陥穽 1話

アイク視点


 

 副船長になったとは言っても、やる事はあんまり変わらない。いや、本来なら細々とした雑用をする必要はないはずなのだが、俺自身まだ他にも覚えておきたい事もある。現場の知識が不十分な状態で上に立っても、頓珍漢な指示を出してしまうかもしれん。




 そのあたりは補佐に任せればいいとは言われているけどな。はいそうですがでは仕事にならんだろうと考えてる。




 「そういう割には旦那は結構なんでも出来ちまうからな。本来なら一から教えにゃならんと思っていたのに、ロープワークも最初から大体できちまったしな。」




 「あぁ、あの手の技術は昔趣味で覚えたことがあったからな。」




 教育係だったドーベルと雑談しながらも手元は止まらず仕事は続ける。水兵の仕事を手伝ったり、オールを漕いだりする分にはそれほど難しい話ではないし、船に乗っている奴だったら誰でも教えてやれる位の知識も技術も持っているだろう。




 だが航海士という連中の代わりを務めるのは、この世界では難しい。令和日本で海事系の大学で学ぶようにはいかない。



 この世界は羅針盤もなければ北極星もない。




 その分航海士という職種はその特殊性を増し、太陽の位置と星座の位置、大陸の位置と見え方、そして大体の時間というアバウトな情報を元に大体の正確な自船の位置と方角を割り出す、完全にそれに特化した専門職と化している。




 当然正確な自船の位置とは言っても、地球の中世時代にすら劣る精度でしかわからないしその分、長期間の航行になるほどリスクが高くなる。




 殆ど経験と勘を頼りに自船の位置を割り出しているようなもんだ。この世界の海図もかなりいい加減だしな。時折迷子になって遭難する船が出るのも無理はない。




 経験豊富な船乗りの中でなんとなく今の位置が解る奴が航海士になる、という何ともあやふやな存在だったりするのだ。基本的に航路が陸沿いにならざるを得ないのも納得できる話だな。




 とは言え必要が迫ればそれなりに対応してしまうのが人間の恐ろしい所だろう。この何となくという感覚はそれほど馬鹿にしたものでもないらしく、今もその何となくというあやふやなもので俺に話しかけてきた初老の海兵がいる。




 「副長さんよ、何となくだけどよピリピリしてきた気がする。気のせいかきな臭い気もするしな。気を張っていた方がいいぜ。」




 言われて確かに、潮の匂いに交じって犬が気が付くかどうかといったレベルで極々僅かだが、物が燃える匂いがする。




 船内で誰かが炊事をしている可能性もなくはないが、匂って来るのは海の方角からで間違いない。よくこの微かなにおいに気が付けるものだ。




 「ワッチ!左舷方向、煙挙がっていないか?少し注意しておいてくれ!」




 マストの上に作られている見張り台に上がっている2人のワッチに声を掛けると程なくして左舷で戦闘中の船の発見の報告が上がる。



 それ程間をおかずに他の船も状況を把握したらしく旗艦から信号旗を通じて命令が下る。




 「頭!信号旗です。周囲の警戒と左舷へ転舵!続いて信号旗!4番船先行せよ!」




 「取り舵!ワッチの数を増やせ。ピッチ上げろ!!フタバン!アイク、おめえは側に来い。」




 応!と一声号令かけて、急な転舵の最中に何人かがマストを登っていく。危ないし本来なら転舵が終わってから登るべきだろうけど、その辺は慣れているのか、そこまで安全に意識がないのか。




 「旦那、どうだ?何かわかるか?」




 「あぁ、俺も言われて気が付いたけどな。微かだけど船が燃えている匂いがする。左舷方向からだな。」




 「全く大したもんだ。先行の命令を受けたんだ、いつも通り切り込めって事だろうよ。おめえさんはさっさと自分の隣に補佐呼んで、すり合わせしとけ。」




 「解った爺さん。レイツ!こっちに来てくれ。」




 「あいよ!」




 呼ばれるのを予想していたのか、すぐ側で返事が聞こえる。傍に来た彼に手短に俺が切り込んだ後を頼むと、ついでに船長の側を離れないように言っておく。




 「旦那の代わりにここにいるからな、言われんでも船長の隣にいるさ。



 殊更そんなことを言い出すあたり、何かあったのか?」




 レイツの当然の質問に、要領を得ない返事を返す。




 「まぁな。いつも通りの手はずだとしても、ちゃんと伝えておこうと思ってな。



 それに、なんだか少し嫌な予感がする。ここ最近、海賊被害が活発化してから襲われて抵抗する商船はほとんどいねぇ。奴らだって鬼じゃねぇからな。素直に降伏して荷を引き渡すなら殺しはしねぇし、船を焼くなんざあり得ねぇ。」




