貴方に会えないその日から 1話

ローズ視点



 特に何かを気負うでもなく、船に乗り込むアイクを見送り、船が見えなくなった後ダニエルがマリアに話しかけてきた。私達に聞こえるように。




 「たった4か月でかなり派手にやりましたからね。あちら側も慌てて動き始めているようで。」




 ダニエルは直接私やエリスに話しかけるような事はしない。未だに私たちのお忍びに気を使ってくれている。ただ、今回はそれ以外にも理由はあるかもしれない。私たちの推測が正しいなら、この場で私達に接触を持つことは彼にとってリスキーであるはずなのだが。




 私たちの考えが間違っていなければ、だけど。




 「情報が伝わるには時間がかかりますからね。こちら側にもあちらの息がかかっている商会がいくつかあるのではないですか。



 意思の決定が何処で行われたかにもよりますけど、ダニエルさんがこの場にいらっしゃるのは危険だったのでは。」




 この話し方のマリアにはいつになっても慣れないわね。違和感がするわ。




 「隣国、ですからね。あちらの系列の商会は4つほど。どこが動くのか、商会が動くのかはわかりませんがね。どうあれ、既に当商会も目をつけられているでしょうな。



 それで、本日の見送りは相手さんの挑発を兼ねてですかな。態々人目に付くよう動かれているようですが。」




 「それはお互い様でしょう、ダニエルさん。私達としてはルーフェス商人の纏め役をしていただいている貴方に彼方の目が行くのは困りますので。」




 私達の状況が変わった今、アイルグリスがどう動くにせよ周りにちょっかいを掛けられる方が厄介なのよね。あちらがこちらの情報をどこまで把握してどこが判断してどう動くか。正直私達では想像のしようがない。




 私やマリアが策士を気取って、ざまぁ名人戦を繰り広げる事が出来たのは、私達が策士として優れていたからではない。その素質が無いとは言わないけど。



 乙女ゲームとしてのこの世界で起きる事の一部を理解し、ゲームキャラクターとしての周囲の人間の情報と、リアルで知った為人。起きるであろうイベント。様々な要素があって初めて私とマリアは策士然とした行動をとる事が出来たのだ。




 それ以外は多少同年代より人生経験が多く、特殊な体験をしただけの小娘に過ぎない。そこを勘違いして策士を気取り、わかった風な行動をしていれば、取り返しのつかないことになりかねない。




 私もマリアも元の世界は兎も角、この世界の政治や経済には素人同然なのだから。私はざまぁ回避が人生の最初の目標であったために、それらにあんまり必要ない周辺国の情報に関しては常識の範囲でしか把握しておらず、公爵令嬢としては足りない。



 マリアとしても男爵令嬢であった為か、その辺の教育を受ける機会はなかった。



 私たち三人の中ではエリスが一番そのあたりの情報に詳しいうえに政治的なセンスは高い。意外な事だけど。




 ネットワークで手に入る情報とエリスの情報と判断、それが今の私たちの武器ね。私とマリアは現在進行形でこの世界の経済と政治について学びつつ仕掛けていくという、どう考えても危うい状況だったりするのよ。




 結果、常に状況を作って動かしていくように行動していてもちぐはぐな行動になりがちだし、相手のリアクションに対して後手後手になりがちなのよね。



 こちらから相場を荒らして、戦争の火種を作ったは良いけど、ここから相手がどう出るか、次の一手をどうすべきか。






 最近は3人集まれば常にその辺の話になったわね。そもそも本当にこちらに手を出してくるのか。その前に友好的な接触をしてくる可能性は?



 香辛料に関しても、普通に考えるなら一卸元をどうにかしたところで解決には至らないと判断するのが普通よね。常識的に考えれば、卸元が手元からほぼ無限に香辛料を出しているなんて想像もできないだろうし、ダニエル以外の私たちの屋敷に出入りしている商人は誰一人としてどうやって商品が私たちの手元に届いているのか、理解している者はいないはず。




 マリアのそんな意見に反論の余地はなさそうに思えたけど、アイクが今までエイリークとして周囲に情報の隠匿にどれだけ気を使ってきたかという点でその意見は却下されたわ。



 このルーフェスに伝わるラーゼント商会の話だけでも、彼が虚空から銀色の缶を取り出した逸話は有名だし、それ以前の話からも彼が虚空から商品を取り出した話はチラホラと見受けられる。




 この眉唾の様な情報を、各国の上層部がどこまで本気で受け取っているかは解らないけど、もし卸元をどうにか処理してしまえばこれ以上、出元不明の香辛料が出回らないのではないかと判断した場合は、外科的手段を行使することをためらわないでしょうね。




 彼らが、アイクの周辺にどういう人がいるのか。そこを理解すれば懐柔という手段を取る可能性は低くなる。ランシスの貴族令嬢である私たちを物理的に排除した後、エイリークを懐柔するのかどうか。




 「はっはっは。いや、剛毅な方たちだ。御身に危険が迫ったとしても気にも留めないとは。



 ただ、彼は有象無象が何をどうしようとも問題はないでしょうが、貴方たちはそうはいかない。ご家族にとっても彼にとっての女性としても、ね。



 見せつけるのが目的なら、挑発は成功したでしょうけど。



 屋敷は警備を固めたようですが、態々このようなところで身を晒し、危険を招くこともありますまい。



 こちらにある商会が直接動くことはないでしょうが、何やら周辺があわただしくなって来た様で。ご自重なさるべきでしょうな。」




 「ご忠告、有難く受けておきますわ。ただ、私達はエイリークに守られておりますので。せっかくのご忠告ですが御心配には及ばないかと。」




 そこで情報を開示する必要があるのかしら。余り良い手ではない気もするのだけれども。まぁ、ダニエルや聞き耳を立てているだろう周囲がこれをどうとるかよね。




 その後いくつか言葉を交わして、別れを告げ屋敷に戻る。帰りの馬車の中でエリスが話を切り出す。




 「ダニエルさん、自分がおとりになる心算だったみたいですわね。おそらく私たちが何をやりたいのか、アイルグリスに何を仕掛けているのか大体理解してる、という事でしょうか。」




