第5話 別れ、出会い、想い

 それから、半年間の月日が流れた。連絡は絶えず続いていたし、時々逢ったりもしていた。この間に私は、専門学校を卒業し就職もした。車の免許も習得し(かなり難航したが)、取りたてほやほやで彼の家まで運転していったのはいい思い出である。それから、数ヶ月の後、別れを彼から切り出された。就職した先で辛いことばかりで彼だけが心の支えであった私にはとても辛いことであった。それでも、彼が新たな地で幸せになってくれるのなら、綺麗な奥さんを貰い幸せに暮らしてくれるのなら、私のこの悲しみなど取るに足らないものだと思い、彼の別れを受け入れた。

 私は、空を飛ぶペンギンだった。望みようもない高みに、彼の導きで私は昇った。

 星が近かった。

 そしてそこからは、地上にある汚れたものや醜いもの、心を悩ます全てのものが、まるで美しいタペストリーのように見えていた。

 それが幸福だった。

 それから彼はいなくなり、私はただのペンギンになった。突如訪れた悲しみであったが、私には空の記憶と、風切り羽を持つ彼との思い出が残された。つまり私はときおり悲しみにおそわれる、そこそこ幸福なペンギンになった。



 そうして、半年の月日が流れた。仕事も2年目を迎え不安神経症という精神疾患を抱えながらもどうにか働いている日の事だった。

 その日はたまたま休日で、私は家の掃除をしていた。

『ピロリン』

 耳慣れた着信音に手を止め、私は携帯を手に取った。

 好きなゲームキャラクターの映るロック画面には【新規メッセージ1件】の文字。

 タップして開き、視線を文面に走らせた。

 それはすぐにそれと分かる懐かしい文面だった。

 見間違いようがない。

 だ。

「こんにちは」

 から始まる文面。

 私はおそるおそるアイコンをタップし全文を開いた。

 怖いからではない。ほんのちょっとの気の揺らぎのようなものが、目の前には居ない彼の存在をかき消してしまいそうな気がしたからだ。

 幸福の儚さを半年前別れと、父と祖父母を失った事によって知っていたから。

 その一方で、私は良識ある大人として常識的解釈にしがみつくことも忘れていなかった。


 間違えて送ってしまった説。

 以前に付き合っていた恋人に送るはずであった文面を間違えて私に送ってしまっただとか。滅多に連絡の取り合えない恋人に送るはずであった文を間違えて送ってしまっただとか。…第1の有力説だと思った。


 別れたのは彼のドッキリだった説。

 それは無いと思う。

 すごく魅惑的な考えだがちょっと無理だ。

 他にも、今彼と付き合っている女性説や身体目的説、同姓同名の誰か違う男性説なども浮かんだがいまいちどれもピンとこなかった。

 彼からのLINEに指を伸ばしながら、そんなことを考えていたのだが、やはりこのメッセージは間違いだという考えが、私には一番しっくりきた。


『こんにちは。お元気ですか?なんだか気になってLINEしました』

 LINEを開くと、そう、短い一文。

 私は困惑した。困惑というか、一種の怒りのような感情もあったと思う。怒り、悲しみ、嬉しさ…喜怒哀楽が入り交じっていた。

『こんにちは。元気ですよ。そちらもお元気ですか?』

 と私は返した。警戒心もあった。ほんの少しの期待も持ちながら。

 それから、いろいろと話をした。話が進むにつれ、彼がLINEをしてきた理由、それは『結婚を前提に復縁をしてやり直したい』との事であった。私はしばらく迷った。

 また裏切られるんじゃないか。と嫌な思い不安な思いばかりがこみ上げてきた。1時間ほど迷い『分かりました。よろしくお願いします』と返事を返した。

 そうして私の約680㎞の超遠距離恋愛が始まったのだった。

 しばらくLINEのやりとりが続いていた。彼から顔写真の交換を申し込まれた。

 彼から顔写真が送られてきた。私はそのときはっきりと見た。彼の写真の目元にホクロがあるのを。そしてあの時の、怜悧な瞳を。

 彼は彼によく似た誰かではなく、クローンでもなかった。彼は彼そのものだった。

 私も写真を送った。「髪も伸びて大人っぽくなったね」と送られてきた彼からの文に私は赤面した。数日後に出会う約束をしてその日のLINEは終えた。

 数日後、私は車で680㎞離れた彼の家まで車を走らせた(初心者マークも取れていないのにだ)。我ながらなかなか無茶をしたものだと思う。彼はアパートの前で待っていた。私はふらふらの身体を車から降ろすと、「彼…さん?」こらえきれずに、震える小さな声で彼を呼んだ。

 彼は、俯いていたその顔を上げた。照れくさそうに微笑みながらゆっくりと頷いた。彼の唇が私の名を紡ぐ。その細かな仕草のひとつひとつが、あまりに懐かしく、愛おしく、私は泣き出しそうになった。私はおずおずと彼に歩み寄り、そっと手を伸ばし、その存在を確かめようとした。彼も手を伸ばし私を抱きしめる。

「逢いたかったよ」

 そう耳元で囁かれた。少し掠れたハスキーボイスのあの懐かしい声だった。私はその声の懐かしさにますます泣き出しそうになった。私は一度彼との別離を経験している。再び巡り会えた彼とも、もし、もしやがてまた別離の日が来るとしたら、この再会には初めから別れが…悲しみが用意されていたことになる。

 アパートの部屋に入ると、彼は再び私を抱きしめた。

「逢いたかった…ずっと想っていたんだよ。別れて半年、ずっと」

 その言葉が真実ならば、どれほど嬉しいか。

「そうなんですか?」

「信じられないかもしれないけど、そうなんだ」

 私は完全に自信をなくしていた。だいたい私みたいな人間との復縁を何故、彼は選んだのだろう?私でなくとも、他の元彼女さんたちでも良かったのではないだろうか…?すごく不思議な気がしてくる。

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明日へ 温州蜜柑 @xushu223

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