 そういうと少しだけ考えた後レイツは口を開く。




 「全部が全部そうじゃねぇってだけの事じゃないですかい?荷を渡しちまったら後がないって命懸けで抵抗する奴もいるでしょうし、無抵抗だからって容赦しない奴も少なくない。」




 「それでもさ、単純に相手を沈めるのが目的の戦闘じゃないんだ。荷を奪うならボーディングを掛ける。抵抗したなら皆殺しだ。死んだ奴らに船は必要ない。船毎頂いちまえば荷を運び出す手間も省ける。戦力も増やせる。



 態々燃やすか?」




 「燃やされているのが海賊船なら?」




 言われて意表を突かれてつい噴き出す。そうか、海賊船が必ず優位に立つとは限らないし、火矢を受けて燃やされているのが商船とは限らないか。




 「あぁ、そうか。その可能性もないわけじゃないんだな。駄目だな、どうもやっぱり考えんな苦手だな。



 悪い、変な事を言っちまったな。気にせず気張ってくれや。」




 レイツはニヤ付きながらお互い慣れない真似はよしときやしょうやと言うと船長の側に付く。船首の方から兵長になったマーカスの怒鳴り声が聞こえてくる。状況によっては一隻目に彼らが乗り込むこともあるからな。




 基本的には俺は大きくて敵兵がたくさん乗っている方に突っ込むことになっている。船が大きい方が、俺がうっかりやらかした時に沈みにくいという利点もある。



 先行をゆだねられた俺らの船が先頭を行く形で自然と艦形が纏まり始める。




 「前方、商船の旗!帆が燃えています!商船に2隻接舷!旗を上げていません、海賊!艤装から見ておそらくアイルグリス海軍!」




 「連絡旗揚げい。無旗船2隻接舷、推定南1。周囲を警戒されたし。」




 もしこれが、軍船が旗を降ろしただけの官製海賊船であった場合、沈められた等の理由でもない限り、たった2隻で動くことはあり得ない。つまり彼らが既に不幸な目にあったのでなければ、目の前の2隻は囮という事になるのだろう。




 直ぐに旗艦の信号旗が上がり、周辺の警戒の為か艦形が旗艦を中心に円形に広がる。索敵を優先するのなら鶴翼で拡げたほうがいいのではないかと思うけど、何処から襲撃を受けても即時に対応できるようにこの陣形を取るのだと言われた。




 この手の戦術はこの世界も色々と試行錯誤の途中だろうし、その時に使えるテクノロジーにも影響を受けるだろうから、知識の考えも足りない俺の頭じゃ意見を出せるはずもない。



 勉強中の身でもあるから、何かにつけて先生役の船長に指をくわえて質問させてもらっているけどな。



 彼方も此方を目視したようで商船に接舷していた2隻がフックを切り離して離脱を開始する。



 途端に商船の燃え方が派手になり、黒煙がすごい勢いで巻き上がる。油をまいたか。だが何の為に。普通に考えれば何かの合図だが、既にお互いが視認できる距離に詰めている。今更見えない範囲にいる味方を呼び寄せてもこの2隻は間に合わない。




 「周辺警戒!信号旗、包囲の可能性、揚げぃ!アイク、チャンスがあれば自分で判断して切り込め!拿捕は考えんでいい、出来るだけ早く沈めて戻ってこい!」




 帰って来いったって、どうやって?派手にやっていいとはローズにもマリアにも言われてないからな、海の上を走るのは却下だよな。




 船長がワッチの報告を待つまでもなく矢継ぎ早に指示を出す。包囲の可能性?告げられて本能的に索敵術でピンを打つように波を打つ。帰ってきた反応に思わずうなり声が出る。



 前方の2隻の後方に11隻の船が大きく2隻を包囲するように展開している。これはこのまま前方の2隻が逃げれば、それを追いかけた俺たちがそのまま包囲される形になるんじゃないかな?



