幕間 港町 ウェイグルスの一角で

三人称視点です



 灯り取りの窓を開いていても薄暗い部屋の中で、いつもなら費用など対して気にしないでつけっぱなしにしていたランプの火をメイド達がつける。



 男は忌々しそうにメイド達に退出を命じると向かい側に座っている老境に入った男に向き合う。




 「ようジャック、どうにもご機嫌斜めじゃねぇか。やっぱりあんまり良く無さそうだな。」




 ジャックと呼ばれた30代の男は苦虫を噛み潰したような顔をしてまぁなと頷く。




 「それで、ギンガー老。どうなんだ?」




 何もかもを省略したかのようなジャックの問いかけにギンガーはジャックに負けず劣らず苦虫を噛み潰して表情で応える。




 「駄目か。」




 「もともと雲をつかむような話だったからな。その上こちらの被害も馬鹿にならねぇ。今じゃ内海の奴らが怯えて使えなくなってな。外海から子飼いを回さにゃならなくなった。」




 その言葉を聞いて更にジャックが顔を歪ませる。内海で外海の、海軍が旗を降ろしただけの私掠船を使うのはリスクが高すぎる。



 外海であれば自国の制海権内で他国の商船を襲うだけの簡単な仕事だが、内海は各国の勢力範囲が重なっており、一つ間違えれば直ぐに海戦が始まってもおかしくない。内海で直接軍船が海賊行為を行うのは出来れば避けたい。




 「海賊共が、何を怯えるのか。あ奴らなぞ免状を出せば後は喜んで暴れるのが本文だろうに。」




 嘲りを含めた彼の言葉に、海賊出身であるギンガーは慣れたように腹の内を隠して内心で舌を出し、苦笑を浮かべて相槌をうつ。




 「まぁな、免状一枚で大手を振って海賊行為で稼げるんだからな。都合が悪くなったからといって逃げ出すことは許されんが、大海原にある奴らの足を止めるのは簡単じゃない。



 沈めてやらにゃ止まりもせんだろうな。」




 「戦場の幽鬼エイリークの生まれ変わり、アイクか。」




 今までで一番歪んだ顔でその名前をつぶやくとギンガーの顔もまた歪んだ。ジャックは少しの間、天井に目をやり考え込む。ブツブツと彼の思考から洩れてきた単語が不明瞭な形で彼の口から流れ出す。




 ギンガーはジャックの口から時折漏れ出す単語を聞き流している風を装って聞き耳を立てる。しかけるか。海戦。アイクを始末すれば。無理か。




 考えが堂々巡りを起こしているようで、ここ数日似たような結論しか出ていない。王都の上の方ではランシスに対して何度か武力衝突をちらつかせて、交渉を持ちかけたようだが一商人のやる事などこちらはあずかり知らぬこととけんもほろろに相手にされなかったようだ。



 実際にランシスの方でも何が起こっているのか詳細を把握はしていないのだが、彼らにそれが解るはずもない。ローズは混乱を作る為にあえて自国に報告をしていない。今回はそれがうまく機能しているのだろう。






 現在、この周辺で何が起こっているのかおぼろげにでも理解できているのは、仕掛け人を除けばダニエルとアモル子爵、公爵家当主ぐらいの物であろう。仕掛け人側にいるはずのアイクですら、よくわかっていないのだから。



 と、いうか何でアイクが解っていないんだという突込み待ちの状態である。





 考え込んでしまったジャックの様子を黙ってみていたギンガーだったが、このまま考えていても埒が明かないのはジャックとて理解しているはず。



 ジャックも上から色々とせっつかれているのだろうが自分としては現状報告をする以上の事は出来ない。既にリスクをとって外海の船を回しているのだから。自分の権限で打てるだけの策はうった。




 「ルーフェスの方からは悲鳴のような報告が続いている。ウェイグルスにある商会からも、山の方からもな。すでにうちの方にある小規模な商会は幾つか潰れる所も出始めている。



