなければ体が持たないのは分かる。それは分かる。だけど、これは食べられない。もう、無理、私には食べられない。何もかもが嫌だ。

 私は悲しくなってきた。

 また、涙がこぼれ始める。


「美味しくなくても食べないと明日の訓練で身体が持たないよ」

 彼が優しくささやき掛けてくれる。


「わたし、戦争のための訓練なんてしない」

 でも、私は彼に素直になれない。


「…、僕だって戦争の道具になるための訓練なんて嫌だよ。でも、この隷俗の輪が…」

 先程の広間での出来事がよみがえる。


 あの嫌な騎士風の男の呪文。

 頭が割れるような、永遠に続くかもとも思える痛み。

 私は先ほどのことを思い出すと、身体が小刻みに震え始める。

 そんな私を彼は優しく抱き寄せ頭を撫でてくれる。

 何故か、彼に頭を撫でられると心が落ち着く。


「さぁ、食べよ」

「いや…」

 まだ、素直になれない。


「食べなきゃ、身体持たないよ」

「嫌よ…」

 それでも素直になれない。


「僕らは生き延びて元の世界に必ず帰るんだ。そのためにも…、自分で食べないなら僕が口移しでも食べさせるよ」

「…」


『そこまで言うのならしょうがないわね』

 心の中で呟く。


 彼は私に近づき、私の下顎したあごを持ち上げ、顔を上向きにさせると、口移しでスープを飲ましてくれた。

 私は彼なしでは生きていけないのかも知れない。もう全て彼にまかせよう。そして、彼が言うことに従って生きていこう。

 私の口の中に流し込まれたスープは胃の中へ消えていく。身体中が温かくなっていくようだ。続いて、パンを小さく千切り食べさしてくれる。何かとても幸せだ。


「後は独りで食べられるね」

「いや」


『さっき、口移しで食べさせてくれるって言ったじゃない』

 心の中で呟く。


「食べないと身体が持たないよ」

「じゃ、食べさせて」

 言えた。


 彼はパンを小さく千切り食べさしてくれる。固いパンが口の中に残らないようすぐにスープも与えてくれる。彼は本当に優しい。今日はいろいろと嫌な事も多かったけど、彼と会えたことだけは良かったのかも知れない。


 夕飯が終わり、今までの出来事を考え直すとまた、悲しくなってきた。もう元の世界には戻れないのだろうか。私は一生奴隷で…

 私はこの後どうなってしまうのだろう。一生このジメジメと暗い部屋で過ごし、年を取っていくのだろうか…


 ご飯は毎日あの固いパンと薄いスープなのだろうか。もう何もかも悲しくなってしまう。そんなことを思っていると、また涙がでてきた。


 そんな私の身体を彼は優しく抱きしめる。彼に抱きしめられ頭を撫でられると心が落ち着く。私は何時しか深い眠りに陥っていった。



 朝を迎えた。


「・・・」

 気まずい。私自身の顔が火照って熱い、きっと、顔は真っ赤になっているのだろう。

 彼に気が付かれてはいないだろうか。とても恥ずかしい。

 彼の顔を横目に盗み見る。彼の顔も赤くなっている。

『若しかして、若しかして、恥ずかしいのは彼も一緒!?』


 でも、彼は私に一生懸命優しくしてくれた。彼が傍にいると心が少し軽くなる。


 取り敢えず、朝食を食べる。メニューはやはり固いパンとスープだけ。

 朝食はお互い自分自身で食べている。パンは相変わらず固くスープは薄い。


「不味いわ」

 思わず声が出た。


「そうだね」

と彼が返す。


『彼の傍にいたい』 

 私の心が彼を渇望かつぼうする。


 恥ずかしいけれど、思い切って彼の傍に移動し、彼の身体に自身の身体を寄り添わせ、残りの朝食を食べた。やはり、彼の傍にいると心が安らぐ。


 食べ終えると彼の片腕を抱き締め、彼の身体に顔を摺り寄せる。彼はそのまま私を抱き締め背中を優しくさすり続けてくれた。


 そんな私の心休まるひと時は、訓練の呼び出しで終わりを告げる。



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