幕間 捕らぬ狸の皮算用 触らぬ神に祟りなし
三人称視点です。
直属の上司との打ち合わせは普通、心楽しいものじゃない。ましてや思わしくない報告をしなくてはならない時は尚更だ。ギンガーは司令官との打ち合わせを終えた後、新たに発生した幾つかの問題に対処する為に自分の事務所へと足早に戻る。
「とは言ってもな。海賊行動中の艦隊とそう簡単に連絡なんぞとれんしな。最悪あいつら抜きで事を構えにゃならんかもしれん。」
先程の上司との打ち合わせで、ルーフェスへの侵攻は決定したものの、その手段はイチかバチかといっても過言では無い物だ。一度に大規模な集結を図るのではなく、通常の警備活動に紛らわせて周辺に配置してあるほぼすべての海軍の船を警備船も含めて指定海域に集結させ、港に戻らずそのままルーフェスに攻め入る。
此方の防御を考えない、乾坤一擲の作戦といってもいい。陸軍の兵員輸送にまで手が回らない為、そこは民間の商船を人員ごと一時的に徴発して運ばせるしかないだろう。
侵攻に動員した船を失う事になれば当然、長期間にわたりアイルグリスは丸裸になる。それどころか交易路を保持することも難しくなり、今以上の窮状に陥るだろう。
絶対に勝てるとは言い切れないが自分もジャックも有能で、経験豊富な艦隊司令官だ。万が一のことがあったとしても、艦隊に致命的な損害が出る前に撤退することも出来るだろう。
ルーフェスに常時駐留している船はおそらく4~50隻といったところか。海賊対策で方々に艦隊を回している今のルーフェスならもう少し少ないかもしれない。両国の戦船の数を単純に比較するならば、アイルグリスもランシスもたいして変わらない。
ここ最近は多少ランシスの船が増えてきているかもしれないが、こちらの行動を察知されない内に艦隊を集結して決戦を挑めば、ランシスは兵力を集結させる事が出来ずに局所的ではあるが、戦力で大きく突き放す事が出来るだろう。
ルーフェスはランシスの港の中では内海と外海の丁度中間地点にあたる港町で、内海の入り口にあたる港だ。一度、ルーフェスに常駐している船を撃破してしまえば、後は各個撃破する事が出来るだろう。
ウェイグルスとルーフェスを抑えれば内海への入り口である海域全てを制する事も出来る。ランシスの海軍は外海と内海の部隊で連携を取れなくなるだろう。
ただ、それを演出するためには準備しなくてはいけないことが多すぎる。事を起こす際には一度も港に戻らず、連絡を取らずに完全な連携を取らなくてはならないのだ。事前の打ち合わせは綿密にせねばならないし、可能な限り作戦に参加する船は数をそろえたい。
事務所に戻ってから秘書を呼び羊皮紙を持ってこさせて指示書を書き始める。
「もっと早くジャックの野郎の腹の内が読めてりゃな。内海に回した8隻はちと痛いな。」
当初の予定通りに内海の船を荒らして、ルーフェスに打撃を与えつつ香辛料の産地を探るには手が足りな過ぎた。アイルグリスが免状をあたえた海賊共は皆、エイリークの生まれ変わりを恐れて、内海でも東の方に引っ込んでしまったのだ。
それも無理は無いとギンガーは考えるが。基本的に海賊はそれほど多くの艦隊を組まない。大勢で獲物を屠るなら安全ではあるがその分実入りが少なくなる。
だが一隻では戦力としては心ともないし、商船の中には艦隊を組んで行動している奴らもいるのだ。船に元海兵等を雇って十分な戦力が積んである場合もある。
獲物に食いついた瞬間、噛み千切られるのが自分の腕という落ちも少なくないのだ。
商船の艦隊に食らいつくときは兎も角、大抵は一隻で行動していることの多い商船を狙い2~3隻で囲んで2隻で切り込み、一隻は周囲で警戒というパターンが多い。それ以上に多いと割が合わないのだ。そして2~3隻という数は軍の艦隊から見ると、丁度良い程度の獲物になる。
軍の艦隊の船の数は最低でも4隻で構成されているのだから。