 王都からは早急に香辛料の出元を特定せよとせっつかれているが、最近では物言いが変わってきている。どうも上の連中は本気で一戦をやらかすつもりのようだ。」




 香辛料の出元を探る為に、免状を出している海賊共にランシスの商船を襲えと命じたのは良いが、調子が良かったのは最初の内だけで直ぐにエイリークの生まれ変わりとやらが内海で暴れ始め、今では内海で活動していた海賊は臆病風に吹かれたのか、皆奥の方に引っ込んでしまって出てこない。




 もちろん、海だけではなく陸の方でも動いているようだという話はギンガーの耳にも入ってはいるが、うまくいったという噂は終ぞ入ってこない。香辛料だけではない。



 アイルグリスの山岳部でとれる羊毛やそれから作られた紡績製品や乳製品、肉などは彼らにとっては重要な貿易品であるのだが、それらすべてがルーフェスから今までの相場よりも3割近く安価な品物が流れてきた影響で、全く売れなくなった。鉄なぞは今まで取引のあったエンデリングからの買い入れが一切なくなり、国内では在庫が溢れ鉱山の操業と製鉄所の運営は止まってしまっている。



 まぁ製鉄所とは言っても個人単位で鉱石を溶かして鉄を作るこの世界においては標準的な製鉄所だが。




 今やアイルグリスの者たちにとって、ルーフェスは憎んでも憎み切れない商売敵なのだ。おそらくはその中心にいるだろう元凶は正式に商会を開いているわけではないらしいという事と、ルーフェス側ではラーゼント商会が中心になって取引がまとめられているという話までは彼らもつかんでいる。




 一体あれだけの商品をあの価格でどうやって手に入れているのか。彼らが取り扱う香辛料の鮮度も今まで見たことが無いほどに新鮮なのだ。当然彼らはランシスが香辛料の生産に成功した可能性も考え、既にルーフェスを中心に人をやり生産地を探らせているが、一向に手掛かりは得られない。



 今までアイルグリスも何度も挑戦しことごとく失敗している試みだが、もし内海での別ルートが見つからなければ、後は可能性はかなり低いが生産に成功したと考える他なくなる。






 だが、農作物の生産地などどう隠そうが隠しきれるものではない。如何にも巧妙に隠している為か出元と思われる屋敷を終日監視させても、どこから品物が入ってきているのか全然把握できていない。まぁいずれは、香辛料の産地は特定できるだろうとは彼らも、王都の上層部も考えている。




 ただ彼らが仕掛けてきているのは香辛料だけではないのだ。




 普通、産業を興し、産品を市場に流して利益を得るという事はこんなに急速にできる事ではない。例えリスクを取り初期投資を大きくとって羊毛なり紡績なり香辛料の生産なりを大規模に始めるにしても、直ぐに大きな取引が出来るほど収穫を望めるわけもなく、大抵はその前兆となる動きがみられるはずなのだ。




 品質が悪い羊毛。香りが全くしない香辛料。熟成の足りないチーズなどが市場のご機嫌をうかがうようにチラホラと見え始める。やがて少しずつ質と量を向上させて市場の承認を得、いずれ市場を席巻するのであれば理解も出来るし、それまでにこちらも負けぬ様に質の向上や生産量を増やすなりで対抗できるだろう。




 だが、今回はその前兆が一切見られない。いきなり不意打ちを食らったようなものだ。まるで何かに化かされたような気分になる。



 第一商売の情報には耳聡いはずの商人達の間ですら一切の情報がなかったのだから、どうにもならない。




 このパターンで頭に浮かぶのは新たな貿易ルートを開発した場合などだ。それにしても急激すぎる動きなのだが、その位しか彼らの頭には浮かんでこない。だから内海の商船を虱潰しに探したかったのだが、エイリークの生まれ変わりのせいでそれが一向に進まない。




 その自称生まれ変わりがどうやら件の商品の出元の屋敷の主らしいという情報がルーフェスの商人からもたらされた時、アイルグリスにとってアイクは不倶戴天の仇として公的に承認された。




