二十一回目の赤目美宇(あかめ みう) ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

二十一回目の赤目美宇(あかめ みう)



 目が覚める。


 初期の頃は違和感があったのだけど、今ではすっかり見知った天井が視界にはあった。


 私は当然のように六畳のフローリングの部屋の中央に敷いた布団の中にいて、寝間着も着ている。


 もう何度この光景を味わっているのだろうか。


 これまでの顛末を覚えている範囲で数えてみると、二十一回であった。


「二十一回……人としてはあり得ない数値ね。猫ならば百万回だったかな……。今の私は、二十一回目の赤目美宇あかめ みうか。それはいいとして、他はどうだったかな?」


 私は記憶の中にあるフィクションなどの類似の事例を挙げようかと思ったが虚しくなるだけだったので、考えるのを即座に放棄した。


 夢なのかもしれないけど、私はもう二十回は死んでいるのだ。


 醒めない夢の中に迷い込み、私は死に続けているのかも知れない。


 そして、こうして目を覚ましたのが二十一回目だった。


「……さて」


 今回も私は布団から抜け出して、朝食を食べる前に出勤するために着替えをする。


「今回は趣向を変えてみよう」


 私はそう思い立ち、着替えるのを後回しにして、これまでのサイクルとは異なる朝食を食べることにした。


 これまではパン、牛乳、目玉焼きと簡単なものにしていたのを今回は思い切って、朝からステーキを食べることにした。


 そういえば昔モーニングステーキなどというあだ名を付けられたキャラがいたな、などと思いながら、軽くステーキを平らげてから着替えをした。


 歯を磨き、軽く身支度を調えて、スーツは堅苦しいと勤め先では言われて禁止されているのでオフィスカジュアルに着替えをし終えた段階で、


「……今回は会社をさぼるのかもありかもしれない」


 私にとって会社に行くことが鬼門であったのかもしれない。


 だから、二十一回目などという事態に陥っているのではないか。


 会社に辿り着く前に、終わってしまっているので、会社に行くことを止めればどうにかなるかもしれない。


 私、なんていう会社に通っていたっけ?


 二十一回目だからか、記憶が曖昧になっていた。


 それに、オフィスカジュアルでって言っていたのは誰だったっけ?


「……今日は日が悪い。さぼろう、さぼろう」


 私はオフィスカジュアルを脱いで、下着姿になった。


 何の因果か、こうなってしまった以上は、変化が必要なのかも知れない。


 ちょっとした変化があれば、この輪廻から解き放たれるのかも知れない。


「……今は、覚めない夢の中にいるのかもしれない」


 覚める事がないのならば、覚めるように仕向けなければならない。


 それが今の私にできる精一杯ではないのか。


「今日は寝て過ごそう」


 私は下着姿のまま、布団へと再び潜り込んだ。


 布団にはまだ私の温もりが残っていた。


 あれ?


 今は何月だったかな。


 冬ならば、温もりなどすぐに冷めてしまうし、夏ならばジメッとしたままであるはずだ。


 それなのに、まだ布団が温い。


 ぬくいというよりも熱い。


 まるで茹でられているような、そんな熱さだ。


 ちょっとおかしくない?


 今、何月だったか?


 私の感覚がおかしくなっているのかもしれない。


 確認しなくては。


 部屋のどこかにカレンダーがあったはずだ。


 布団に入ったまま、部屋のあちこちに視線を走らせるも、カレンダーはどこにもかかってはいなかった。


「……眠い。時間はまだあるし、起きてから探せばいいか……」


 睡魔に誘われすぎているからなのか、私は瞼を開けたままにしておく事さえできず、その重さに耐えきれなくなって瞼を閉じた。


 あれ?


 なんでこんなに眠いのだろうか。


 今が夜だから?


