食用牛

マグロの鎌

第1話

私は牛のミサト。今日、生まれ育った牧場からトラックに乗せられた。「行き先はわからないけど、きっと、牧場よりかは良い場所だろう。」そう、胸に期待を膨らませ他の牛たちにより狭くなったトラックの中で辛抱強く目的地につくことを待った。

「なあ、知ってるか、俺たちがこれから先どこに行くか?」

隣に立っているサブローが話しかけてきた。牧場にいた時は一度も話したことがなかったが、トラックの中で退屈しているのは一緒なのだろう。

「知ってるわよ。そんなの無限に草が生い茂っている楽園でしょ?」

私は行き先など知らなかったが、見栄をはってそう言った。

「ああ、あながち間違ってないな。でもな、それの楽園とは“天国”のことだ。俺たちは今から殺されに行くんだよ。」

サブローは思い悩んだ顔でそう言った。よく見ると顔色が悪いのがわかる。きっと、ここしばらく寝られていないのだろう。

「なにを言ってるの?私たちは高貴な牛なのよ、殺されるわけ……。」

「うっせー!まだそんなこと言ってんのかよ!」

私のすぐ後ろから怒鳴り声が聞こえてきた。トラックの中は窮屈で後ろを確認することはできなかったが、声質からして、牧場で隣の檻に住んでいたミサオ君だ。

「お前は、牧場の時からそうやって理想ばっかり語ってたから、うざかったんだよ!いいか、俺たちは、そもそも人間に食べられるために生まれてきたんだよ!」

「どうしたの、ミサオ君?いつも私の話楽しそうに聞いてたじゃない。」

「ああ、楽しかったよ……現実から逃げて、理想を思い描くことはな。でも、理想を思い描いたからって現実は何も変わらないんだよ!俺はな、お前が寝た後、一人になるとどうしても死ぬことを考えてしまうんだ。そして、なんとも言えない悲愴感に追いやられて、『人間に食われるぐらいなら自ら命を立ってやる。』って何度も考えたよ。そうすれば俺は牛肉ではなく、牛として死ぬことができると思ったからだ。でもな、俺たちの体は必要以上に肥されて、足は鎖で繋がれて、寝返りひとつも打てない檻に入れられて、そんな状態でどうやって自殺できるっていうんだよ……。」

ミサオ君はそう言い切ると涙をこぼし始めた。そして、それに感化されるように周りの牛たちも大きな声上げ泣き始めた。

「……」

そして、私も彼の本気の嘆きに対して何も言い返せなかった。きっと心のどこかでは理解していたのだ。自分のためではなく、また他の牛のためでもなく、私たちに全く関係ないはずの人間のために生まれてきたことを。そして、私の存在はミサトから牛肉に変わることによって初めて意味をなす。つまり、私の存在など初めからどうでもよかったことを。いつしか私も、牛肉として死ぬことにより私の存在がなくなってしまうのなら、「牛として死にたい。」と思うようになっていた。そして、私たちのこの願いは思わぬ形で叶うこととなった。

「うるせーな、牛ども。こっちだって娘の誕生日で急いでんだよ。」

私たちを運んでいるトラックの運転手が、後ろの荷台に振り返ってそう言った。

そして、次の瞬間奇跡が起きた。運転手は振り返ったせいで、ハンドルが水溜りに持ってかれていることに気づかず、トラックは道を大きく左に外れ、住宅街に突っ込んで行く。

「ま、まずい!」

運転手がそれに気付き、ブレーキをかけた時にはすでに遅かった。大きな音をたてトラックは一軒の家と衝突した。そして、その衝撃により私たちが乗っていた荷台は横たわり、人一人入る余地もないほどに詰められて私たちはその衝撃を余すことなく食らってしまった。

そして、死ねるほどの衝撃ではなかったが、このまま目をつぶり死を願えば息を立つことができそうだった。

「やったな、俺たちは自分たちで死ぬ権利を与えてもらえたのだ。人間の手によってではなく、俺たちの意思によって死ぬことができるのだ。牛として、死ぬことができるのだ!」

ミサオ君は最後の力を振り絞って名一杯に鳴いた。そして、私たちも彼の後に続き、自分たちの意思で命を一滴残らず使い切ろうと闇夜に向かって鳴いた。

人間にとってはこの鳴き声が、勝利の雄叫びではなく自分たちの死を嘆いているように聞こえているだろう。今となってはそれでもいい。人間がどんなに私たちを憐れんでも私たちには関係がない。なぜなら、私たちは牛だからだ。



「3310番、なんとか息があるようですがどうしますか?」

「ん?生きてるか死んでるかなんてどうでもいいだろ。どうせ、全員牛肉になるんだから。ほら、牛の安否なんか気にしてないではやくトラックに乗せろや。」

かすかに人間の声が聞こえた。私は死んだはずじゃ……


「よかったな3310番、お前は生きているからA5ランクだ。」

ここは、まさか……

「どうせ、意識はないだろうしこのまま放血しても問題ないだろ。頼んだぞ。」

「はい、わかりました。」

やはり食肉センターだ……。そ、そんな……私は、牛として、牛として死にたかったのに……。

意識がないと思われた3310番は放血をしている最中かすかに鳴いていた。それはまさしく自分の生を嘆いているものだった。


「次のニュースです。昨日午前1時ごろ、北海道の牧場を出発したトラックが途中住宅街に突っ込み運転手の相良邦一さんが死亡しました。また、このトラックに乗っていた牛たちは皆無事だったそうです。」

「生きててよかったですね。死んだら可哀想でしたね。」

「そうですね。」

テレビの前でそのニュースを見た僕は爆笑した。

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