 アイルグリスの上層部もルーフェスにある4つの商会も争うように様々なルートで彼らなりに対処を目論んだがすべて失敗し、刺客は誰一人返ってこない。



 商人たちの元に潜り込ませた者たちは特に素性がばれるようなことは無いようだ。襲撃があったはずの翌日に屋敷内に商人の家人として屋敷に入り込んだものの情報によると、襲撃の痕跡は一切見られず、屋敷の人間にも特に変わったところは見られないという内容で、襲撃自体何の効果もない事は確実だろう。




 如何にも打つ手が無くなって振り出しに戻ってきている状況だ。




 「戦場の幽鬼の生まれ変わりとやらがどれほど戦巧者であっても、それが意味を成すのは小規模な海戦ならではだな。



 彼方の子爵家に潜り込んでいる奴の情報では、嘘か誠か、エイリークの生まれ変わりと言うだけあって大変な腕自慢らしく、たった一騎で敵船に乗り込んで、兵を全て切ってしまうらしい。」




 「ほぉ、それは恐ろしいものだ。」




 返事を返すギンガーの声には嘲笑が含まれている。




 「あぁ、乗り込まれる船にとってはな。だがその程度なら恐れる必要はないな。」




 「あぁ、距離的な問題もあるがな。此方が戦力を集めて速攻を掛けりゃ、例えその生まれ変わりがいようがいまいが負けはねぇ。



 そのアイクって奴が此方の一隻を鎮める度にこちらは周りを沈めちまえば、そのおっかない坊やは海の藻屑にしてやれる。まぁ、ルーフェス近海での海戦になりそうだから、生き残っちまうかもしれないけどな。



 彼方が艦隊を終結させる前に、さっさと決着をつければ後はある程度各個撃破して奴らの船を減らせるだろうしな。」




 「その為にじわりじわりと物資を集積してきたんだ。此方の動きを掴んだ時点でもう手遅れさ。



 一気にルーフェスを抑えて、あのくそったれの屋敷の関係者を全員捉えりゃ、出元の謎も解るだろうな。」




 こりゃ上の連中をたきつけて一戦やらかすように仕向けたのはジャックだなと当たりを付けたギンガーは、今までの様にコソコソと探るようなやり方よりはよっぽどわかりやすくていいと、先程までとは違う笑い顔に顔を歪ませる。




 「そりゃぁいい。よっぽどわかりやすい。」




 ジャックも先ほどまでの苦い表情を不敵な笑みに変える。



 どれだけ化物の様に強い兵がいようとも一人ならさほど脅威にはならない。むしろそいつを相手にせず、無力化が出来ればその戦力に頼る心算だった相手の計算を狂わせることも出来るし、士気も下がる事だろう。



 最終的には、アイク一人だけ残って周りを全部潰せればベストだな、と心の中でほくそ笑む。後は大量に陸軍を送り込み屋敷の家人を抑える。哀れ人質を取られたアイクはこちらの言いなりになる。



 ルーフェスを抑えれば、ランシスに対しての交渉の札にもなるだろうし、うまい事香辛料の生産地と技術者を抑える事が出来たなら、アイルグリスでの香辛料の生産も夢じゃないだろう。



 と流石にそこまでこちらの都合よくいくとまでは考えてはいないが、それなりに成算のある話だ。





 これがエイリークの生まれ変わりなどではなく、伝説で語られる本物のエイリークであったならとてもこんな風に呑気に一戦吹っ掛けるわけにはいかなかったのだが。




 ジャックが幼い頃に何度も聞いた、戦場の幽鬼エイリークが活躍した海戦の一端が不意に頭に浮かんだ。



 曰く、鋼の棒を一振りすると離れていたはずの船が真っ二つになり、その後砕け散る。曰く、海を蹴り海の上を走り逃げる船を追いかける。曰く、彼が乗っていた船も衝撃に巻き込まれて何もかもが沈んでしまった翌日、港町で普通に商売をしていた、等々。




 味方の心算で巻き込まれた者たちが哀れではあるが、所詮は伝説。作り話だとジャックは信じていた。




 常識的に考えれば、そんな人間いるわけがないのだから。

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