第60話 子供好きな妖精 第五話
リツは私のすぐそばにぴったりと着いて離れようとはしなかった。泉の近くまでは楽しそうにしていたのだが、禁忌の森が近付いてくるとその表情は次第に強張っていき、鼻歌も聞こえなくなっていた。
普通に歩いていても落ち着けないような場所ではあるのだけれど、私はそれ以上に強い視線が気になっていた。前に進んでも立ち止まっても走り出してみても見つめられているように感じる視線は、普通に街中でジロジロとみられるよりも不快に思えた。リツも辺りをきょろきょろと見まわしているので同じような視線を感じているのかもしれないが、今にも泣きだしそうな表情を見ているのは少しだけ心が痛んだ。
私達と一緒に行動するはずだった三人組なのだが、手付金を受け取って二日ほど豪遊していたそうなのだが、今朝になって三人とも別の場所で遺体となって発見されたのだった。
その遺体には外傷は全くなかったのだが、誰も知らない未知の魔法がかけられており、死んでいるという事がわかる以外に何の手がかりも得られなかったそうだ。
そんなわけで、私はリツと二人で禁忌の森へと向かっている。本来なら二人で行くよりも私一人で行った方がさっさと用事を済ますことが出来そうなのだが、どうしてもリツが行きたいと言ってきかないので二人で行くことになったのだ。ドンポ卿はそれに反対していたのだが、リツの決意は何よりも固く、私達に同行する人も現れることは無かったので渋々反対の立場を下りたのだった。だが、ドンポ卿は最後まで賛成はしなかったのだった。
どこからが妖精の森でどこからが禁忌の森なのか見た目ではわからないくらいの森なのだが、一歩禁忌の森に足を踏み入れるとその空気感の違いに驚かされた。森の境目に立って何度も行き来してみたのだが、それが原因なのだろうがとてつもない疲労感に襲われてしまった。無駄な事はしない方がよさそうだ。
「この森は妖精さんがいないみたいだけど、さっきのところに戻っちゃ駄目かな?」
「戻るのは構わないけど、私はそっちにはいかないよ。一人じゃ危ないから怖くてもこっちにいようね」
「でも、妖精さんもそっちに行っちゃ駄目って言ってるし、妖精さんが一緒に遊ぼうって言ってくれているんだよ。お姉ちゃんも聞こえるでしょ?」
私は今の今まで妖精の声は聞こえていなかったのだが、意識して聞いてみるとそこかしこから小さな声でリツを呼び止めているのがわかった。私の事も呼び止めろよとは思ったけれど、幼いリツを心配してくれているのは少しだけ嬉しかった。
「妖精さんと一緒にあっちのところで待っててもいいかな?」
「一人だと心配だからダメって言いたいんだけど、リツはダメって言っても一人で勝手に行っちゃうでしょ。見えないところに行かないって約束できるかな?」
「うん、約束する」
「あんまり遠くまで行っちゃだめだからね」
出来ることなら私もこの森を無視して戻りたいと思っていた。それが出来ればこんな嫌な気持ちにもならなかったと思うのだけれど、死人使いと言うのは少し興味があったりするのだ。命を無責任に扱うことが出来る人がいるのも意外だが、この国では妖精も死人使いも当たり前のように受け入れているのが凄い。と言うよりも、魔法と言う概念が日常に完全に溶け込んでいるのは羨ましかった。私には魔法は使えないけど、それでも楽しそうな事が増えるのは嬉しかった。
リツを一人で行かせてしまうのは気が引けたのもあるのだが、私もいったんこの森を出て気持ちをリセットさせたいと思った。そんなわけで、私はリツを連れて妖精のいる泉へと戻ることにした。
泉には見たことのない子供が数人と妖精が数十匹いたのだが、みんな思い思いに遊んでいるようで私達を気にするものは誰もいなかった。
リツも泉の傍に座り込んで誰かと話しているようなのだが、私の角度からは誰と話しているのかは見えなかった。回り込んでみてみても妖精と話しているのはわかったのだが、その妖精がこの前話した妖精なのかどうかも区別がつかなかった。そもそも、この妖精たちは妖精同士で区別がつくのだろうか?
そんな疑問を抱えながらも、私はリツにもう一度見えないところに行くんじゃないよと伝えて禁忌の森へと向かうことにした。
さっきは徐々に徐々にと言った感じで嫌な視線を感じていたのだが、今回はそんな事はさせるもんかとある作戦を立ててみた。その作戦とは、ただ走るだけである。
普通に走ればあっという間に森を抜けることは出来ると思うのだが、そんな事をしても意味は無い。死人使いを探すのが最初の目標なのだが、殺してはいけないというのは大きなハンデになりそうな気もしていた。
視線を感じないようにさっと走り出したのだが、私が思っているよりも体は動いてくれなかった。体が重いというよりも何かが体を掴んでおさえ付けてきているといった感覚だった。私はそれを無理やりにでも振りほどこうとしたのだが、私の抵抗もむなしく何も出来ないまま私はそれなりに早く走ることしか出来なかった。
それほど距離は走っていないのだが、私はとてつもなく疲れてしまっていて、全く無意識のうちに座り込んでしまっていた。普段はこんなことは無いのだけれど、座っていても全く疲れは取れず、ますます疲労が蓄積していくのを感じていた。
このまま奥まで行くのは危険だと思い、いったん戻ることにしようとしたのだけれど、やみくもに走っていたせいでどちらから来たのかが全く分からなくなってしまっていた。リツがいる方に行こうと思っても、どっちに行けばリツがいるのかさっぱりわからない。前に進むと疲れが襲ってくるのだが、後ろに下がっていると背中越しに突き刺さるような視線を受けて気味が悪い。私は進むことも戻ることも困難な状況に陥ってしまったのだが、どうにかしてリツのいる場所へと戻らないといけない。この森は私が思っていたよりもずっと危険な場所だったようで、私は自分の力を過信し過ぎていたようだ。
私を襲っている疲労の正体が何なのかはわからないけれど、魔法だとしたら無効化することが出来ない魔法があるという事になってしまうし、魔法じゃないとしたらそちらの方が恐ろしいような気がしてならない。
とにかく、嫌な感じがしない方へいない方へと歩いていると、目の前に見える木が少しだけ鮮やかな色に見えてきた。私は何も考えることが出来ず、ただただその気に向かって歩みを進めているのだが、手が届きそうな距離まで来たところになると、体を襲っていた疲労感は一気に抜けて気分も爽快になっていた。
あの森は危険だがこの森は安全だという事がわかったのだが、妖精のいる泉は今いる場所から少し離れているようだった。あの森を出て元気になった私は今までの鬱憤を晴らすかのように森の中を駆け回った。初めて野に放たれた子犬のように目的も無く走り回ったのだけれど、妖精のいる泉はとうとう見つからなかった。何度も森を出て入口からやり直してみたり、別の入口から出て色々と探してみたのだが、どこにも泉は見つからなかった。
一本道なので迷うはずはないのだが、私は陽が落ちても泉にたどり着くことは出来なかった。
リツに会うことが出来なかったのだった。
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