 でも、おかしい。


 私は朝だったから起きたはず。


 そういえば、今日は時計をまだ見ていない。


 もしかしたら、朝だと勘違いしていただけで、まだ夜なのかもしれない。


 今が何時なのか確かめなければ。


 急に気になって重くて仕方がない瞼をこじ開けた。


「……?」


 しかし、目の前に広がっている光景は私の部屋ではなかった。


 黒い空に、じめっとした生暖かい空気が流れている、ここがどこかも分からない場所だった。


 しかも、私は布団などには寝ていなくて、まるで血であるかのようなぬめり気のあるどす黒い池とも沼とも分からない水の上に裸で浮いていた。


「……どこ、ここは?」


 視線を彷徨わせると、人の形をしたものが周囲にぷかぷかと浮いているのが見える。


 あれは、頭?


 あれは、足?


 あれは、胴体?


 生きているのか、死んでいるのかも分からない、人らしきものが周囲に数多存在していた。


 なんでこの人達は浮いているの?


 そもそも、私はなんでここにいるの?


 部屋で寝ていたはずなのに、どうしてここにいるの?


 夢?


 そう、これは夢なのかも知れない。


 悪い夢を見ているだけなのかもしれない。


 会社に行く途中で、事故か何かに遭遇して死んだと思って目を開けると、自分の部屋で寝ているという事を二十一回も繰り返していた。


 それが夢なんだ。


 死んだと思ったら生き返っていることが夢そのものなんだ。


「ここは夢ではありません」


 女の声がどこからともなく響く。


 心が安らぐような澄んだ声だった。


「知らなくて当然でしょうが、ここは等活地獄の一つ瓮熟処おうじゅくしょです。殺生を行った者が落ちる地獄とされています。その地獄に落ちた者は、獄卒ごくそつによって鉄の瓶に入れられて煮られる、とされています」


「……意味が分かりません」


 私は素直にそう答えた。


 地獄という単語以外の言葉の意味が全然理解できなかった。


 それに何故地獄などと言ったのだろうか、声の主は。


「分からなくて当然です。私はただ獄卒から依頼を受けただけです。ここに迷い込んだ生きた人間がいるようなので探して欲しい、と。そこであなたに出会ったという訳です」


「えっと、やはり意味が分かりません」


 日本語であるのに、まるで外国語を話されているようで意味が全然わからなかった。


 私がバカだから分からないだけなのだろうか。


「では、質問します。あなたは何度死を体感しましたか?」


「覚えているだけでも二十一回です。もしかしたら、もっとかもしれません」


 死んだと思ったら、部屋で目を覚ましたのは記憶にあるだけで二十一回のはずだ。


「それはここが地獄であるからと言えます。実際に死んでいるのですが、ここ地獄であるが故に再生して生き返ってを繰り返していたのですね。心中お察しします」


「……地獄? ここが?」


 その単語でスッと了解できた。


 二十一回も死んだのは夢ではなく、地獄に来てしまったせいだと。


 それならば納得はできる。


 地獄に来てしまったというのを受け入れなければ。


「それでは、現世へとあなたを導きます。身体に地獄の臭いが染みついてしまっているかも知れませんが」


「……地獄の臭いって何?」


「独特の臭いですからね。現世に戻った時に気になってしまうかも知れません。現世に戻る前にあなたの名前と職業を教えてはもらえないでしょうか?」


「私は赤目美宇あかめ みう。職業は……会社員のはずだけど……」


 あれ?


 私、どこの会社に勤めていたっけ?


 全く思い出せない、会社名とか、勤務先がどこにあったのかが。


「名前はあっていると思いますが、職業が違うのではないでしょうか。誰かに取り憑かれてしまったが故に、地獄まで生きたまま来てしまったのかも知れませんね」


 あの天井は私ではない誰かの部屋の天井で安心した。


 最初は違和感があったのは、自分の家の天井ではなかったからか。


「さて、現世へと戻りましょうか」


 その声と共に手が天から降りてきた。


 それはまるで話に聞いた事がある、蜘蛛の糸であるかのように。


 私は手を伸ばして、その手を掴んだ。


「あなたの名前を教えてはもらえませんか?」


 天から降りてきた手が私を引き上げようとしている。


「私は稲荷原流香いなはら るか。一介の巫女をしています」


「……稲荷原流香。覚えておくわね」


 忘れてしまうかも知れないけど、その名前を今は脳に焼き付けておこうと思った……



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