第5話 にいにいとねえねえ

 彩夢がまだ5歳だったころ、彼女の10年上の兄である斉人(せいと)がテクテクと歩く彩夢の頭を優しく撫でた。


「お前は本当にかわいいよなぁぁ……本当に何でこんなに可愛いんだろうか……可愛い……可愛すぎる。食べちゃいたいくらいだ」


 舌なめずりをしている兄は傍から見れば軽い狂気を覚えるが当然幼い彩夢はそんなことに気が付くはずがなく無邪気に抱き着いた。斉人の全身に甘々な快楽と下卑た電流が走る。


「お兄ちゃんあそぼ!!!」


「おお、遊ぼうかいくらでも遊ぼう。それで今日はどうする?プールで遊ぶ?プロレスごっこ?それともお嬢様ごっこでもするか?子供用のヒール買っといたぞ」


「えっとね今日はお姉ちゃんと一緒におままごとするって約束してたの。だからお兄ちゃんも一緒にあそぼ!!!」


 彩夢には兄である斉人のさらに1つ上の姉に遊彩がいる。


「ええ……姉ちゃんとも遊ぶの?そんなことよりお兄ちゃんと一緒に……」


 この瞬間、斉人の脳裏に昨日見た少女漫画の記憶がよみがえった。ロリの妹と年上の姉がにゃんにゃんする少しアダルトなものだ。


「分かった。ここは俺が潔くひこう」


「やったーお兄ちゃんは弟の役ね」


 楽しそうに万歳をする彩夢の脇を抱いて斉人は妹の目を真っ直ぐに見つめた。真珠のように澄んでいる瞳だ。


「ああ、弟の役でもなんでもしよう。だが一つ条件がある」


「条件?なに?」


「お前はこれから俺のことをにいにい、姉ちゃんのことをねえねえと呼ぶんだ。いいか?気負わなくていい、とにかくまずはそう読んでくれたら……」


「にいにい!!!!!!!」


 にいにいはグッと親指を立てた。


「グッド!!!!お前はやっぱり素直可愛いよ!!!!まさしく天使の女神!!!!!」



 また別の日、にいにいはお風呂の中で妹の髪を撫でまわしていた。


「いいか彩夢、最近の世間は個性を重視している……だが個性を出すというのはとても難しいことなんだ、にいにいもねえねえも随分と苦労をした。だが簡単に個性を出す方法があると言えばどう思う?」


「それよりなんでにいにいボロボロなの?」


 身体にいくつもあざを作り、下半身には妙なものが付けられていた。男の子を覆っているそれの周りには生々しいひっかき傷がある。


「気にするな、ねえねえとお前を取り合っただけ……名誉の負傷ってやつだ。それよりにいにいの言うことをよく聞きなさい」


「うん!!」


「個性と言うのはつまり言葉から現れる、普段から使ってる言葉遣いがその人の人格を作ると言っても過言ではないだろう」


 彩夢は不思議そうに首を傾げた。


「でもにいにいとかねえねえと同じような喋り方してる人いっぱいいるよ」


「にいにいとねえねえは成熟した個性を持ってるからな」


「ゆう君とかっちゃんも同じようだけど性格違うよ」


「俺はその子達のことを知らないが例外はどこにでもある……とにかく彩夢、お前はこれから敬語を使うんだ」


「敬語って何?」


「お嬢様キャラがよく使う……もとい日本でもっとも品格のある言葉遣いだ。もうこれさえ使っていれば何処に出ても恥ずかしくない、大人の仲間入りだ」


「ふーん……それってどうやって使うの?」


「ふ、安心しろ。基本は語尾に『です』『ます』を使えばいい、後でたくさん参考文献を貸してやるからそれを読みまくりなさい、読めない漢字があったら教えてあげるからにいにいを頼りなさい、ねえねえには……」


 ガラッと浴室のドアが開き、あっという間もなく飛び蹴りが斉人の頬に突き刺さった。

「ギャバッ!!!」


「また妹に何教えてんのよ歪んだオタク変態!!!!!!」


「ねえねえカッコいい!!!」

 




 豚耳豚鼻を粋に着こなし豚の尻尾を尻で挟んでいる上品そうな少女は懐かしそうに語った。


「まあそんな感じです。それから私はにいにいの少女漫画を読み漁り、ラブコメを読み漁り、純文学も読み漁り、ねえねえ秘蔵R18の本も読み漁り、百合や薔薇の別な意味を知ってふと気づいたときにはいつもいつでも敬語で話すようになっていたんです。小学校の頃とかは変とか言われたこともあったんですけど今では結構気に入ってるんですよ」


「お、思った以上に自由奔放な家庭で育ったんだな……というか兄も姉も大丈夫か?」


「二人とも立派な兄姉ですよ。確かに今思えば少々変態チックな趣味と褒められない行動力を持っていたことは認めます。ですがそれ以外はいたって素晴らしいんですよ。にいにいは今やオリンピック出場も噂されるアスリート、ねえねえは弁護士です」


(マジかよ)


「もちろん肩書だけが立派な訳じゃありません、私は二人の事を本当に尊敬してます。趣味は趣味、人間性は人間性ってことですよ」


 心の底から満足しているような顔を見て雅也はこの子はマジで言ってるんだなと確信をした。


(まあ彩夢が真っ当な家庭で育ったとは思ってなかったけど……うちの姉ちゃんといい勝負だな。いや、流石に姉ちゃんレベルはないと信じたいが)


「さて、それじゃあ小休止はこれで終了です」


「ん?」


 にわかに彩夢の纏っているオーラが引き締まった。


「さあ雅也さん特訓再開ですよ!!!豚です!!!!豚になるんです!!!!真の豚野郎になる特訓です!!!!!!!!!!!」


「ちょ、お前切り替え自由自在かよ!!??」


「さあ、さっそく四つん這いになってください!!!私の持ち得る限りの全てを注ぎ込んで雅也さんを豚野郎にしてみせます!!!」


(あれ?これって暴言?)


「ふふふ、私の手にかかればどんなキャラでも着こなすスーパーコスプレイヤーに変身ですよ!!!」


「一応聞くけど僕に拒否権は?」


「もちろんあります!!!!!」


(…………あるんだ)


 優しさに感動してしまった。


 

 体感一時間後、豚になった雅也を見ながら綺麗な涙を流す彩夢がいた。


「才能ありますよ」


「絶妙に嬉しくない」


 二人の仲は歪に深まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る