 「当然、理解はしているでしょうね。自分たちが危険である事も、私達にアイルグリスがちょっかいをかけてくるだろうことも。」




 「やっぱり、エイリークの逸話は色々と有名だからね。でもさ、彼の最大の特徴であるはずの顔が時折2重になるって逸話は、今じゃあてにならないけどね。」




 ルーフェスについて同じ屋敷で一緒に住むようになってから、最初の1~2週間は何かあるたびに美少年の素顔が透けて見える事はあったわね。ただ、段々とその頻度は少なくなり、ここ2か月はナノマシン強化を含めた防衛策一式を受け入れる話をした時の一回だけでほとんど2重になる事はなくなってきた。




 「どういう原理になっているのかはわからないけど、もしかしたら彼の精神状態に左右されるのかもしれないわね。



 接し続けて初めて分かったけど、彼は今まで精神的にずっと不安定だったようだし、私達と暮らすようになってからは段々と精神的に安定してきたように見えるわ。」




 「そうですわね。私が手料理を作ったあたりから、アイク様から何となく安心を感じるようになりました。今まで感じていた不安定な印象が無くなってきたような。」




 「私たちがナノマシン処理を受けてからはもっと顕著よね。今まで私達と精神的には兎も角物理的に触れ合う事に抵抗を感じていたし、避けている印象が強かったけど。



 今日は普通に抱き着けたし、逃げなかったわ。初めてじゃない?正面から抱き着いてアイクさんが一歩も後ろに下がらなかったのって。」




 言われて確かにそうだったなと思い出す。今回人前で抱き着く事は屋敷を出る前からアイクに断りを入れていた。正直、ただたんに抱き着きたかったという事情もあるにはあるけど、これは撒き餌なのよね。まぁ、撒き餌の事は置いておくけど。




 以前までのアイクなら断りを入れておいても、私たちが抱き着いたなら無意識に数歩後ろに下がっていたと思う。でも今朝は空気を読んだのかもしれないけど一歩も下がらないで私たちの背に手を回しすらしてくれた。



 どういう心境の変化なのだろう。ナノマシンの処理を受け入れた私たちを、この世界を永久に彷徨うパートナーとして受け入れてくれたのかもしれない。もっと別の、彼特有の地雷に関係しているのかもしれない。




 ただ、現状は私達に好ましい変化であることは間違いないわね。




 「まぁ、役得だけどね。撒き餌は多分機能すると思う。」




 「現状、私たちが一番、物理的なトラブルに対応する力があるわけだしね。周りがちまちま狙われて被害が出るより、私たちを狙わせて被害を抑える方が安心だし、楽よね。



 手がかりも手に入るだろうし。」




 「地力が人間離れした事ですし、最低限の戦闘技術も何の苦労もしないで手に入れたのですから、有効活用すべきですわね。今のうちに実戦を経験しておくべきでしょうし。



 いらっしゃる予定の手がかりの方達は監禁するのは面倒ですし、ストレージでの管理で大丈夫ですわよね。」




 事実上、悪影響はないとアイクに保証されてはいるけど、自分たちがストレージの中に入れられるのは抵抗があるわね。ただ、刺客を屋敷で監禁するならストレージを活用した方が安全で簡単ね。



 エリスの言葉を受けてマリアが思い出したように確認をとる。




 「ねぇ、お祖母ちゃんの方では銃器とかネットワークで取り扱いはないんだっけ。」




 「銃はありませんけどボウガンとかアーチェリーの類は手に入りますね。」




 「現代兵器を持ち込むのは気が進まないんだけど?」




 私の苦言にマリアはにやりと笑いながら反論する。




 「いやさ、私たちは別に英雄になる心算はないんだし、活躍を他人に理解してもらう必要はないわけよね。戦っている所を誰かに見せるつもりもない。



 銃なら当てる位置さえ気を付ければ即死させちゃうこともないだろうから、万が一があってもさ。死なせないで済むと思うのよ。」




 言われて考え込む。ナノマシン処理を受ける際の幾つかの注意事項。その内の一つに処理後の初めての実戦の際には興奮状態で力の制御を失敗してしまう可能性があるとの指摘があった。




 つまり、相手を動けないように抑えようとしたけど、力を入れ過ぎて相手をつぶしてしまったという事がありうるっていう事ね。ちょっとスプラッターだけど、うっかり相手の頭をつぶしてしまう事もあるかもしれないわけで。




 そんな状況になったら私たち自身、身体的には無傷でも精神的に大ダメージを受けかねない。




 「確かにそうかもね。ただ、手に入れられないのなら仕方ないかな。ネットワーク上のアイクのコピーにお願いすれば手に入れることも出来るとは思うけど。」




 「それがアイク様に伝わったらその時点で心配なさるわよね。どうしても必要なものではないわけですし、ボウガンでも同じような機能は期待できるでしょうから、今回はやめておきましょうか。」




 「室内で扱うならボウガン一択よね。スタンガンっててもあるとは思うけど。」




 「ガードシステムの機能で相手を無力化できなかったかしら。」




 屋敷につくまでの間は、そんな話で時間が流れていったわ。

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