このままでは当初の作戦を遂行できないと考えたギンガーは、止むを得ず外海に配置していた官製の海賊を回すことにしたのだがそれが裏目に出た。彼らと次に連絡が取れるとしたら、補給の為に港に戻るタイミングしかない。
予定通り行動しているのなら、今頃は既に内海で暴れまわっている頃か。次に補給に入るのはおそらく2週間後。
この世界、鳥を利用した通信技術は確立されておらず、緊急時の遠方への連絡手段は狼煙くらいしかない。当然狼煙ではある程度海岸線を離れて活動する船との連絡を取る事は不可能だ。
もし伝書鳩に準ずる技術が確立されていたとしても、移動する鳩舎をとらえて連絡を取るいわゆる「移動鳩」の域まで達する事が出来る可能性は略ないだろう。つまりこの世界で移動中の船と連絡が取れるようになるにはまだまだ先の話という事になる。
どのみちジャックから聞き出した腹積もりでは、事を起こすまではまだ時間がある。内海に回した8隻が無事なら次の補給の際には連絡が取れるだろう。予定では周辺に配備している軍、民問わず船のほぼすべてを投入する。軍船だけでも130隻を超える事になるだろう。
予想される戦力比は約三倍だ。送り込む陸軍兵力も民間船の徴発の具合にもよるが2~3千は送り込めるはずだと考えている。一度ルーフェスを抑えてしまえば、あちら側の民間船を人員ごと確保して兵員輸送に使えばいい。
ルーフェスを橋頭保として制海権を確保し、ノーマン公の領地を丸ごと抑える事が出来れば、ランシスの王都リィーフィスまではさほど距離もない。丁度喉元に刃物を突き付ける形になる。
後はランシスの反体制派とうまく連携できればランシスの南西と北側を抑える事が出来るだろう。
万が一そこまでうまくいけば、ランシスの半分は食えるかもしれない。ルーフェスとの海戦に勝てれば、そしてその他がすべてうまく回れば。
いかにエイリークの生まれ変わりが化物の様に強かろうと、アイクはただ一人だし、彼の乗り込んでいる船も一隻しかないのだ。他の船を全て沈めて距離を取り強弓で打ち込むか火矢を浴びせ続ければいずれ力尽きるだろう。
どれだけ強くとも人の身なのだから接舷しなければその強さを発揮することも出来ないし、船が燃えてしまえばそう時間はかからずに海の藻屑になるだけだ。
なにも真面に相手をする必要はない。猛獣には猛獣に相応しい待遇というものがあるはずだ。
恐らく確実に、海戦には勝てる。それだけの準備をこれからするのだ。たった一人を屠る為の準備を。後の事は運次第か。
そうは思うのだが、どうにも嫌な予感が止まらない。海賊だった頃のヤバい獲物にかみついた瞬間に感じるあの感覚。獲物だと信じて切り込んでいった船に満載された海兵を見た瞬間の感覚。そんなものに似た何かを感じる。
その予感を自身が怖気づいたのかと断じたギンガーは鼻で笑って気持ちを切り替える。
「まぁ、計画の段階で失敗する作戦は無いからな。ここで考えるだけで実戦が上手くいくなら俺は添え物でも問題はねぇ。上手く言った場合の策なんざその時に考えりゃいいか。」
そう独り言ちると秘書に自身の右腕ともいえる部下を呼び出させる。
「考えるべきは失敗した時の事だな。さて、奴には気の毒だが、さっき俺が味わった嫌な時間を奴にも味わってもらうか。
こういうのは決まって上から下に流れるもんだしな。」
60を過ぎた割には愛嬌のある、いたずらっ子の様な表情を浮かべていくつかの指示書を書き上げながら、これも海賊上がりの有能な自分の右腕が訪室するのを待つ。
彼の事務所を訪れた右腕からの緊急報告を受けて、ジャックの部屋で充分に噛み潰したはずの苦虫を更に何十匹も噛み潰す羽目になったのは、それから数分後の事だった。
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