 船長に警告を出したいのは山々だけど、まぁ船長もきな臭いという事は気が付いているようだし、こちとら何故分かったかなんか説明のしようがない。2倍強の敵に包囲されてどこまで戦えるか。




 普通に考えればラムもボーディングも仕掛けないで徹底的にバリスタや弓で応戦して、敵船と距離を取りつつ撤退というのが妥当なんだろうけど、包囲に気が付いてから逃げを打つまでに手間取れば何隻かは食われる。




 司令官がどう判断するかだが、どうあれこの船は生き残らせたい。この際俺自身が死なないとか負けないとかはどうでも良い話だ。正直俺にとっては、こういう場面でどうとでもなる俺自身についてそれほど興味がない。失われてしまうものは須らく儚く貴重なものなのだよ。




 刻一刻と最悪な状況に進行しつつある現状を、どこか他人事の様に見ている自分に気が付く。失う事に対して自然と心が備え始めたのだろう。今までの様に軽微の被害で終わる可能性は低いだろうな。




 「前方2隻、商船離脱後後退。推定全力後退!奴らケツまくって逃げにかかってやがる!」




 「旗艦より信号旗!包囲警戒、深追いするな。右舷へ転舵。」




 流石にこちらの提督様はそれなりに経験を積んでいるだけあって、目の前に置かれた餌に単純に食いつくつもりは無いらしい。と感心したのもつかの間。




 「更に信号旗!4番船は前方2隻を追え、その後は自由にやれ、だとよ。」




 つまり4番船を奴らに生贄として差し出したという事かな?




 「俺たちは突出しすぎているからな、今更右に転舵しても包囲網に掴まっちまうし、足が落ちれば袋叩きだ。此方は風下で一度足を落としちまうと取り戻すのに手間取るからな。このまま突っ切って抜けちまった方がいい。



 しかしそうなると旗艦含めた後ろの奴がどこまで逃げ切れるかどうか微妙だな。



 レイツ、下の連中の指揮を頼む。どこまで足が出せるかが最初の勝負だ。海兵も漕ぎ手に使えるだけ使え。へばった奴から交代させろ。



 シバン!全力!速度上げぇ。」




 船長の解説を聞き、自分の思い違いに胸を痛める



 逆か。今更このポイントで転舵すれば足が落ちて下手すりゃ横っ腹にラムを食らう。まだ包囲網の隙間が大きいうちに突っ切れば被害は最小限で済むって事だな。




 「どうするんだよ、爺さんよ」




 「指揮には従うわな。一度突っ切った後は自由にしていいんだからよ。本体を囮にして各個撃破と行こうかい。過重労働になるが覚悟は出来てんだろうな?エイリークの旦那よ?」




 「あぁ?俺はアイクだ。そんなやべぇ奴じゃねぇよ。」




 「安心しろや、この場で聞いてるやつはいねぇよ。俺はなガキの頃おめえさんをこの目で見てるんだよ。



 ラーゼント商会のマルクがあんたに合う20年くらい前になるな。あの時の事は忘れねぇし忘れらんねぇ。」




 「……、その時エイリークは爺さんの敵だったのか?」




 「はッ!旦那にゃ敵も味方もねぇだろうに、あの場にいた奴らは俺らみたいなガキを除けばみんな死んじまったよ。



 まぁ、そのおかげで俺は今も生きていられるんだからな。そういう意味じゃ旦那は命の恩人ではある。」




 「そうか、だが俺はエイリークじゃねぇ。アイクなんでな。元々こっちが本名だから間違っちゃいねぇ。



 エイリークじゃねぇから海の上は走れねぇが過重労働の一つや二つ、こなして見せるさ。



 だからうまく使ってくれや。」




 俺の言葉を受けて船長は豪快に笑いながら応よと答える。




 この態度から察するに、多分初見で俺の正体を見破っていたんだろうな。態々周りに誰も居ない状況を作り出してからのネタバラシ。



 この状況をひっくり返す為に俺を最大限有効活用しようって腹だな。ネタバラシは餌みたいなもんか?



 食えない爺さんだ。






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